night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

10/12(水)留萌本線とバスで増毛へ


翌朝のホテルの部屋からのビュー




旭川駅、市街地の反対側は、緑あふれる公園になっていた

旭川駅、ホームへの階段もしゃれている


 翌日は、旭川10時30分の特急『ライラック18号』札幌行きに乗った。次の停車駅は深川で、19分で着く。早々と下りた。


 深川は留萌本線の乗換駅で、1両のディーゼル車が入って来た。次の留萌本線は11時10分である。


 深川駅。急に平成初期のような視界になったぞ…


 留萌本線日本海側の留萌に向かう路線で、深川からは一日に7本の普通列車が出ている。つい最近、2016年まではさらに留萌の先の増毛というところまで伸びていたが廃線になっている。来春にはさらに途中の石狩沼田から先が廃線になることが決まっている。──そんなローカル線なので、どれだけの客が乗るのだろう、と思っていたら意外に混んでいて、座席は埋まってしまい、さらに札幌方面からの特急列車から乗り換えてくる人も10人以上いて、おそらく40人以上が乗って留萌行きは発車した。ぼくはクロスシートには座れず、車両の後ろの方のロングシートの部分に腰掛けた。ローカル線にしてはかなり混んでいる方ではないかと思うが、旅行者と地元の人の区別はぼくにはあまりつかない。

 広々とした平野を走って行くが、はるか遠くには暑寒別の山並みが見える。秩父別、石狩沼田で何人か下りたがまた乗ってくる人もいた。石狩沼田の次の恵比島を過ぎると、留萌管内への山越えになる。大多数の人は留萌まで乗り通すようだった。


 秩父別駅。ハロウィンのかぼちゃの飾りつけが


 恵比島駅は、『すずらん』という平成11年の朝の連続テレビ小説で「明日萌駅」として登場したのが、残されているそうだ

 車窓には並行する高速道路が見えて、これは「深川留萌自動車道」という無料の高速道路が道央道から分かれて留萌まで通っているものである。鉄道が廃止になることについてはいろいろな意見があるのだろうが、地域間の交通路がなくなるわけではないし、高速道路ができたんじゃあねえ、という気もする。日に7本、1両のディーゼルカーに何十人かばかり乗っていたところで、それ以外に何も運べない交通機関になってしまった、それが現実なのかもしれない。


山越え

 車内はぽかぽかと暖かい。地元の人と、久しぶりに帰ってきたようなことを言っている人が、このあたりも家がなくなったなあ、そこにも何軒かあったよねえ、などと話している。峠下という林の中の駅(ここも昔は集落だったようだ)を過ぎると、川に沿って下り、留萌の市街に入って行った。──終点の留萌駅に着くと、一つしかない改札口に乗客が大渋滞になった。


 本当に、写真を後から見返して驚いているんだけど、雰囲気がまるで平成初期だ

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 留萌駅

 留萌市は人口2万人、道庁の支庁も置かれ、そもそも鉄道が伸びてきていることからも、戦前までは日本海側の拠点になる港町だったようだが、鰊も炭鉱もなくなって、今また鉄道もなくなろうとしている。


 窓口はつぶされているものの、札幌へ直通の高速バスが一日に7本あるようだ。しかもここは北海道中央バスのターミナルで、留萌と札幌の間にはさらに沿岸バスが4本ある

 沿岸バスの営業所で一日乗車券を買い、大別苅行きのバスに乗って、増毛に向かう。


 なんだか様子がおかしいが、沿岸バス(株)さんはこういう感じで知られている

 留萌から増毛までは日本海に沿って、海岸線と山肌の間のわずかな平地に、国道と、荒れ地、ときおり集落が現れる。鉄道の廃線跡も通っているはずだがバスの中からはよくわからない。礼受や舎熊といった地名は、鉄道があった時代の駅名だったはずである。


 「旧増毛駅」でバスを降りた。


 留萌本線の留萌ー増毛間は、大正10年に開通し、平成28年に廃止されたそうだ

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 増毛という町について、そもそも知らなかったのだが、明治時代は南の小樽の方から海運によって開拓が進んだので、留萌よりも増毛のほうが先に開け、支庁も最初は増毛に置かれていたのだそうだ。


 「旧商家丸一本間家」を見学。明治時代に呉服商・鰊漁・海運業などを手がけた豪商の家だそうだ。──日本海側で本間という名の豪商というと、庄内の酒田の本間家が思い浮かぶけれど、関係はないらしい。


 障子の桟が凝ってるんだよなあ


 この柄入りのすりガラスも、こんなの初めて見た


 紙調琴だそうだ


 切子のボウル

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 「國稀酒造」。日本最北の酒蔵だそうだ。試飲もさせてもらえる。


 お土産に、おいしいのを小さなサイズで買いたいのです、と言うと、300mlの特別純米酒を勧められた。

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 さて、この日は、留萌に戻ってから、沿岸バス(株)の路線バスで北上して幌延に至り、鉄道で稚内に向かうつもりだった。この「オロロンライン」と呼ばれる日本海沿いの道をたどりたかったのだ。感心することに、今から増毛(旧増毛駅)14時50分のバスで留萌に戻っても、そこから4時間近く、140km以上も先の幌延までのバスが、今日中にまだ2本もある。留萌駅前から、15時45分または17時05分のバスに乗れば、幌延からは夜遅くの最終の特急列車があって稚内までたどり着くことができる。──できる、はずだった。


 増毛で食事をしながら、…何か変だな、と嫌な予感がして、改めてよく調べてみたら、自分の大失敗に気づいた。乗れると思っていた宗谷本線の最終列車、幌延22時53分の特急『サロベツ3号』は、実は毎日運転の列車ではなく、この日は運休。その1本前、つまり今日の幌延から稚内への最終列車は18時40分で、沿岸バスでは間に合わない。幌延から稚内までの50kmあまりにはJR宗谷本線以外の交通機関はない。ここから旭川に戻ってもやはり稚内への交通手段はない。当日中に公共交通機関稚内にたどり着くのは不可能なのだった。

 稚内に行くのを諦めた。増毛の海風に吹かれながら、当日の朝に予約を取っていた稚内のホテルに電話をかけた。大変申し訳ないが時刻表を見誤り最終の特急列車が今日は運休と知らず今から今日中に稚内に行く手段がないのでキャンセルさせてほしい、と謝ったところ、キャンセル料は請求書を送ります、とのことで、それでお願いします、と伝えた。

 この手の失敗をしたのは初めてであったから、わりとショックを受け、うーむ、と落ち込みながら留萌に戻った。なんとか旭川にホテルを見つけて、来た道をまた戻ることになった。


 留萌本線廃線跡。しかし、鉄橋が2本あるのはなんでだろう。どちらかが増毛への本線でどちらかが港湾の貨物線だろうか


 留萌は地図を見るとどうやらわりと大規模に築港された掘り込み港のようで、さらに切れ込んでいるこれは、寂れているけれどドックか、船溜まりだったのか

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 また留萌本線に。16時17分発の深川行き。これまた混んでいて、来たときの列車よりもさらに乗客は多いと見えた。もうすぐ廃線になる路線にこんなに人が乗っているとは思わなかったし、それに、乗っている人のうちほとんどは、鉄道ファンの旅行者には見えなかった。──交通手段というものは、それがあるからこそ往来が可能になる、人の動きが生まれる、という側面が必ずあるし、それをなくすということは人の動きをなくすことだと、ぼくは思うのだが。

 また深川で乗り換えて、旭川駅に帰りつき、ホテルに転がり込んだ。──実は、出がけに何かの役に立つかもと思ってワクチン接種証明をバッグに忍ばせて来ていたので、旅行支援もちゃっかり受けて3,000円分のクーポンを手に入れた。

 失敗ではあったけれど、あの時点で失敗に気づいたのはまだよかった。もっと遅く、留萌から幌延行きの沿岸バスに乗ってから気づいていたら、傷口を広げていた可能性がある──実はこの日はそれまでに、羽幌や天塩の旅館に電話をかけて断られる、という経験もしていた。早く気づいて軌道修正して、旭川のホテルも取れたのは、幸運だったと思う。──また買物公園通りの飲み屋で食事をしながら、翌日の行程を探る夜になった。