ヴァンジ彫刻庭園美術館から案内に沿って住宅街のへりを歩いて行くと、窪地の自然公園に導かれる。
吊り橋が現れた。しかも2本連続してかけてある。
谷底にいた少女の像
谷の反対側の斜面を登ると、ぞわっとするような昆虫の作品が現れた
ここもスルガ銀行の岡野喜一郎氏が、1973年に建てた美術館だ。ビュフェというのは、1928年にパリ17区生まれ、1999年に亡くなった、つい最近の人なので、存命中にこういうものを極東の片田舎に建ててしまったというのはすごいな。
ビュフェの絵、細い線も太い線も、とがって刺してくるような、ぞわぞわするようなアブナさがある。はまってしまう人がいるの、わかるような気がする。くすんだ人気のない風景に、灰色の線。吊るされた鶏の静物画なんて、鶏が手を合わせているようで、強烈な印象だった。
この作品も何かが迫ってくるようだった。『キリストの十字架からの降下』(1948年)。マリアに見立てているのは彼の母だという。ビュフェの母親は終戦の年の秋に亡くなったとのこと。
不安で不健康な戦争の時代を経て、戦後に人気アーティストになった彼は、数々の有名人──ジャン・コクトー、ジャン=ポール・サルトル、ボーヴォワール、ジュリエット・グレコ、イヴ・サン=ローラン、フランソワーズ・サガンなどといった名前が挙がる──と交流し、運転手つきのロールスロイスに乗ってシャトーに住むという生活をして、イメージが違うぞと(?)叩かれたりもしたらしい。いろんな意味で時代のスターだったのだろうし、そういう生活の中で画風もどんどん変わっていったのだろう。彼の描くサント・ヴィクトワール山なんて、もはや平べったい大きな岩の板のような、何かの象徴、イコンのようだな、と思った。
1958年には人気歌手と結婚したそうだ。奥さんを描いた、『夜会服のアナベル』(1959年)。
『二輪の百合』(1955年)。
大画面の作品も多くて、サクレ・クール寺院の絵も魅力的だったし、ドン・キホーテの絵も「わー」って両手を挙げているサンチョ・パンサの姿がいちいち面白くて笑ってしまったし、キリストの受難の絵がかけられた大展示室は圧巻だった。
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閉館時間になると、夕方の寒さが忍び寄ってきていた。またシャトルバスで三島駅に戻った。
帰る前に三島の駅ビルでお寿司を食べた。