翌朝、お城の本丸を突っ切って歩く。福井県庁の敷地だが、だからこそべつに一般国民が通り抜けても構わない。
結城秀康。徳川家康の息子だ。乱行で有名な(?)松平忠直はさらにその子供になる。北ノ庄と呼ばれていた福井に、いまに残る城を築いたのが結城秀康なのね。その後、福井は徳川時代を通して親藩の松平家の支配下にあった。
福井市立郷土博物館、こちらにいるのは松平春嶽。
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福井市立郷土博物館を見てから、近くにある「養浩館庭園」に行った。ここは松平家の別邸、“御泉水屋敷”と呼ばれていたところで、明治以後も松平家の私有だったそうだ。とは言っても、福井は空襲で壊滅し、終戦直後の大地震でさらに壊滅している歴史があり、庭園の構造だけ残ったところに、平成になってから建造物を再建したものだという。
屋敷に上がった瞬間に息を呑んだ。
水…!
これは驚いた。こんなに広い水景が、座敷から直接見えるというのは、珍しい日本庭園だと思う。
建屋がほとんど水面に張り出したようなところもある。これは洒落た別荘だ。維持するのが大変だろう
水の流れと、洲浜がしつらえられている。これはかなりの数寄者の造った別荘だぞ…などと思った
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ここは“御湯殿”だそうだ。浴槽があるわけではなく蒸し風呂だという。その前の部屋には、排水のための傾斜がついている
おもしろいのは、この湯殿の下には池が掘り込まれている。これって池の水を汲んで使っていたということなのだろうか。そもそもがこの庭園の池自体、上水を引き込んでいたということだ
池の反対側からの眺め。庭園は、いまは塀が立っていてすぐに敷地が区切られているが、往時はもっと広かったそうだ。──この屋敷のセンスは気に入ってしまった。