night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

5月の園芸部


アリウム・ロゼウムが今年も球根から出てきてくれた。この、ひそやかな花火みたいな姿が大好き。(5月4日)

昨秋から鉢で育てていた花が咲いた。


カモミール。香りがするのかなと思ったけど、それほど感じられなかった。残念(5月18日)


派手な花が咲いた、これはゴデチヤ。(5月20日)

過去ログの補完が完了

jawa-jawa.hatenadiary.jp

 続き。

 凍結は解除されない。ついにTwilogも見られなくなってしまった。

 重い腰を上げて、ついったーのログをWeb上に補完することにした。

 とは言っても、材料はすでにあったし、方法も考えてはいた。──ついったー本体からエクスポートしたログファイル(json形式)があり、ここに2023年4月6日までの全投稿がある*1。VBAでツールを作って、このファイルから、

  • id_str(自分の投稿1件ごとの一意のID。リツイートにも付与されている)
  • created_at(投稿1件ごとの投稿日時。ただしUTCなので*2JSTに変換する必要はある)
  • full_text(投稿の本文。文字数の制約で後ろが切れていることがあるのがいまいちだが、これしかない)

の要素を抽出し、投稿日時の降順でソートして、テキストファイルに出力した。ここまでは4月末にやってあった。

 このテキストファイルを、はてなブログに取り込めるかたちにすればよい。またVBAで、今度はMovableType形式の1日ごとに1記事のデータになるように成形し、それをはてなブログのインポート機能に入力した。本来は他のブログやCMSサービスが作成したファイルを取り込むための機能だろうが、MovableType形式と言っても“書き方の決まったテキストファイル”にすぎないので、必要な要素のあるファイルを作ってしまえばよい。

 結果、2023年4月4日までのデータが4,940日分の記事になり、5月25日(木曜日)から5月26日(金曜日)にかけての夜にはてなブログにインポートできた*3

jawa-jawa-tw.hatenablog.jp

 一連の、手でいじるには大きすぎるデータの加工には、VBAが役に立った。必要に迫られたことで、これはこれで面白い経験にはなった。

*1:リツイートが含まれていて、投稿件数は59,960件だった。この、全件のログをダウンロードしてあったことは、本当に幸運だった

*2:ついったーの検索で日時指定がうまく効かないことがあるのは、ついったーが投稿日時をUTCで持っているのが原因だと思われる

*3:取込み後の記事数は4,942件で、なぜか2件が重複して取り込まれていたので、削除した。入力したデータには問題がなかったので、はてなブログ側の問題?

マティス展 @東京都美術館 5/14

 西洋美術館からはしごして、東京都美術館へ。こちらはマティス展を開催中。なんでも、日本でマティスの回顧展は20年ぶりなのだそうだ。こちらは時間指定予約制を続けていて、この日の朝の時点ですでに16~17時という最後の入場枠のチケットしか取れなかった。閉館は17時半である。──だが、16時15分頃に行ってみると、入場口に行列が形成されていた(こういう時代になって約3年になるけれど、時間指定なのに行列させられることにいまだにあまり納得がいっていない)。若い人が多い。これはどういう現象だろう? 展示は一部撮影可。


東京都美術館マティス展

 パリのポンピドゥー・センターから多数が来日しているようだ。マティスというと原色のヒトガタが踊っているような作品を思い浮かべるが、そういうのが出てくるのは戦後で、展示の終わり近くの方(いや、それはそれで面白いのだけど。意外と)。こんな作品、ちょっとぐっときちゃうじゃない?


 マティスという人は最初の頃はフォーヴィスムキュビスムに傾いていたようで、ぼくが一番いいと思ったのはこの人物像。『白とバラ色の頭部』(1906年)。縦の線がリズミカルなのにまず気を取られるけど、首のペンダントがさりげなく主張している感じ。ポストカード買っちゃった。

 開いた窓の向こうに真っ暗闇が見える不気味な絵(『コリウールのフランス窓』)も印象強かった。1914年、戦争が始まって近しい人が兵隊にとられていった頃の絵だという。
Porte-fenêtre à Collioure - Centre Pompidou

collection.centrepompidou.fr

*


『夢』(1935年)


『黄色と青の室内』(1946年)

 最後の章は、マティスが晩年にヴァンスというところ(南仏の海岸近くの高台にある町らしい)でデザインした礼拝堂の紹介だった。晩年の彼のぐにゃぐにゃした植物紋様のモチーフが、青と黄色のステンドグラスになって、モダンデザインの白い礼拝堂をやわらかい光で満たしている、すばらしい瞬間の映像で、見入ってしまった。

「憧憬の地 ブルターニュ」@国立西洋美術館 5/14

 上野の国立西洋美術館に行った。

国立西洋美術館憧憬の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷

 時間指定入場券はこの連休明けから廃止されたそうで、いきなり行って当日券を買うという、以前なら当たり前だったことを久しぶりにやったのだけど、逆に、並ぶのではないだろうか、入れるのだろうか、などと戸惑ってしまう。何が良いことなのかもうわからない。

*

 ブルターニュとはフランスの西北部、大西洋に突き出した半島のあたりの地名で、どちらかと言うと“フランスの田舎”といった地方なのだろうけれど、南フランスのような明るい風土でもなさそう。──19世紀末から様々な画家がブルターニュを訪れて描いた作品が集められている。国立西洋美術館自身の所蔵品や、日本国内の各地からの作品が中心になった展示のようだ。一部撮影可。


 モネの『嵐のペリール』。



 妙に土俗的に見えてしまうのはゴーガンが描くせいだろうか…

 面白かったのは、アンリ・リヴィエールの多色木版画の作品群。これがまるで浮世絵のような作風なのだ。落款に似せた赤い四角にごにょごにょした図形が入ったマークなんかも入れてある(どこまで意味がわかっていたのだろうか、という気もする)。『薄暮』というカラーリトグラフの、空や雲の表現など、まるで明治の新版画のようで、淡い色の重なりがとてもきれい。

*


 大きな画面で圧巻だった、シャルル・コッテ『悲嘆、海の犠牲者』


 その後ろには陽気なステージが。リュシアン・シモン『庭の集い』。光と影…

 最後の展示はこの時代の日本人洋画家の作品。西洋絵画の模倣のようなものばかりであまり面白くない…と思ったのだけど、


 黒田清輝の『ブレハの少女』。ブレハというのはブルターニュ半島の北側にある小さい島の名前らしいが、この絵はちょっと強い印象。異様な風貌、貧しい身なりの女の子に、左側から光が当たっている。黒田清輝ってこんな絵も描いたのか。

「myTimeline」の仕様(5/6時点)

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 続き。「俺のついったー」を作ることにした私。

 5月6日時点で、俺の短文ブログ自動投稿システム(「myTimeline」)は、おおまかに下記のような機能仕様を実現した。──短文と画像を都度入力し、一日分をまとめてブログへ自動投稿する処理。

●入力(Googleフォーム)
 本文と添付ファイル(画像)を入力。

●テーブル1(Googleスプレッドシート
 Googleフォームからの入力情報を保存。

●テーブル2(Googleスプレッドシート
 はてなフォトライフRSSを日次で取得。

●処理1(Google Apps Script)
 フォームからの投稿をトリガに起動。
 添付ファイル(画像)がある場合、はてなフォトライフにアップロード。

●処理2(Google Apps Script)
 日次で起動。
 テーブル1からN-1日分のデータを投稿日時の降順で取得し、はてなブログへの投稿データを編集。
 データに添付ファイル(画像)がある場合、テーブル2からはてなフォトライフのURLを取得し、投稿データに埋め込む。
 はてなブログAtomPubを利用して、N-1日の記事としてはてなブログへ投稿。
 投稿先がこれ↓
jawa-jawa-tw.hatenablog.jp

 入力と処理をGoogle Workspaceで作り、出力先をはてなに全振りした形だ。テスト投稿などで、はてなに負荷をかけてしまっていたら申し訳ない(一度、スクリプトのループを閉じそこなって無限にカラ投稿をしてしまって、冷や汗をかいた)。スパムブログではありませんので…。

 今後開発したいのは、自分用に、テーブル1(の最新○件)をいいかんじで参照できるウェブアプリ。あとは、テーブル1が大きくなると処理が遅くなりそうなので定期的に削除する処理を作るかどうか、というところ。

木嶋真優 「四季」with String Ensemble @町田市民ホール 5/6


 ヴィヴァルディの『四季』とピアソラの『ブエノスアイレスの四季』をかけ合わせるというのは、ギドン・クレーメルによる名盤(『Eight Seasons』)*1がすでにあるし、たしか他のヴァイオリニストの方もやっていたような…やってみたくなるネタなのかなあ、などと思いながら、地元・町田市民ホールに行ってきた。木嶋真優さんというスターを囲むアンサンブルは弦楽8人とチェンバロなのだけど、合わないようで合ってる、というかむしろなんでそれで合うの?といった感じの、不思議な支え方だった。ヴィヴァルディはだいぶアヴァンギャルドな演奏だと思った、「冬」なんて特に。──いいね、と思って休憩時間にCDを買ってしまったのだが、えー、アルバムにはピアソラは入ってないの…

・ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」
 協奏曲 ホ長調「春」Op.8 No.1 RV269
 協奏曲 ト短調「夏」Op.8 No.2 RV315
 協奏曲 ヘ長調「秋」Op.8 No.3 RV293
 協奏曲 ヘ短調「冬」Op.8 No.4 RV267
ピアソラ山下康介編曲):ブエノスアイレスの四季
 ブエノスアイレスの秋
 ブエノスアイレスの冬
 ブエノスアイレスの春
 ブエノスアイレスの夏


-encore-
・アレクセイ・イグデスマン:ファンク ザ ストリング
伊藤心太郎恋するフォーチュンクッキー

*1:いまでも愛聴しているが、いま調べてみたらこれは1997年の盤だったのか。ブエノスアイレスの夏に北半球の冬が突っ込んでくるところとかがすごく好き。

LFJ2023 “Beethoven”

 4年ぶりのラ・フォル・ジュルネ東京です。東京国際フォーラムで、5/4、5、6の三日間開催。5月5日(金曜)に日比谷へ出かけました。


ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2023「Beethoven ─ベートーヴェン」

 聴いたのはこれ。

公演No.223 5/5(金) ホールC“エレオノーレ”15:30-16:15
・ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 op.97「大公」
 萩原麻未(pf.)/神尾真由子(vn.)/横坂源(vc.)

 かなり贅沢な顔ぶれのプログラム。──そして、座席が、まさかの、1列目でした。前日に発券したチケットをよく見てなくて、会場ドアを入ってから目をむきました。ステージに演者が現れたとき、白いドレスの神尾真由子さんの姿に客席から溜息が一斉に上がっていました。おきれいな方ですよね。萩原麻未さんも、この方がもう三十代半ばの中堅世代であることにちょっと意外の感を受けてしまいましたが、そりゃそうだ、もう2023年なんですから(すごく若い新人ピアニスト、みたいなイメージをいまだに持っていた)。

 国フォのホールCでピアノトリオという、普通に考えたらちょっと無理のある会場設定でも、最前列で聴けたらそれはすばらしいことです(すこし見上げるような体勢になってしまうことを除けば)。ヴァイオリンとチェロの交わし合いみたいなところの妙味を感じられたのは、これだけ近ければこそかも。ピッツィカートは、これこの会場でどう聞こえてるのかな、とは思ってしまいましたが。しかしそんなささやくようなところから、重音をぐいぐいと弾きまくるフォルテまで、レンジの広い演奏を最前列で浴びて、楽しめました。萩原麻未さん、なんだか、全身を体重移動しながら弾いているかのように見える、すごい弾き方をするかたなんですね。とても息のあったアンサンブルでしたし、熱演でした。アンコールはなし、カーテンコールでは3回くらい出てきて、最後は萩原麻未さんがにこにこしながらお手振りして、おしまいでした。

*


 4年ぶりのLFJ東京。有料公演の会場はホールA・C・D7の3つだけ、プログラム数はほとんど半減、海外アーティストの招聘も減りました。地下の展示ホールは開放されず、物販や放送ブースなどはガラス棟の地階で狭苦しくやっていました。そんな、昔と比べたら淋しい状況ですが、KAJIMOTOが擁する日本人演奏家のプログラムが増えてるようなのは良いことだと思います(この日はこの前に前橋汀子さんが出演していたそうです)。

 でも、規模は小さくても、それでも、ちょっと感慨がありました。よく復活させてくれたものです。年に1回の仕事を3回も飛ばしたら、もう一度作り上げるのは、組織にとって大変なことではなかったかと思うのですが。──中庭ステージから聞こえてくるヴァイオリンの演奏を聴きながら、ぼくもビール飲んで、屋台飯とか食べちゃって、LFJ東京というフェスの空気を吸ってから帰りました。

都営西台アパート

 板橋区にある、都営三田線の西台というところ、地下鉄の車庫の上の人工地盤に、巨大で見るからに堅牢そうな都営アパートが4棟、どかんどかんと並んで建っている。昭和四十年代のものらしいがよく整備されていて、レトロフューチャーというのか、ちょっとした空中都市のような感じで、夢中になっちゃう雰囲気だった。そんな城塞のような都営アパートから道路を1本挟むと新しめのマンションなどが建っていて、時代が全然違うのにも感心した。

Twitterを凍結されたので「俺のついったー」を作った話

 前回の続き。

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 スマートフォンとPCのどちらからも共有してテキストを保存できれば、あとは適当なタイミングでまとめてブログに投稿すれば可用性も保てる、というかそういう作業に適した形で保存できればよいわけだ。自分でサーバを立てて云々、というのが伝統的な解決策なのだろうけど、ぼくにはハードルが高い。だが、GoogleフォームとGoogleスプレッドシートを使えばそれっぽいことができるんじゃないかな。──と思い立ち、仕事の昼休みにスマートフォンでぷちぷちやっていたら、あっという間に、投稿を受け付けるフォームと、それをタンキングするスプレッドシートができてしまった。

 面白いなこれ、と思いながら帰宅した夜に、Googleスプレッドシートからテキストファイルをダウンロード(このときはtsv形式にした)して、そこから1日分を抜き出してブログ投稿用の形式に加工するExcel VBAを作った。これを使って1日に1回、ブログに投稿する作業をする、というのもアリなのでは、と思った。ウェブへの投稿自体は急ぐことはないのだ。──従来使っているはてなのアカウントでもう1つのブログを作り、Twilogがツイートの取得を停止した2023年4月5日以降のツイートをそこにタンキングしていたので、そのブログに投稿するようにした。

*

 しかし、調べてみると、Googleスプレッドシートというのはスクリプトを書くとGmailと連携できたりするらしい。はてなブログにはメール投稿機能があり、専用のメールアドレスにメールを送信すると、その本文がブログの記事本文に、件名が記事のタイトルになる仕組みがある。──というわけで、下記の流れを作った。

  1. Googleフォームでテキストの入力を受け付ける。
  2. 入力されたテキストはGoogleスプレッドシートにタイムスタンプつきで保存される。
  3. Googleスプレッドシートから1日分のテキストをタイムスタンプの降順で取得して、年・月・日・時・分・秒つきでいいかんじの形に編集し、はてなブログの投稿用メールアドレスにGmailで送信する処理」をGoogle Apps Scriptで作り、トリガーを設定して1日1回起動する。

 これで、1日分の短文をまとめてブログ投稿する処理を自動化できてしまった。日次処理なので、公開はリアルタイムではなくディレイであるにせよ、「俺のついったー」の完成である。なんだそれ。

jawa-jawa-tw.hatenablog.jp

*

 覇権から離れざるを得なかったら、俺は俺のやり方で行くぞ、という気持ちである。何を言っているのか自分でもよくわからない。

 ただ、1日分の投稿をする処理は、どうしても24時以降に動かさざるを得ず、はてなブログのメール投稿は投稿日が必ず現在の日になってしまうので、N日分のテキストをN+1日の日付で投稿することになってしまう。ブログの記事の投稿日など、後からいくらでも手で直せてしまうのだが、人が手でやる処理を必ずはさむ運用は感心しない。ある程度は自動で処理をしたい。──あと、やはりこの「俺のついったー」の問題点は、テキストは処理できるけど画像が添付できないことだ。何か解決方法がないか、考えている。(はてなブログにもはてなフォトライフにも、APIがあるらしいな…)

Twitterを凍結された話

 突然だった。4月21日(金曜日)の夜、Twitterのアカウントが凍結された。異議申立てをしたが返信はなく、凍結の理由は示されない。

 昨今のAPI規制の流れで、Twilogがツイートを取得できなくなったのが2023年4月5日だった。ぼくはTwitterを、2009年7月から使ってきて、気づけば、自分のライフログとしての機能を、TwitterTwilogに大きく依存してきた。Twilogに記録された自分のツイートがあるからこそ、「あのとき何があったか」を思い出せるのだ(思えばいろんなことがあった)。もちろんすべてのことをTwitterに書いて公開していたわけではないにせよ、「そのとき書いたこと」があるからこそ、「そのとき書かなかったこと」も浮かび上がってくる。Twilogがなければ、ぼくのこの14年間は記憶の泥沼に沈んでいるだろう。

 Twilog自体の消滅の可能性も見越して、あわててTwitterに自分のツイート全件のログをダウンロードリクエストを出して、JSON形式のそれ(2023年4月6日時点で59,960件(リツイート含む)だった)を、Excel VBAを組んで加工したりしていた。Twilogに代わる、ツイートをタンキングする仕組みを作らなくちゃなあ、と考えていた矢先に、ほかでもないTwitter自体を奪われることになるとは、まったく考えていなかった。

*

 はからずも、「自分にとって、Twitterとは何だったのか」を、考えることになった。そんなことを考えさせられるのにはうんざりなのだけれど、それはともかく、Twitterを通して自分が得ていたものは、大きく分けると次の3つだったと思う。

(1) Twitter(だけ)を通してやりとりしていた方々とのつながり。

(2) 自分のライフログ機能。何年何月何日、何時何分何秒に、自分がどこにいて、何をしていたか、何を感じていたか。それをストックして、後から振り返られること。これはTwilogという存在がなければ機能しないものだったと言える。

(3) 世の中のニュース、カルチャーや、ニッチな情報、すべてへの入口。積極的に求めなくても目の前にフローとして情報が存在する、これはやはりすごい仕組みだった。

 ──ぼくにとってはやはり、なくてはならないものだったんだなあ、と改めて思う。

 この3つのうち、(1)は、もう、失うしかないのだろうと思う。とても残念だけれど。(3)については、代わるものを見つけなければならないなあ、どうあっても。だが、Twitterに匹敵するプラットフォームって結局のところ今はまだないと言わざるを得ないのでは。とくに非常時にはとてつもなく有用だった。次に大災害が起きたとき、そのとき自分はTwitterのない時代を生きなければならないのだな、と考えてしまう。

*

 さしあたって、(2)が問題だ。そんなの、自分で日記帳でも書いてればいい話だが、そういうモンダイじゃないんだよね。

 TwitterTwilogによる、自分のライフログ機能。これの代替をどうするか?について、いろいろ考えていたが、ライフログという角度から自分にとって必要な機能は、具体的には以下のようなものだと思った。

  • 年・月・日・時・分・秒つきの短文を、
  • スマートフォンとPCで共有して投稿でき、
  • 保存し、
  • それが、後から検索しやすい形であること。

 短文をその都度、ブログにpostしてしまうという手もあり、おそらくそれが最も手っ取り早い方法なのだけど、1投稿が1記事になるのがどうにも煩雑だ。ブログというのはそういう風に使うものではないよなあ。スマートフォンのメモアプリでは、PCとの共有が手間だ。LINEの「Keepメモ」(自分との自問自答みたいなやつ)は、テキストで取得できるが、時刻が時・分までしか表示されないのが惜しいし、PC版アプリではアクセスできない?。インターネット上のマイクロブログは、他にも、新しいものから伝統的なものまでいろいろあり、mixiボイスなんていう懐かしいものがあるのも思い出したし、Instagramってどうやればテキストだけ投稿できるの?とか、雰囲気がなじめず敬遠してきたがFacebookだってある。だが、どれも、後からの利用のしやすさに難がある、またはわからない。MastodonとかTumblrとかを、今そのために使うのも、ねえ(結局、覇権がないサーヴィスを、今使うことに、自分が価値を見出せるか、という問題でもある)。可用性という点からはやはりTwilogは偉大な存在だった。──俺はTwitterがほしかったわけじゃない、TwilogのあるTwitterがほしかったのだ。

 続く。