night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

2/4(日)一乗谷朝倉氏遺跡


 永平寺のバス乗り場は、昔の京福電鉄の永平寺駅の跡だと思う。廃線跡で、今は自動運転車の実験がおこなわれているようだが…



 難しいんだろうなあ

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 さて、一乗谷に行ってみることにした。永平寺と一乗谷は山を隔てていて、一般的な交通路では分断されているが、観光客向けの回遊バスを、一日に何本か運行しているようだ。11時20分のバスで、急峻な山道を越えて、ものの15分くらいで隣の里に下りることができた。

 「復原町並」でバスを降りてみた。一乗谷朝倉氏遺跡は、越前を支配した戦国大名の朝倉氏が本拠を置いた城下町が発掘されている場所だ。町並って言っても、どんなものだろうね、と思いながら入ってみると…


 あっこれおもしろいかも


 こういうのって、建物がそのまま出てくるわけじゃないし、建物の柱がこういう加工です、なんて言われても、何を根拠に作るんだろう、とは思うのだけど、礎石の配置や出土した部材から、建物の構造を検討していくそうだ。土台の石垣なんかはそのまま水田の中に埋まっていたのだと説明を受けた。(後世の農民はそんな石がごろごろ出てくる土地で苦労してたんだろうなあ)


 もっと面白かったのは、朝倉氏の館跡、という敷地、そしてその後ろの山にある、庭園跡だった。


 庭園跡なんて言われても、何が残っているのかしら、と思いながら登ってみると、…ありゃ心字池じゃないか


 まさに庭園。ここまで残っているとは、びっくりした。


 ここにさむらいやお姫さまが住んでたと言っても、今は礎石のみ残る、夢の跡って感じだ

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 平面復原地区をのんびり歩く。──しかし、この谷あいに、一万人もの人口があったという説明だが、さすがにそれは本当だろうか、と思う。相当に過密な環境になったはずだし、人が住むということは衛生設備も必要だ。下流の福井市街あたりの平地に住んだ方がいいじゃないか、と思うのだが、戦国時代では、軍事的に守られる要害がなければ人口を擁することができず、人が住むならばこういうところになったのだろうか。


 「下城戸跡」の土塁と、巨石の石積み。この谷あいの城下町の、入口の城門だ。これもすごい迫力だ。