太宰府天満宮から、丘を登るシェルターのようなエスカレータと動く歩道のトンネルを通って、九州国立博物館へ。
特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」を開催中。──だが、ぼくはここで大きなあやまちを…。この特別展、興味はあるけれど、どうせ東京に巡回してくるだろう、ここで見なくてもいい、ここでしか見られない常設展だけ見て帰ろう…、などと考えたのだった。常設展側は、筑紫君磐井の岩戸山古墳の石人を眺めたり、青磁釉が絵のようにかかった鍋島の磁器の美しさに目を見張ったり、紋様の鮮やかなインド更紗など、これはこれで面白かったのだが…。博物館を出て、山を下り、西鉄太宰府駅まで歩いて、電車に乗って太宰府駅を離れてから、ふと思って調べてみたところ、…室町将軍展はこの九州国立博物館以外の巡回がないということを知った。──大失敗だ。ちゃんと調べないで感覚だけで旅行してるとこうなる…。また、知らず知らずのうちに東京中心主義に毒されていた。西鉄二日市で、乗ってきた電車にまた乗って、太宰府にとんぼ返りした。
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西鉄太宰府駅からの参道はひどい混雑で歩きにくいので、こんどは裏道を歩いた。
いい雰囲気じゃないか
しかし、ここから行くと、エスカレータではなく、階段を上がることに。駅前の観光案内所で前売券を買って行ったとき、「百段も階段がありますから…」と言われていた。
この山の上に見えるのが九州国立博物館。階段、数えてみると104段もあった。息を切らしながら、改めて博物館へ足を踏み入れた。
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■九州国立博物館>特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」
エントランスはこんなイラストで…、あれえ、こういうノリなの?と思ったのだけど…
あの絵は足利尊氏じゃないってことで歴史学的には趨勢が決まって来てるはずだが…
でもまあ、面白い。「打首注意!」には笑ってしまった。
しかしそれは目くらましのようなもので、展示はかなり見ごたえのあるものだった。まず、丸っこい顔の、最近の足利尊氏の図像が、ちゃんと展示されている。日輪の冕冠をかぶった後醍醐天皇の図像も(歴史の教科書に出てくるあれだが、これ、藤沢の遊行寺が所蔵しているのね)。──そして、尊氏の筆による奉納歌。
こ乃御代ハにしの海よりおさまりてよもにはあらき浪風もなし(豊浦宮法楽和歌)
おさまれとわたくしもなくいのるわか心を神もさそまもるらむ(松尾社法楽和歌)
足利尊氏という人は、源氏の棟梁として戦争に明け暮れ、妻の一族を滅ぼし、主君と仰いだ帝と戦い、弟を殺し、息子と戦い、…という修羅の道を歩みつつも、「この世は夢のごとくに候」「とく、とんせいいたしたく候」とか言って、筆をとって菩薩の絵を描いていた、という、非常に興味深い人物である。その、尊氏が描いた
地蔵菩薩像というのが、本当に展示されていた。これは驚いた。──晩年の、こんな歌が紹介されていた。
いそぢまでまよひきにけるはかなさよただかりそめの草のいほりに(風雅和歌集)
この世の生きづらさを、最後まで抱えていた人だったのではないだろうか。──尊氏の真筆による願経だという
園城寺の実相
般若波羅蜜経は、意外に、かな釘流というか、可愛らしい文字であった。
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“金銅火炎宝珠形舎利容器”は、水晶の中に「仏舎利」が「二粒」入っているというのだが、本当なのだろうか…。グリーフシードを連想する宝物である。──三代義満のコーナーでは、義満が「北山大塔」という110mもの高さの塔を京都に建てたということを初めて知った。だが、その高さをパネルで説明しているのが、比較対象が博多ポートタワーや福岡タワーであるのがちょっと面白かった。関東人の私にはよくわかりません(笑)
中国陶磁は、建窯の油滴天目の完璧な均整にため息をつき、そして銘「虹」という灰被天目は、どのへんが虹なのかよくわからなかったが、錆が入ったようで渋いよさがある。ただ、東京国立博物館から来た宋の青磁など、これ見たことあるな、などと思うこともあった。
面白かったのは、「勘合」の模造展示。
原寸大だという。朝貢貿易の許可証であることは知っていたが、明の皇帝1代ごとに100枚発給されるとか、寧波の港と帝都北京の官庁で照合するために二か所の割印がある、など…、そもそもこんなに大きな紙だったのね。
最後に、京都の等持院の、足利将軍坐像が、一堂に展示されていた。これ…、とくに義政が、ちょっと悪意があるとしか思えない造形だったのだけど、どうなんでしょうね、あれ
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結局、見終わったころにちょうど、17時の閉館時刻になった。あれ…、今日はほぼ太宰府市内にいただけで、一日が終わってしまった。とりあえずこの時間にここにいるということは、…まあ、今日はどこかに泊まるということになるけれど、どうしようかな。