改めて見ると、なんとなく車両の幅が狭いように見えるが、気のせいだろうか
二日市で10分あまり待って、大牟田行きの特急電車。
特急はクロスシートの車両だったが、座れず、適当にドアの近くに立った。西鉄、快調に飛ばす。なんとなく、京浜急行の電車が何かの間違いで田園地帯を走っているような気がする。地平を走っているので踏切もそれなりにある。二日市を出ると次の停車駅は久留米である。高架になり、かなりの市街地が車窓に広がった。その次の花畑まで高架だったが、九州新幹線の線路が横切るのを見送ったら、いつのまにか単線になっていた。久留米から南は、普通列車がワンマン運転だったりするようで、落差があるようだ。
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今日は柳川で泊まることにした。西鉄柳川駅は、二日市から35分程度、天神から乗っても50分程度のはずで、福岡の通勤圏ではないかと思うのだが、駅前はどことなく活気のない地方都市という感じであった。柳川は水郷として名高い町だが、どうやら西鉄柳川駅は柳川の市街のはずれにあるらしい。駅前のホテルに投宿して、夜の町を探検してみたけれど、地図的に、ここが繁華街ではなかろうかと思われる通り(京町)を歩いても、ちょっと何とも言えない雰囲気だった。柳川は北原白秋ゆかりの土地で、記念館があるが、夜ではどうしようもない。
食事する場所を探しあぐねて、最終的に、観光客向けのようなお店が一軒開いていたので、ほとんど転がり込むような感じになった。──定食メニューを頼んだ。品書きは以下の通り。
クチゾコ煮付け、ワケノシンノスの味噌煮、生クラゲの酢味噌和え、刺身・季節の小鉢、ごはん、味噌汁「クチゾコ」とはこのあたりの有明海で取れるヒラメの一種らしく、やわらかくとろけるような白身の煮付けだった。
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このあたりが街並み保存地区のようだ。
水路沿いの鍵の手の道を歩くと、行く手に城跡の塀が立ちふさがって、驚いたりした。城跡には庭園が残り、旅館になっているそうだが、侵入者と思われても困るので、入らない。
ホテルまで歩いて戻る。とにかくそこらじゅうに水路がある町だった。コンクリートで固められていたり、草生して放棄されたような水路だったり、…水路が多いのは、この町に限らず筑後平野全体がそうなのだと、このあとだんだんわかってきたけれど、維持管理も大変だろうし、なにより湿気がすごそうだ。
Googleマップのナビで知らない土地を歩くのは、便利ではあるが、真っ暗な田んぼの間の道などに導かれるという危険と隣り合わせではある。西鉄柳川駅の灯が見えたときはほっとした。
今日はよく歩いた。──この日一日、筑後地方を歩いていて感じたのは、「横断歩行者がいたら停止する」「踏切の前では一時停止する」といった、車の交通ルールを、守っている人が多い、ということ。首都圏ではほぼ形骸化しているもので、当然の姿なのだろうけれど、感心していた。