高鐵嘉義車站のホームからの眺め。平原だなあ
高鐵嘉義車站から北行の列車に乗り込んだのは15時32分。意外に遅くなってしまった。
26分で台中に着いた。──鹿港に行ってみようと思ったのだけど、高鐵台中車站から鹿港に直行するバスの乗り場を見つけられず、見つけたときにはちょうどバスが出てしまった。仕方なく、151番というバスに乗って台中の市内に行き、“朝馬(臺灣大道)”という停留所で降りて道路の反対側に廻り、鹿港行きのバスを待ち受ける。
この、鹿港行きの路線バスというのが、9018番というもので、マイクロバスなのであった。やって来たバスにはなんと満員で乗れず、どうやら次のバスは50分後なので、困ったな、と思ったが、だが地元の人たちがへこたれる様子もなく並んでいるということは、バスが来るのではないか、と期待しながら待っていると、はたして、時刻表に載っていないバスがやってきた。持っていた悠遊卡(交通ICカード)はすでに残額がほとんどなかったので、運転士のおっちゃんに、多少銭、と聞いたら「ジウパー。」と一言。98元ね、ということで、硬貨を運賃箱に入れる。──9018番のバスは、中鹿客運というバス会社が運航する、台中市内から鹿港へ直行するバスで、地図的には高鐵台中車站のすぐ近くを通るのだが、高速道路を素通りしてしまう。
終点は、鹿港總站という中鹿客運の営業所。すでに夜になっていた。──鹿港は日本統治時代より前に繁栄した街で、古い街並みが残っているという。夜の鹿港の街を探検…。
天后宮に潜入。
ちょっとくらくらときてしまう。
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摸乳巷という路地。「すれ違うとお互いの胸が当たる」というような意味としてガイドブックには紹介されているが、そうじゃないだろ書いてある通りの意味だろ、と個人的には思うが、どうか
路地に突然現れる、清代に作られたという門。
鹿港、台中からもうちょっと楽に来られるかと思っていたのだが、思ったより時間がかかった。まあ、何も調べずに来るからいけないのだけど…。観光地ではあるものの、夜になるとすっかり地元の街で、老街も基本的に民家が並んでおり、開け放した居間で家族がテレビを囲んでいるのが見えたりする空間であった。
卸売市場の近くに出ていた屋台で、餡子入りの今川焼的なものを買い食いしながら、中鹿客運の営業所に戻った。カウンターの兄ちゃんは、知り合いらしい女子高生と軟派な感じでじゃれあっていたが、ぼくが歩み寄って、一張到臺中、と言うと、96元、とキビキビと乗車券を発券し、にこやかに「七点二十。」と告げた。
19時20分、言われた通りの時刻に、帰りの台中行きのバスは発車した。
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彰化インターから高速道路を通って、夜の台中市内に戻る。バスは市内に入ると、臺灣大道という大通りを走り、有名な台中オペラハウスのすぐ近くを通ったはずだが、すでに20時を過ぎ、さすがにこの時間から街歩きをするのはしんどい。──台中車站に着いたのは20時半頃だった。ここから高鐵台中車站に移動するのも逆に面倒なので、台鉄(在来線)で台北に戻ることにする。
真新しい台中車站の窓口で、21時00分の自強号(特急)の乗車券を買う。今回は松山まで買ったので389元だったが、台中から台北まで375元と掲示されていて、2005年に乗ったときと値段が変わっていないのに驚いた。
台中車站は新しい駅舎になったものの、大正時代のレンガ造りの旧駅舎が保存されている。前に来たときはこの駅舎だったな、などと思いながら眺めていると、なにやらプロジェクションマッピングをやっていた。
2005年11月に撮影した台中駅。
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やって来た自強号は、前にも乗ったことのある、昔から走っている車両だった。
まだいたのね
前後に機関車がついている、プッシュプル式の列車で、客車は非常に静かだし、座席も広い。──順調に走っていたが、22時50分頃の桃園駅で動かなくなり、何かアナウンスが入ったが当然聞き取れない。しばらくしたら動いたものの、鶯歌でまた臨時停車した。対向の線路も電車が停まっているらしく、普通列車を待つ乗客の姿が見えた。後から知ったものの、このとき、人身事故があったということだった。
松山に着いたのは定刻よりも25分遅れの23時50分だった。松山新店線の最終電車は24時00分発のはずなので、多少急ぎ足で捷運の乗り場に向かった。──やはり台北車站の近くのホテルに泊まったほうが楽だったな、と思う。