night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

「トルコ・トカットの木版バスク」@世田谷文化生活情報センター 生活工房 9/1

 東洋文庫を出てぶらぶら歩き、南北線本駒込駅から、永田町で半蔵門線に乗り換えて、三軒茶屋へ。キャロットタワーにある「世田谷文化生活情報センター」に行った。

世田谷文化生活情報センター 生活工房>トルコ・トカットの木版〈バスク〉

 「トカットのバスク」と言われてもなんのことやらわからないが、トルコ中部のトカットという地方では、色鮮やかな模様を木版で捺す織物が、伝統的に作られており、それを“バスク”と呼ぶそうだ。

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 あらきれい

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 映像も流れていたが、こういう版木を布に捺し付けて、模様のパターンをスタンプしていく。何色も使うので、ずれないように何回も捺すことになる。素朴でもあり、同時に、ものすごく精巧な作業でもある。──型紙を使う染織は、知識としてはあったけれど、こういう、はんこのようなプリントの方法の織物は、あまり聞いたことがない気がする。おもしろいなあ。

漢字展 @東洋文庫ミュージアム 9/1

 駒込東洋文庫ミュージアムに行った。企画展「漢字展ー4000年の旅」を開催中。これは面白かった。

 漢字の歴史を紹介しながら、すべてが自分のところの所蔵品だというのが、ここのすごいところである。

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 まず甲骨がどっさり出てくるんだから…

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 「永和九年…」と来たら、蘭亭序

 東アジアの、漢字文化圏諸国への伝播を紹介する展示物が、とても興味深いものだった。

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 西夏文字の印章。

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 『道宗宣懿皇后哀冊』。遼の8代皇帝の道宗とその皇后の、墓誌の拓本だそうで、この、パラレルワールドの漢字のような文字は、契丹文字だそうだ。

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 『訓民正音』。なんか…たぶん、いまのハングルとは使ってる字が違うんだよね、きっと。パッチムのような「ㅇ」をパッチムとして読むと、どうしても違う発音になるような気がする。

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 「牧牛子修心訣」というもので、もとは高麗時代、12世紀の仏教書だというが、1467年にハングルで出版されたものだという。初期のハングルには、今では存在しない「、」のような母音があるが、どうもそれ以外にもたくさん「、」が使われているように見えるなあ。

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 ヴェトナムの、チュノムと漢字の混交文で書かれた小説らしいのだが、…どれがチュノムなのか、逆にわからないなあ

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 おお! 第二次簡化方案!! ──だが、展示されているページには、はっきり二簡字だとわかるものは見えなかったような…

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 『ナポレオン辞典』、1813年にフランスで出版されたもので、広東のフランス領事が漢字14000字の意味と発音をまとめたものだという。すごいなこれ。「龜」に"Koūey"と発音が振られている。現代の普通話なら"guī"(クェィ)だろう

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 清代の科挙の答案。そんなものを持っているのも驚くが、この印刷活字のように整った文字も、すごい。

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 奈良時代の『百万塔陀羅尼』。陀羅尼というのは仏教の呪文(仏教で呪文ってどういうことだろう?)で、それが木版印刷されたもので、“制作年代が判明していて現存する世界最古の印刷物”だそうだ。

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 はいはい、初春令月氣淑風和

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 『文選』でございます

 あと千字文とか、国宝の『史記秦本紀』などが、さらっと置いてあった。──面白かったのは、“四角号碼”という、近代の中国で作られた、漢字の形状に数字を割り当てて、字ごとに4桁や5桁のコード値を振るという体系に関する説明。正直、初めて聞いたものだったので、しばらく説明文を読んでいたが、ちょっと使いこなせるとはとても思えなかったが…。また、日本の“ヲコト点”についての説明もあったが、そもそもヲコト点の点の打ち方にいろんな流派があるというのも知らなかったし…。こういうことを勉強し始めたらはまりそうである。

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 満洲語版の『三国志演義』だって。中国語が振られているからわかるが、桃園の誓いの場面ですね。

矢野沙織 SUMMER JAZZ COLLECTION @和光大学ポプリホール鶴川 8/25

 地元・町田の、鶴川駅前にある市のホールで、アルトサックスの矢野沙織さんのライヴがあるので、行ってみた。

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 ジャズはまったくわからないけれど、無限に続くかのような技巧的な音楽を、ただ聴いているのは、わりと特殊な体験に感じた。矢野沙織さんは、薄い桃色のドレスに、頭に高い羽飾りをつけて、長身のクールビューティといった立ち姿であったが、ぼそぼそと話すMCがユニークだった。──「ファーストセットの曲は…ジャズの曲を、たくさんお聞きいただきました…曲の説明は…まっ、いっか…(会場笑)…セカンドセットも…ジャズの曲が…たくさん…あります…」

「生まれた頃から…小さかったことがなくて…すごく嫌だったんですけど…小学校高学年くらいのときに…家で『イパネマの娘』がかかっていて…父が…背の高い女の人の歌だよって…そんな思い出が…今では底も上げて髪も高くして…」

「14歳のときに学校に行かなくなって、学校に行かないなら仕事しなさいと言われて、ビリー・ホリデイの自伝を読んでいたら、ライヴハウスに行けば仕事があるのかと、大きな勘違いをして、今に至る…」

 …世の中にはいろんな人がいるんだなあ、と驚く。

 ラストの『Left Alone』の凄味に、ちょっと放心してしまった。──『ウィスキーが、お好きでしょ』は、矢野さんのアンコールのお決まりのようなセットリストらしい。口笛が、どことなく寂しげでもある。

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 終演後に貼り出されたセットリスト。

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 帰りに思わずCDを買ってしまった。

8/19(月)吉野ヶ里歴史公園

 吉野ヶ里遺跡を見に行きたい。佐賀駅から普通列車に乗る。

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 ありゃ。地方の普通列車ワンマン運転なので乗り降りに時間がかかって、しばしば遅れる印象がある。

 長崎本線普通列車鳥栖行き。吉野ヶ里公園駅というのがあるのでそこで下りればいいと思っていたが、神埼で特急列車の通過待ちをしている間に、地図をよく見ると、吉野ヶ里歴史公園神埼駅吉野ヶ里公園駅の間にあるということに気づき、神埼駅から歩くことにした。

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 神埼駅で停車中の415系普通列車。車体側面の水色の帯の剥がれぶりが痛々しい。JR九州も苦しいのだろうが…。特急『かもめ』が猛然と通過して行った。

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 また茫洋とした田んぼの中を歩く。雨は上がっていたが、ものすごい湿気だ。

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 吉野ヶ里歴史公園のゲートにたどり着いた。係員のおばさんが園内地図を丁寧に説明してくれた。

吉野ヶ里歴史公園

 吉野ヶ里遺跡は、発掘が始まったのは昭和の末期だそうだが、平成の初頭に、大規模な集落の発見として報道された。ちょうどぼくが小学生の頃で、ここが邪馬台国だとまで言われていたところだ。その後、邪馬台国だとはあまり言われなくなったという印象があるものの、ずっと来てみたかったところだった。

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 なので、勇んで歩き出したのだが、しかし、なんだかこれまたぼんやりした公園だな…

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 おや?

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 なるほど、環濠集落なのか

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 この時代から養蚕ってされていたの?

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 ただ、この竪穴式住居、電気が来てるんです(笑/中で休憩してもいいですよという場所です)

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 ムラの偉い人の家には武具が。

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 少し時代が下った集落を再現しているところ。

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 展示館では、いくつもの甕棺や、首から上がない人骨などに圧倒されたが、そういうものにまじって、弥生時代のものとされる「石硯」(と思われる平らな石)が展示されていた。日本列島で文字がいつから使われていたか、というテーマは、最近、熱くなってきていますよね

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 そして、弥生時代後期になると、幾重にも柵に囲われて、こんな楼閣があったという…

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 鳥のモチーフ

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 周辺の豪族を従える、吉野ヶ里の王

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 祭祀をつかさどる女性シャーマン

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 復元建築は無彩色だが、さすがに丹などは塗られていたのではないかなあ、なんて空想する。──たしかに、ここまで来ると、“国”と呼んで差し支えなさそうではあるけれど、だが、逆に、こういうものがいくつか建ち並んで、王様のような人がいたとしても、その程度で、大陸から使者を迎えられただろうか、などとも思う。ぼくは個人的には、邪馬台国は九州にあったと解釈するのが最も適切だと考えているのだけれど、なんにせよ、決め手はないわけだ。“親魏倭王”の金印がどこかから出てくれば決定打になるのだろうけれど…。

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 甕棺とはこういうふうに埋葬されていたそうだ

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 「北墳丘墓」。この内部は、発掘された状態が保存展示されている。

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 この様子にはちょっと感動した。なにせ、本物なのだ。

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 時折雨に降られながら弥生時代を歩き回った。そろそろ現代に戻る。

*

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 吉野ヶ里公園駅。この駅、名前からして、新しい駅なのかなと思っていたが、駅自体は2面3線の古めのホームで、もともとは三田川駅と言ったらしい。ここからはもはや、東京に帰るのみである。13時15分の普通列車に乗った。

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 鳥栖。古めかしいジャンクション駅だ。ここで区間快速福間行きに乗り換え。

 博多駅に戻ってきたのは14時過ぎだった。帰る前に、食べて行きたいものが…

 牧のうどん(o・∇・o) 

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 博多バスターミナルの地下のこの店舗、麻倉ももさんのサインがかけてあります

 そして、お土産の「博多通りもん」と、駅弁とビールを買って、15時10分の山陽新幹線『のぞみ42号』に乗り込んだ。この日も歩き回ってだいぶ汗をかいていたので、発車してすぐにトイレで着替えた。行きたいところに行けてよかったけれど、真夏の旅行は厳しい。──19時55分に新横浜に到着。地元まで帰ってきたらちょうど猛烈な豪雨に降られ、旅行の最後の最後にずぶ濡れになった。

8/19(月)雨の昇開橋

 翌朝は雨だった。しっかり早起きしてホテルの朝食を取り、西鉄柳川駅の西口のバス乗り場から、7時56分発の西鉄バス、佐賀バスセンター行きに乗る。柳川と佐賀の間は1時間に1~2本の路線バスが通っているが、昔は国鉄の佐賀線というローカル線が走っていた区間でもある。途中、大川市という、家具が名産の町を通り、そこへの通勤客も少しいたようだ。

 柳川駅前から20分ばかり乗って、福岡と佐賀の県境近くの、大川橋という停留所で降りた。

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 国道208号線筑後川を越える直前にあるバス停で、ここから少し南に、旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋というのがある。橋が船を通すための可動橋として、橋げたがぱかっと開く東京の勝鬨橋は有名だし、橋げたが回転するような橋もあると聞いたことがあるが、この橋は、橋げた自体が上下に動くというもので、とても珍しい。強い雨の中、傘をさして、筑後川の堤防を歩いて行った。

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 おお、見えた

 昭和10年に竣工したもので、重要文化財になっている。いまでも可動の機構は維持されていて、時間を決めて上げ下げしていると聞いていた。なので、ぼくはてっきり、この橋を歩いて渡れるものと思っていたのだが…

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 今日は月曜日です。月曜日はお休みです!!

国指定重要文化財 筑後川昇開橋(公益財団法人 筑後川昇開橋観光財団)

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 ちゃんと調べないで来るからこういうことになるのだよね…
 
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 福岡県側は、筑後若津駅という駅があったところだそうで、あずまややトイレがある、公園になっている。

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 残念。雨の中、写真だけ撮って、帰ることになったけれど、スケールの大きな筑後川の風景の中に、がっちりとした赤い異形の鉄の橋、という情景は、独特で、よかった。──また、月曜日の朝から、東京の職場を遠く離れて、茫漠とした筑後川沿いで雨に降られている、という非日常感にも、なんとも言えない気持ちになる。

*

 県境の大川橋を歩いて、筑後川を渡った。

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 大川橋を渡ったところは筑後川の中州で、さらに諸富橋を渡り、病院の前のバス停からまた西鉄バスに乗って、佐賀駅に向かった。佐賀県側は、旧国鉄佐賀線の廃線跡がサイクリングロードになっているらしく、ときおり路盤が見える。30分ほど乗って佐賀の市街地に入り、大隈重信記念館の前などを通って、終点の佐賀バスセンターに着いた。

8/18(日)水郷の町の夜

 今度こそ、太宰府駅から西鉄電車に乗った。

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 改めて見ると、なんとなく車両の幅が狭いように見えるが、気のせいだろうか

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 二日市で10分あまり待って、大牟田行きの特急電車。

 特急はクロスシートの車両だったが、座れず、適当にドアの近くに立った。西鉄、快調に飛ばす。なんとなく、京浜急行の電車が何かの間違いで田園地帯を走っているような気がする。地平を走っているので踏切もそれなりにある。二日市を出ると次の停車駅は久留米である。高架になり、かなりの市街地が車窓に広がった。その次の花畑まで高架だったが、九州新幹線の線路が横切るのを見送ったら、いつのまにか単線になっていた。久留米から南は、普通列車ワンマン運転だったりするようで、落差があるようだ。

*

 今日は柳川で泊まることにした。西鉄柳川駅は、二日市から35分程度、天神から乗っても50分程度のはずで、福岡の通勤圏ではないかと思うのだが、駅前はどことなく活気のない地方都市という感じであった。柳川は水郷として名高い町だが、どうやら西鉄柳川駅は柳川の市街のはずれにあるらしい。駅前のホテルに投宿して、夜の町を探検してみたけれど、地図的に、ここが繁華街ではなかろうかと思われる通り(京町)を歩いても、ちょっと何とも言えない雰囲気だった。柳川は北原白秋ゆかりの土地で、記念館があるが、夜ではどうしようもない。

 食事する場所を探しあぐねて、最終的に、観光客向けのようなお店が一軒開いていたので、ほとんど転がり込むような感じになった。──定食メニューを頼んだ。品書きは以下の通り。

クチゾコ煮付け、ワケノシンノスの味噌煮、生クラゲの酢味噌和え、刺身・季節の小鉢、ごはん、味噌汁
 「クチゾコ」とはこのあたりの有明海で取れるヒラメの一種らしく、やわらかくとろけるような白身の煮付けだった。

*

 このあたりが街並み保存地区のようだ。

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 水路沿いの鍵の手の道を歩くと、行く手に城跡の塀が立ちふさがって、驚いたりした。城跡には庭園が残り、旅館になっているそうだが、侵入者と思われても困るので、入らない。

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 ホテルまで歩いて戻る。とにかくそこらじゅうに水路がある町だった。コンクリートで固められていたり、草生して放棄されたような水路だったり、…水路が多いのは、この町に限らず筑後平野全体がそうなのだと、このあとだんだんわかってきたけれど、維持管理も大変だろうし、なにより湿気がすごそうだ。

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 Googleマップのナビで知らない土地を歩くのは、便利ではあるが、真っ暗な田んぼの間の道などに導かれるという危険と隣り合わせではある。西鉄柳川駅の灯が見えたときはほっとした。

 今日はよく歩いた。──この日一日、筑後地方を歩いていて感じたのは、「横断歩行者がいたら停止する」「踏切の前では一時停止する」といった、車の交通ルールを、守っている人が多い、ということ。首都圏ではほぼ形骸化しているもので、当然の姿なのだろうけれど、感心していた。

「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」@九州国立博物館 8/18

 太宰府天満宮から、丘を登るシェルターのようなエスカレータと動く歩道のトンネルを通って、九州国立博物館へ。

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 特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」を開催中。──だが、ぼくはここで大きなあやまちを…。この特別展、興味はあるけれど、どうせ東京に巡回してくるだろう、ここで見なくてもいい、ここでしか見られない常設展だけ見て帰ろう…、などと考えたのだった。常設展側は、筑紫君磐井の岩戸山古墳の石人を眺めたり、青磁釉が絵のようにかかった鍋島の磁器の美しさに目を見張ったり、紋様の鮮やかなインド更紗など、これはこれで面白かったのだが…。博物館を出て、山を下り、西鉄太宰府駅まで歩いて、電車に乗って太宰府駅を離れてから、ふと思って調べてみたところ、…室町将軍展はこの九州国立博物館以外の巡回がないということを知った。──大失敗だ。ちゃんと調べないで感覚だけで旅行してるとこうなる…。また、知らず知らずのうちに東京中心主義に毒されていた。西鉄二日市で、乗ってきた電車にまた乗って、太宰府にとんぼ返りした。

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 西鉄太宰府駅からの参道はひどい混雑で歩きにくいので、こんどは裏道を歩いた。

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 いい雰囲気じゃないか

 しかし、ここから行くと、エスカレータではなく、階段を上がることに。駅前の観光案内所で前売券を買って行ったとき、「百段も階段がありますから…」と言われていた。

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 この山の上に見えるのが九州国立博物館。階段、数えてみると104段もあった。息を切らしながら、改めて博物館へ足を踏み入れた。

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九州国立博物館特別展「室町将軍 戦乱と美の足利十五代」

 エントランスはこんなイラストで…、あれえ、こういうノリなの?と思ったのだけど…

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 あの絵は足利尊氏じゃないってことで歴史学的には趨勢が決まって来てるはずだが…

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 でもまあ、面白い。「打首注意!」には笑ってしまった。

 しかしそれは目くらましのようなもので、展示はかなり見ごたえのあるものだった。まず、丸っこい顔の、最近の足利尊氏の図像が、ちゃんと展示されている。日輪の冕冠をかぶった後醍醐天皇の図像も(歴史の教科書に出てくるあれだが、これ、藤沢の遊行寺が所蔵しているのね)。──そして、尊氏の筆による奉納歌。

こ乃御代ハにしの海よりおさまりてよもにはあらき浪風もなし(豊浦宮法楽和歌)
おさまれとわたくしもなくいのるわか心を神もさそまもるらむ(松尾社法楽和歌)
 足利尊氏という人は、源氏の棟梁として戦争に明け暮れ、妻の一族を滅ぼし、主君と仰いだ帝と戦い、弟を殺し、息子と戦い、…という修羅の道を歩みつつも、「この世は夢のごとくに候」「とく、とんせいいたしたく候」とか言って、筆をとって菩薩の絵を描いていた、という、非常に興味深い人物である。その、尊氏が描いた地蔵菩薩像というのが、本当に展示されていた。これは驚いた。──晩年の、こんな歌が紹介されていた。
いそぢまでまよひきにけるはかなさよただかりそめの草のいほりに(風雅和歌集)
 この世の生きづらさを、最後まで抱えていた人だったのではないだろうか。──尊氏の真筆による願経だという園城寺の実相般若波羅蜜経は、意外に、かな釘流というか、可愛らしい文字であった。

*

 “金銅火炎宝珠形舎利容器”は、水晶の中に「仏舎利」が「二粒」入っているというのだが、本当なのだろうか…。グリーフシードを連想する宝物である。──三代義満のコーナーでは、義満が「北山大塔」という110mもの高さの塔を京都に建てたということを初めて知った。だが、その高さをパネルで説明しているのが、比較対象が博多ポートタワーや福岡タワーであるのがちょっと面白かった。関東人の私にはよくわかりません(笑)

 中国陶磁は、建窯の油滴天目の完璧な均整にため息をつき、そして銘「虹」という灰被天目は、どのへんが虹なのかよくわからなかったが、錆が入ったようで渋いよさがある。ただ、東京国立博物館から来た宋の青磁など、これ見たことあるな、などと思うこともあった。

 面白かったのは、「勘合」の模造展示。

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 原寸大だという。朝貢貿易の許可証であることは知っていたが、明の皇帝1代ごとに100枚発給されるとか、寧波の港と帝都北京の官庁で照合するために二か所の割印がある、など…、そもそもこんなに大きな紙だったのね。

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 最後に、京都の等持院の、足利将軍坐像が、一堂に展示されていた。これ…、とくに義政が、ちょっと悪意があるとしか思えない造形だったのだけど、どうなんでしょうね、あれ

*

 結局、見終わったころにちょうど、17時の閉館時刻になった。あれ…、今日はほぼ太宰府市内にいただけで、一日が終わってしまった。とりあえずこの時間にここにいるということは、…まあ、今日はどこかに泊まるということになるけれど、どうしようかな。

8/18(日)太宰府天満宮

 さらに歩くが、それなりに暑くて消耗するし、ちょうどお昼時だったため、県道沿いの喫茶店に入って、カレーライスで昼食とした。テレビでは作新学院とどこかが試合をしていた。

 そしてまた30分ほど歩いて、西鉄太宰府駅前、そして太宰府天満宮へ。ここに来るのは2006年以来なので、13年ぶりだ。ここはもう、たいそうな賑わいで、参道は、歩くのが大変なほどだ。見たところ中国や韓国の観光客が多い。

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 拝殿の前に行列ができているような状態だったが、なにも並ばなくたって神様はそこにいるだろうと思うし、二礼二拍手一礼とか「作法」なるものが言われるようになってからこういう有名な神社は渋滞するようになった、昔はそんなこと誰もしてなかった、とぼくは思っている。

 宝物殿も見物。

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 菅公の、龍牙の硯ですって。

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 紺紙金字法華経。菅公の真筆だそうだ。

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 複製だそうだが、この五言絶句も、真筆と伝えられているそうだ。

離家三四月
落涙百千行
萬事皆如夢
時々仰彼蒼
 …これは、泣けてしまった。これを見ただけで、ここに来てよかったと思った。

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 そんなにうれしいかねえ。

8/18(日)大宰府、失われた都

 九州自動車道をくぐり、川沿いに歩く。──このあたりは大野城市太宰府市の境に近いところで、住宅地なのだが、ちょうど航空路の下にあたっているようで、ジェット旅客機がほとんど数分おきに上空を飛び、轟音が響く。ちょっとこれはつらいのではないか、とすら思ってしまった。

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 水城駅の近くから40分ほど歩いて、大宰府政庁跡に着いた。

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 「失われた都」です

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 復元された礎石が並ぶばかりであるし、この“都督府古址”という石碑も明治時代に建てられたものにすぎないけれど。

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 大宰府展示館も見学。

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 梅花の宴の食品サンプルですって…

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 “買地券”というのは初めて聞いた。説明によると、墓地を購入したことを証明する文書のことで、漢代などの古代中国の風習だという。日本での出土例は珍しいそうだ。

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 だが、ここから南に条坊の都が広がっていたというのは、本当だろうか、とちょっと思ってしまう。そもそも政庁跡が、両側を丘にはさまれていて、正直言ってあまりそれっぽくない立地なのだ。

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 政庁に加え、学校院という官僚養成施設、観世音寺という官寺などを備えた、九州の首都であった大宰府である。だがそれも夢のあとで、学校院跡などは一面の水田であったが、観世音寺は細々とした伽藍が残っている。──寄ろうとしたら、「玄昉の墓」という立札が。

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 ああ、玄昉は大宰府に左遷されて死んだのか、と思い至る。しかしこれが、民家のすぐ横にあって、こんなところに歴史的人物の墓が。

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 観世音寺。いまあるのは江戸時代初期に再建されたものだそうだが、律令時代は、東大寺・下野薬師寺と並んで「天下三戒壇」、僧侶が受戒できる場所として全国に三か所だけの、格式ある寺院とされていたそうだ。…というか、そういう制度があったことを初めて知る。東大寺はわかるが、もう一つが下野にあるのか。

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 宝蔵では、高さ5mにもおよぶ平安時代馬頭観音像や観世音菩薩像などの、巨大な仏像が林立していて、見ごたえがあった。

 今年は3月に多賀城跡に行ったが、これで、陸奥と筑紫の、二つの“遠の朝廷(みかど)”に行ったことになるなあ。

8/18(日)水城

 翌朝の博多は、曇っていて多少は過ごしやすかった。街路樹からはクマゼミの大合唱が聞こえて、関東から来ると風土の違いを感じる。──ホテルから歩いて博多駅に向かい、9時04分発の普通列車鳥栖行きに乗り込んだ。休日の下り列車で、適度に空いている。

 実はこの日はどこに行くか、必ずしも決めていなかった。行きたい場所は何か所かあるけれど、どういう順番で行くのがよいのか考えあぐねている。翌日の月曜日までの旅行にすることは決めていたので、どこかには泊まるはずだが、それがどこかもわからない。

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 行き先不明の中、下りたのはこの駅。

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 …なな、と続けたくなる

 水城(みずき)とは、飛鳥時代に、白村江で唐と新羅の連合軍に壊滅的な敗戦を喫した天智天皇が、さらに大陸から侵攻されるという恐怖におびえ、大宰府の防衛のために建設した、土塁と堀である。──列車から降りて、まず驚いた。線路の行く手に、緑の森の壁があって、それを切通しで貫いて線路と県道が通っているのだ。

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 眼前に見たのは初めてだ。

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 水城の切通しを進む鹿児島本線の列車。

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 急斜面。なるほどこれは人工的な斜面なのか

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 古代官道と西門が通っていたとされる口で水城を越えたが、ただの地元の山道のようであった。土塁の反対側に出た。いまでも水が溜まっている

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 おや、かわせみが…

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 土塁に沿って歩いてみるが、線路に突き当たるため、そのままたどることはできない。住宅街を抜けて踏切を渡り、線路の反対側に向かってみた。

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 土塁の上はこんな状態。ちなみにこの下には自動車教習所があるのだが、教習所の敷地の中に民家があって、水城の土塁に沿った道とつながっている、という、不思議な状態になっていた。

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 土塁が途切れてしまった。川沿いに水田が広がり、西鉄の線路と九州自動車道の高架が平野を貫いている。地図を見ると国道3号も通っていて、その向こうにまた水城の遺跡が残っているようだが、往時はつながっていたのだろうか? でも川があるからなあ…

 JR水城駅近くの切通しは、鉄道建設のために近代に切り取られた場所だそうだが、2014年に土塁の断面の発掘調査が行われたそうだ。版築工法に加えて、敷粗朶(しきそだ)と呼ばれる、要するに木の枝葉をそのままぶちこむ工法のようすが出土したそうで、説明パネルによると以下のごとくである。

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 緑の葉が出土して、1350年ぶりに空気に触れた瞬間に黒くなってしまったというのだ。…歴史のロマンじゃないか!

 水城は、土塁だけではなく、内側と外側の堀と、土塁の下に樋を設置して水を通すような機構も備えたものだったようだが、よくわからない部分も多いようだ。また水城だけではなく、近隣の山の上に造られた大野城や基肄城もあわせて、大宰府防衛ラインを形成していたそうで、それらを、ものの1~2年で建設してしまったのだから、大変な事業であったものと思われる。ぼくもこの土塁を間近に見て、規模の大きさに驚いたし、当時の国家的な危機感のようなものが、少しは理解できたような気がする。