night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

東山魁夷展 @国立新美術館 12/3

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 月曜日、会期の最終日に、駆け込みで見に行った。大した混雑だったが、思いのほか好みであった。特に、北欧の風景や、ヨーロッパの街角を描いた絵など、風景の切り取り方が、とてもよい。──有名な、御射鹿池の絵(『緑響く』)も来ていた。むせ返るような夏の緑の空気が思い浮かぶ。

 正直なところ、東山魁夷がどれほどのものだろうか、と思いながら来たのに、思わず気になってしまったので、図録でも買おうか、と思ったものの、さすがに会期の最終日で、ショップが長蛇の列になっており、勢いをそがれてしまった。もっと早く来なくちゃいけなかったな。

国立新美術館>生誕110年 東山魁夷展
日経新聞>生誕110年 東山魁夷展

IDS! EVENT 2018“STAND UP!”@ Zepp DiverCity Tokyo 12/2

 坂本真綾さんのファンクラブイヴェント、今年はスタンディングのライヴです。台場のZepp DiverCity Tokyoへ出かけました。もはや整理番号とか特に気にせず、開演10分前くらいに入場。適当な位置に立ちました。

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 坂本さん、スタンディングのライヴは13年ぶりとのこと。その前にはタナボタとかもありましたね…あの頃は若かったので。私も四十を超えるとだんだんできなくなるじゃないですか。…といったMCがあり(まだ四十じゃないでしょ!と思いますけど…。)→ええー!!という声が上がり、「いや、がんばるよ、がんばるけどね」といったやりとりも。

 新曲をやります、と言い置いて歌った、『FLASH』という曲、真綾さんの歌のメロディと渋谷系的なバックがアンバランス。アレンジは誰なんでしょうね。──バンドはボーダーを着ることでおなじみの北川さんがバンマスで、この人はギターをジャカジャカとカッティングしてるとものすごく生き生きして見えますね。

 ちょっと思ったのは、スタンディングってことで、盛り上がる曲が多くなりましたが、そうすると、どうも同じような曲ばかりになってしまう、という問題があったような…。とくにPrivate Sky、マジックナンバー、Get No Satisfaction! あたりで感じましたが、もしかしたらオーディエンス側の乗り方の問題なのかも。

 坂本さん、最後のほうのMCで、来年の、三十代最後の誕生日に言及して、「3月30日が土曜日で、31日が日曜日なんだそうです。──曜日を言っただけです。」と話し始めました。盛り上がるオーディエンス。「ファンクラブのみなさんと会えたらいいと思います、そのときには座っていただいて…。ちょっと言いすぎました、におわせるだけにしようとしてたのに」ということでした。そういうことなら、カレンダーを空けときましょうかね…。

・DOWNTOWN
・stand up girls!
・Private Sky
・風待ちジェット
FLASH(新曲)
・明日は知らない(the band apartカヴァー)
・月の話
・空白
・逆光
・ハロー、ハロー
・Be mine!
マジックナンバー
・Get No Satisfaction!
・CLEAR

-encore-
・ユッカ
・シンガーソングライター

NHK交響楽団定期公演(第1897回/Cプログラム)@ NHKホール 11/10

 アリス・紗良・オットさんを見に、久しぶりのN響定期へ出かけた。ラヴェルのピアノ協奏曲、生で聴いたのは学生時代以来ではなかろうか。二楽章のどんよりしたところ、「灰色ワルツ」というフレーズが思い浮かぶ。とてもいい。オーケストラとの受け渡しに、指揮者だけでなくオケの奏者の方を食い入るように見ているのが印象的だった(あんな美人にあんなに見つめられたらやりにくいよね、とか思ってしまうくらい)。アリスさんは薄茶色みたいな丈の長いドレスに、ときおり、素足なのが見える。あ、ほんとにはだしで弾くんだ、なんて感心したりした。そこそこいい値段の席を奮発したけれどそれほどお顔はよく見えず、でも美人ですよね。前日はアンコールがあったようだけれど、この日はなかった。──後半はロメオとジュリエット。篠崎さんコンサートマスターN響、旋律の歌いかたが嫌味にならず、とてもいいと思った。なんというか、基礎体力がある感じの演奏、というか。このへんは指揮者のカラーなのだろうか。

ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
プロコフィエフ/バレエ組曲「ロメオとジュリエット」
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
ピアノ:アリス・紗良・オット

ナイトフォール(初回限定盤)(DVD付)
 物販で買って帰宅。

「ロシア絵画の至宝展」@東京富士美術館 10/24

 八王子の東京富士美術館に行った。

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 ぬめるような透明な波濤(アイヴァゾフスキー『第三の波』)は、絵の前に立つと圧倒される。光の美しい絵が多い。荒っぽい大地に沈む夕日、草原にかかる夕虹、かがり火に照らされる女性、森の中の陽だまり…。

東京富士美術館>国立ロシア美術館所蔵 ロシア絵画の至宝展 夢、希望、愛─アイヴァゾフスキーからレーピンまで

M-Smile Presents HALLOWEEN PARTY 2018 ~EMMA~ @山野ホール 10/20

 茅原実里さんのファンクラブイヴェント、なんと今回はお芝居。代々木にある山野美容専門学校のホールが会場でした。激しい雨が降り出す中、入場。今回から電子チケットが採用されていて、スマートフォンの画面に電子スタンプを押されるということになっています。手元に物が残らないという点では、なんとなく覚束無い時代になりました。

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 みのりんと「劇団5454」の方々、そしてスペシャルゲストこと、ギタリストの馬場さん(スナフキンみたいでしたね…。某ドラ○もんの曲を弾いたり、自由でしたね)。黄泉の国の閻魔さまに扮したみのりんが、まあスラップスティックなストーリーを繰り広げるというものでした。ここの閻魔さまは、やって来た魂たち一人一人に、やたら時間をかけてヒアリングをするので、順番待ちの魂が捌けずにスタッフの鬼をやきもきさせています…。

 FCイヴェントならでは的な、観客参加型の場面とか、FCスタッフの黒ちゃんとマネージャのしーちゃんが踊らされてたあたりは、可笑しかったですが。…ですが、結果的にかなりシリアスに落とし、そしてその落とした先のシリアスが、ぼくにはちょっと受け入れがたいものだったのが残念。──カラオケライヴ(奇跡/無限SPIRAL/Freedom Dreamer)も、握手会もあったけど、雨も降っていたのでさっさと南新宿駅に駆け込んで、小田急で帰宅。

矢部の廃線跡

 自転車で、米軍の相模総合補給廠と防衛省の官舎の間の道を走っていたところ…、

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 県営上矢部団地と道路の間に、線路があるのを見つけた。国鉄横浜線から米軍相模総合補給廠に続いていた引込線の跡である。昔の地図に、米軍基地内に線路が描かれていたことは覚えているが、今でも線路が残っているとは知らなかった。

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 第4種踏切?

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 米軍の敷地内に続いているが、基地内はすでにレールは剥がされているようだ。

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 横浜線の方向にたどってみると保育園やマンションの敷地に突き当たって、線路は途切れたが、マンション群の反対側に行くと、米軍の敷地との間の道路がこんなことになっていた。

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 位置的には昔の線路の形にぴったり合っているが、これはべつに昔のレールを埋めたものではないだろう。ここに線路が通っていた、という、ただのマークではないかと思う。

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「今昔マップ on the web」より作成:1/25000「原町田」昭和50年二改・昭和52.1.30発行、他)

 昔の地図を見ると、淵野辺の方向から分岐して横浜線に沿って矢部駅を過ぎた線路が、米軍基地内でスイッチバックしてから、基地内を半周するように敷かれていたようだ。赤い矢印をつけたのが、県営上矢部団地の横の廃線跡の場所。

10/18(木)鶯歌散歩、帰国

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 最後の日は、陶器の街として知られる鶯歌で買い物でもしようと思って、松山から9時56分発の台鉄の區間車(普通列車)に乗って行った。30分余りかかる。途中、樹林の車両基地に太魯閣号や普悠瑪号がいるのが見えた。──松山駅でも普悠瑪号が発車していく場面を見ていたが、数日後に宜蘭で脱線事故を起こすとは…。

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 鶯歌陶瓷老街、平日だからか人も少なく、のんびりした空気。ワゴンに大量にお茶碗が置いてあるような店から、一点ものの作家の作品を売るお店まで、いろいろある。四千元の曜変天目などにだいぶ心が揺らいだけれど、結局、買ったのはこれ。

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 油滴天目ですね。600元(約2,200円)。百年後くらいに変な由緒がついて鑑定団に出ます(笑)

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 機関車に引かれた莒光号がゆっくり走っていく。

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 線路を渡って南側に歩き、新北市立鶯歌陶瓷博物館へ。

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 台北縣が直轄市新北市に昇格したのは2010年のこと。

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 鶯歌の陶磁産業の紹介。

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 装飾タイル、きれい


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 二階では現代作家の展示があった。これは日本の陶芸作家、杉浦康益氏の作品

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 おや、奈良美智さん

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 林康夫氏という作家の紹介。特攻隊に取られた経験から、大空の闇に舞い上がる不安のイメージを表現している…といった紹介映像が流れていた。日本の現代の陶芸に台湾で出会ってじっくり見るというのも、考えてみれば不思議。

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 博物館の裏は、まぶしく静かな公園。ランタナが咲いていた。

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 躍進する新北市を表現(?)

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 鶯歌車站

 13時過ぎに鶯歌の駅前からタクシーに乗ったら、高速道路を通って、ものの30分たらずで、桃園国際機場の第一航廈に着いてしまった。そのくらいの距離だと知っていたからタクシーを奮発したものの(695元だった)、ちょっと早すぎたかな。──帰国便は、16時15分のキャセイ・パシフィック航空522便である。早々にチェックインして、空港のカフェテラスでサンドウィッチなどを食べ、お土産にお菓子などを買ったが、桃園空港の免税店はあんまり商売っ気がなく、上海の浦東空港でうるさいほどお菓子やお酒を勧められたのとは違う感じである。お酒も、紹興酒などのいかにも中華なものは、高価で、半ば埃をかぶっているようなものばかりで、ウィスキーなどの洋酒が中心で、手軽な値段なのは台湾啤酒くらいだった。

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 さて、帰国だ

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 成田空港に着陸したのは夜の20時20分頃だった。キャセイ、行きも帰りも、着陸のときにタイヤが接地する瞬間が、滑るようななめらかさで、感心してしまった。21時45分の町田バスセンター行きの最終のバスに乗って帰宅。■

10/17(水)夜の鹿港老街

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 高鐵嘉義車站のホームからの眺め。平原だなあ

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 高鐵嘉義車站から北行の列車に乗り込んだのは15時32分。意外に遅くなってしまった。

 26分で台中に着いた。──鹿港に行ってみようと思ったのだけど、高鐵台中車站から鹿港に直行するバスの乗り場を見つけられず、見つけたときにはちょうどバスが出てしまった。仕方なく、151番というバスに乗って台中の市内に行き、“朝馬(臺灣大道)”という停留所で降りて道路の反対側に廻り、鹿港行きのバスを待ち受ける。

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 この、鹿港行きの路線バスというのが、9018番というもので、マイクロバスなのであった。やって来たバスにはなんと満員で乗れず、どうやら次のバスは50分後なので、困ったな、と思ったが、だが地元の人たちがへこたれる様子もなく並んでいるということは、バスが来るのではないか、と期待しながら待っていると、はたして、時刻表に載っていないバスがやってきた。持っていた悠遊卡(交通ICカード)はすでに残額がほとんどなかったので、運転士のおっちゃんに、多少銭、と聞いたら「ジウパー。」と一言。98元ね、ということで、硬貨を運賃箱に入れる。──9018番のバスは、中鹿客運というバス会社が運航する、台中市内から鹿港へ直行するバスで、地図的には高鐵台中車站のすぐ近くを通るのだが、高速道路を素通りしてしまう。

 終点は、鹿港總站という中鹿客運の営業所。すでに夜になっていた。──鹿港は日本統治時代より前に繁栄した街で、古い街並みが残っているという。夜の鹿港の街を探検…。

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 天后宮に潜入。

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 ちょっとくらくらときてしまう。

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 摸乳巷という路地。「すれ違うとお互いの胸が当たる」というような意味としてガイドブックには紹介されているが、そうじゃないだろ書いてある通りの意味だろ、と個人的には思うが、どうか

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 路地に突然現れる、清代に作られたという門。

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 鹿港、台中からもうちょっと楽に来られるかと思っていたのだが、思ったより時間がかかった。まあ、何も調べずに来るからいけないのだけど…。観光地ではあるものの、夜になるとすっかり地元の街で、老街も基本的に民家が並んでおり、開け放した居間で家族がテレビを囲んでいるのが見えたりする空間であった。

 卸売市場の近くに出ていた屋台で、餡子入りの今川焼的なものを買い食いしながら、中鹿客運の営業所に戻った。カウンターの兄ちゃんは、知り合いらしい女子高生と軟派な感じでじゃれあっていたが、ぼくが歩み寄って、一張到臺中、と言うと、96元、とキビキビと乗車券を発券し、にこやかに「七点二十。」と告げた。

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 19時20分、言われた通りの時刻に、帰りの台中行きのバスは発車した。

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 彰化インターから高速道路を通って、夜の台中市内に戻る。バスは市内に入ると、臺灣大道という大通りを走り、有名な台中オペラハウスのすぐ近くを通ったはずだが、すでに20時を過ぎ、さすがにこの時間から街歩きをするのはしんどい。──台中車站に着いたのは20時半頃だった。ここから高鐵台中車站に移動するのも逆に面倒なので、台鉄(在来線)で台北に戻ることにする。

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 真新しい台中車站の窓口で、21時00分の自強号(特急)の乗車券を買う。今回は松山まで買ったので389元だったが、台中から台北まで375元と掲示されていて、2005年に乗ったときと値段が変わっていないのに驚いた。

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 台中車站は新しい駅舎になったものの、大正時代のレンガ造りの旧駅舎が保存されている。前に来たときはこの駅舎だったな、などと思いながら眺めていると、なにやらプロジェクションマッピングをやっていた。

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 2005年11月に撮影した台中駅。

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 やって来た自強号は、前にも乗ったことのある、昔から走っている車両だった。

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 まだいたのね

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 前後に機関車がついている、プッシュプル式の列車で、客車は非常に静かだし、座席も広い。──順調に走っていたが、22時50分頃の桃園駅で動かなくなり、何かアナウンスが入ったが当然聞き取れない。しばらくしたら動いたものの、鶯歌でまた臨時停車した。対向の線路も電車が停まっているらしく、普通列車を待つ乗客の姿が見えた。後から知ったものの、このとき、人身事故があったということだった。

 松山に着いたのは定刻よりも25分遅れの23時50分だった。松山新店線の最終電車は24時00分発のはずなので、多少急ぎ足で捷運の乗り場に向かった。──やはり台北車站の近くのホテルに泊まったほうが楽だったな、と思う。

10/17(水)嘉義へ、故宮博物院南部院区

 近年、台湾南部の嘉義故宮博物院の分館ができたと聞いていたので、高鐵に乗って出かけることにした。

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 台北車站、高鐵の自動券売機。

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 台湾高鐡(高速鉄道)に乗るのは初めてだ。台北車站は在来線と並んだ地下ホームで、比較的狭い。だがこの狭さが、日本の地下の鉄道駅に通じる雰囲気があって、なんとなく親近感を感じる。

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 あ、来ちゃった。乗った列車は9時46分発。始発は台北の隣の南港であり、台北駅は途中駅なので、あわただしく乗り込む。

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 車両は、東海道新幹線がベースになった車両が走っていることで知られているが、たしかに、色合いが違うだけで、紛うことなき700系だね。

 平野の風景は日本によく似ているが、台中の手前で、ものすごく広い河原と三重になった河岸段丘を擁した大河が現れて驚いたりもして、地形は日本よりも大味だ。──嘉義までは245kmあるが、1時間半で着いてしまった。

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 高鐵嘉義車站。ホームに降りると、蒸し暑い。ここは北回帰線よりも南、熱帯モンスーン気候の土地である。

 高鐵の駅はどこも既存の都市からは遠く離れたところにできており、ここ嘉義車站も、平原の真ん中のようなところに忽然と現れた真新しい駅である。市内まではBRTが通っていて、高鐵の乗車券を持っていると無料で乗れるそうだが、「故宮」と掲示した105番という路線バスがいたので、それに乗ってしまった。バスはもちろん冷房が入っている。サトウキビ畑の中に広大な道路がまっすぐ引かれていて、ものの10分くらいで、整備された公園のようなところに入り、その一角のバス停留所に下ろされた。

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 なんだここは

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 すごいなあ、これは。──なんとなく理解した。南部の振興を目的とした、巨大な箱ものなのだね。橋を渡って博物館に入り、カウンターで、一張票、と言うと、無料ですと言われて、“免費参観券”を交付された。*1

國立故宮博物院南部院區

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 玉器のコレクションがすばらしかった。清朝の宮廷にはユーラシア各地から宝物が集まっていたのだ。

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 嘉慶22年にカシュガルから献上されたというインド製の玉器

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 これもインド製で、“乾隆御用”と彫り込まれているという

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 ムガル帝国時代のインドのもの

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 中央アジアから東欧のどこかのものだという

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 インドから渡来した玉の皿に、惜しげもなく文字を彫り込んでいる。こんな作業をやらされる工芸師の緊張感たるや、想像したくないな、などと思った。

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 オスマン帝国のものだって!

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 雍正年間の瑪瑙の茶杯。

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 嘉慶年間の翠玉の茶碗。

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 ここは大阪市立東洋陶磁美術館と協力関係にあって、伊万里焼のコレクションを展示している。

 昨年、ここ故宮博物院南部院区で、大阪市立東洋陶磁美術館から借り受けていた江戸時代の古伊万里、「染付柳鳥文皿」が、展示ケースの中で破損した、というニュースがあった。調査の結果、故宮博物院側の管理状態には問題がなく、自重によって自然に破損したものと結論づけられた…ということまでは当時の報道で知っていたけれど、それがその後どうなったのかは知らなかった。──なんと、その古伊万里は、日本側と協力して修復され、そしてここでは、専用の一室を用意してそれを展示し、その部屋には館員が一人立ち、修復に至る経緯を映像で流す、という、明らかに特別扱いをしていた。

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 見事に金継ぎされている。──ものには寿命がある、という当時の大阪のスタッフの言葉には、うなづけるし(それが日本的な考え方なのかどうかは、ぼくにはわからないけれど)、金継ぎという修復手法の紹介にもなっているし、なにより、故宮博物院が講じているこの特別扱いには、むしろ、頭が下がる思いがした。

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 その他、乾隆帝の時代の文物の特集展示や…、

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 中国は歴史的に仏教が衰退した国なので、仏教文化の遺物はあまり厚くないのだけど、これは美しい。メモし忘れたけど、唐朝のものだと書いてあったかと思う

 台湾の原住民の衣装の展示など。

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 アミ族の装束。黒い人形のようなモチーフが連続している

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 “故宮南院”、真新しい施設で、ほとんど人がいないのも相まって、静かで、とてもよかった。展示の物量に対して施設の規模が過大ではないかとも思えるが、近々、台北故宮博物院が修復工事に入るため、展示物が南院に移る、というニュースもある。そういうことのための施設でもあると考えれば、これだけの規模でも、足りないくらいだろう。そのときには高鐵嘉義車站との間のバスも増えたりするのだろうか。

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 レストランで牛肉麺を食べて食事していたら、盛大な演奏が聞こえてきたので何かと思ったら、ロビーで、中学生のブラスバンドが演奏している。制服に「水上國中」と書いてあるので、近在の国民中学の吹奏楽部らしかった。

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 また路線バスに乗って、高鐵嘉義車站に戻ることにした。故宮博物院南部院区のバス停には、いくつかの路線が表示されているが、どのバスが何時に来るのか、見比べるのは、正直、よくわからない。他にバスを待つ人もいない。来たバスにとりあえず「カオティエチョーチャン(高鐵車站)?」と訊くのを繰り返し、3台目でうなづかれたので、それに乗った。

*1:後から知ったが、10月17日は“台湾文化の日”として無料参観日になっていた。

10/16(火)まだまだ國立故宮博物院

 玉器にも見惚れる。

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 唐朝の玉の簪ですって!

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 七宝。これなんか指先くらいの大きさしかないんですよ

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 これは民国時代の「碧玉屏風」。汪精衛が昭和天皇に贈り、日本の敗戦後に返還された、という説明が、中国語と英語で書いてある。いわゆる“汪兆銘政権”と、いまにつながる国民政府の、連続性やいかに…などと一瞬考えてしまったけれど、それを日本人であるぼくが言うのは、野暮というものだろう。

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 謎の技術、象牙多層球。いったいどうなっているのだ、これは

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 書画のコーナーは撮影禁止のものが多いのだけれど、夏珪の『渓山清遠』など、とてもよい水墨山水絵巻だった。

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 字面に目が吸い寄せられたのは否めないのだけれど(?)、これは見事。情景が目に浮かぶ。全文は「籠庭水樹宜涼影 匝砌煙花帶露姿」だそうだ。

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 乾隆18年に郎世寧が描いた、“知時草”の絵画だそうだ。清朝の宮廷につかえた幻のイタリア人、ジュゼッペ・カスティリオーネである。

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 これはレプリカを撮影したものだが、元代の趙孟頫の『鵲華秋色図』である。──長年にわたって受け継がれてきたこういった書画は、余白を埋め尽くすように、幾人もの皇帝が、これでもかというほどに賛を書き加え、収蔵印が捺されている。目につく収蔵印は、『太上皇帝之寶』、『乾隆御覧之寶』、『嘉慶御覧之寶』などなど…。『宣統御覧之寶』を見つけたときは、おお、と思った。乾隆帝は、賛を書き印を捺すのに飽きたらず、この『鵲華秋色図』には、”鵲 華 秋 色”と、見出し(?)を大書してしまっている。乾隆御筆、と来たものだ。

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 乾隆帝の御筆と言えば、王羲之の『快雪時晴帖』に“神”と書き加えてしまったのが有名だが、あれは陳列されていなかったものの、王羲之は『平安何如奉橘三帖』が出ていた。これもレプリカを撮影。

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 『乾隆御覧之寶』の収蔵印は、売店でシールを売っていた。(買った^^)

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 こういう文人の書斎、よいなあ。

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 孫中山先生の像にごあいさつ

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 有名な、國立故宮博物院のコインロッカー。

 別館のレストランで食事したりしながら、結局、16時半頃まで故宮博物院にいた。大満足であった。──午前中に押し寄せる団体客の大群と、午後にやって来る団体客の波は、すさまじいものがあったが、その間のお昼頃には、奇妙な静けさの中で見物できる瞬間があったりもした。

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 ショップの紙袋を下げて、博物院を辞す。──正門の前の路線バス乗り場でしばらく待っていると、”小18”という番号の路線バスが来て、捷運士林站を通るようだったので乗り込む。博物院の前からバスに乗った観光客には日本人の老夫婦がいたが、車内のアナウンスを聞きながら「いま士林て言ったかなあ」という感じで心もとない様子だったので、下りるとき、「士林駅ですよ」と注意喚起する。──捷運士林站でバスから降りて、メトロ淡水線の高架を目指して繁華な中正路を歩いていると、雨が降ってきた。士林夜市に寄ってみようかとも思っていたが、疲れてもいるし、いったんホテルに戻ることにした。メトロを乗り継いで松江南京へ。夕方で、近くの高校から下校する生徒の群れにもみくちゃになったりしながら、ホテルに帰った。

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 部屋に戻ったら、デスクに日の丸が。ホスピタリティ? 朝には日本語情報誌のようなものも差し込んでくれたし、悪い気はしない。

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 この日は、雨も上がったのでまた改めてホテルを出て、メトロで松山(ソンシャン)に行き、饒河街夜市を見物。──鶏肉飯を食べて、湯圓を食べて、さらに豆花も。

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 松山慈祐宮。夜市の入口近くにそびえる巨大な道教寺院だ。──神像の前で人々が熱心に祈っているが、ときおり、木のようなものを石の床に落とす音が聞こえる。

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 祈りながら、ときどき、この丸っこい赤い木ぎれを床に落として、何かを占っているらしい。

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 松山からの帰りは路線バスで。

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 南京東路は、中央にバスレーンが設定され、停留所も、そのバスレーンの中に、島のようにホームが作られていて、まるでBRTだ。南京建國路口で下りると、地下鉄の駅よりも、ホテルに近いところに着いた。