night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

12/5(土)足利

f:id:jawa_jawa:20210121164242j:plain
 地下鉄で浅草駅に現れ、10時50分発の東武鉄道の特急『りょうもう11号』赤城行きに乗った。

f:id:jawa_jawa:20210121164247j:plain
 特急車両としてはだんだん古めかしくなっているのかもしれないけれど、わりにゆったりとしていて、よい感じ。

 12時02分に足利市駅に着いた。栃木県足利市、両毛の拠点都市のひとつであるし、鎌倉時代の足利氏の本拠地であった土地でもある。地図を見ると渡良瀬川が滔々と流れていて、その南側に東武足利市駅が、北側にJR両毛線足利駅がある。──東武足利市駅から歩き始めると、すぐに渡良瀬川の土手に上がれた。駅から近いところに、古めかしい鉄橋が北の市街地に向けてかかっているが、それとは別に、少し上流のところに、渡良瀬橋という橋がある。

f:id:jawa_jawa:20210121164253j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164259j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164305j:plain
 ここから見る夕陽がきれいなんだって、森高千里が言ってましたね。今日は暗い冬の天気だけど

f:id:jawa_jawa:20210121164310j:plain
 鮭の死骸が川底に転がっている。鮭って利根川水系にも遡上してくるんだ!

f:id:jawa_jawa:20210121164314j:plain
 市街地をふらふら歩いていると、蔦に覆われた、独特の雰囲気を放つ建物がある。正面に回ってみると…

f:id:jawa_jawa:20210121164321j:plain
 これは…!!

f:id:jawa_jawa:20210121164326j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164331j:plain
 打ち捨てられた映画館の建物。どのくらい前まで営業していたのだろうか。

*

f:id:jawa_jawa:20210121164342j:plain
 鑁阿寺(ばんなじ)へ向かう。

f:id:jawa_jawa:20210121164349j:plain
 鴨が一列にソーシャルディスタンス。鴨川等間隔の法則みたい。

f:id:jawa_jawa:20210121164444j:plain
 お濠の向こうにあるお寺なんて珍しい。濠の向こうには土塁もあって、いやに防御力の高そうなお寺だ。それもそのはず、ここはただの寺院ではなく、中世足利氏の居館があったところだと言われている。地図を見ると、はっきりと四角く堀に囲まれていることがわかる。──この楼門、足利義輝が再建したものだという。

f:id:jawa_jawa:20210121164407j:plain
 本堂はもっと古く、鎌倉時代に遡る建物だそうだ。

f:id:jawa_jawa:20210121164651j:plain
 屋根には、足利の二っ引き両と並んで、皇室の菊紋と桐紋が。さすが将軍家。

f:id:jawa_jawa:20210121164438j:plain
 形のよい鐘楼を望む庭園。

 境内には児童公園や、売店などもあって、売店で「足利シューマイ」という屋台メニューのようなものを食べた。シューマイとは言うものの、もちもちとしていて、ソースをかけて食べる、不思議な食べ物だった。

*

f:id:jawa_jawa:20210121164450j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164541j:plain
 鑁阿寺から、近くにある「足利学校」跡へ。ここもきれいに整備された土塁と濠に囲まれている。近くはどうもお屋敷町のようだ。観光地なのでお店もいくらかある。

f:id:jawa_jawa:20210121164457j:plain
 うわーこれは面白い。民家の塀なのだが、栃木県と言えば大谷石が思いつくけどそうでもないし、これは何という石なのだろうか。*1

f:id:jawa_jawa:20210121164503j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164510j:plain
 足利学校とは、起源は必ずしも明らかではないようだが室町時代には確実に存在していたと言われる、中世の学校である。

f:id:jawa_jawa:20210121164523j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164515j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164528j:plain
 孔子がまつられている。朱子学だといって孔子を崇めるようになるのは江戸時代の話だろう、東京の昌平坂なんかもそうだよね、…と思ったら、ここは年季が入っていて、室町時代から孔子廟があったらしい。

*

 ここまで、観光客らしい姿はほとんど見かけなかったが、道の駅、兼、観光駐車場のような「太平記館」で休憩すると、駐車場はなかなかほどよく埋まっていて、いったいこの人たちはどこにいるのか、と不思議に思った。「太平記館」には色鮮やかな甲冑が展示されていて、ドラマの収録で使用されたものらしい。コーヒーを飲んで一休みしてから、また歩き出した。

f:id:jawa_jawa:20210121164554j:plain
 通りがかりに立ち寄った、法玄寺という寺院。

f:id:jawa_jawa:20210121164547j:plain
 「伝北条時子姫五輪塔」というのがあった。足利義兼という、頼朝の時代の足利家の当主の、奥さんが北条家のお姫様だったそうで、足利家というのはその時代から北条家と縁戚関係があったのか、と感心するが、この五輪塔の説明板に書いてあることが、ちょっと驚くような内容だった。

 本塔は、源姓足利氏の棟梁・義兼の長子義純が、母北条時子菩提のため建立したとの寺伝があり、蛭子塚とよばれている。その由緒は下記のようである。
 時子は北条時政の娘で、義兼の正室であった。義兼が鎌倉出府のおり、時子が郊外の花見にて野水を飲んだところ、日ごとにお腹が膨れ、妊娠したようになった。帰館した義兼より密通を疑われた時子は、潔白を示すため「死後わが体を改めよ」と遺言し、自害した。遺言に従って開腹すると、腹部から大量の蛭が出てきた。花見の際に飲んだ水が原因と判った義兼は大いに驚き、時子の遺体を当地に手厚く葬ったという。
 まさかそんなことが…と思うけれどそれがゆえに逆にリアリティがあるかに思われる、おそろしい伝説である。

*

f:id:jawa_jawa:20210121164601j:plain

f:id:jawa_jawa:20210121164606j:plain
 足利織姫神社。丘の中腹にあって、先ほど東武の駅から歩いてくるときにも渡良瀬川の向こうに派手な社が見えていた。縁結びの神様だそうだ。なんとなくお祈りしておく。

f:id:jawa_jawa:20210121164614j:plain
 これまた不思議な神社で、参道の坂道に立ち並ぶ鳥居が、七色に塗り分けられている。

f:id:jawa_jawa:20210121164621j:plain
 黄色や緑や紫の鳥居なんて見たことがないので、ちょっと奇異な感じがするけれど。

*

f:id:jawa_jawa:20210121164626j:plain
 八雲神社。お参りすると云々、と森高千里が歌うので(?)、来てみた。実際には、「八雲神社」という社は足利の市内にいくつかあるのだが、歌に出てくるのはここだということになっているらしい。

f:id:jawa_jawa:20210121164632j:plain
 背後の公園は、不自然に円く盛り上がった丘が連続していて、…これは古墳なのだそうだ

f:id:jawa_jawa:20210121164640j:plain
 古墳から坂を下りたあたりの、草雲美術館。棟方志功の「二菩薩釈迦十大弟子」があった。

*

 さて、ここでもう15時半頃。冬の寒風にさらされながら黙々と歩き回ってきて、くたびれてしまった。どこかで食事をするか、どうするか…、と考えながら、両毛線の線路に付かず離れずで歩いて、JRの足利駅にたどり着いた…と思ったが、そこは足利駅の南口で、白鴎大学足利高校の巨大な校舎群がある以外、街の体をなしていない。ぐるりと遠回りして北側に回った。

f:id:jawa_jawa:20210121164646j:plain
 JR足利駅の北口駅舎

 しかし結局、北口でも落ち着いて食事をできそうなお店が見当たらず、16時16分の小山行きの列車に乗って帰ることにした。

 東に向かう列車に乗ると、ピンク色のような、黄色のような、不思議な光が差し込んできた。西の方を振り返ると、夕陽が落ちるところで、なんとも表現のできない美しい色の光が満ちていた。なるほど、渡良瀬橋で夕陽を見るべきだった、と思った。 ──小山から宇都宮線グリーン車に乗って、品川まで。

*1:と思って後から調べたら、これは房州石なのだそうだ。房州石と言えば千葉の鋸山などが産地で、まさに金谷の町ではたしかに石塀を見た覚えがあるが、こんなにはっきりと模様が出ている石をそろえて、意匠を作っているのは、かなり手が込んでいるのではないか。