ホテルは、無料の朝食が出ることで知られている全国チェーンだが、バイキング形式の提供を取りやめていて、配膳の人に頼むとごはんなりパンなりを出してくれる、という方法に変わっていた。メニューが書いてあるものの、ひとまず「ごはんとおみそしるお願いします」と言うと、「おかずはどうしますか」と聞かれて「えーっと…」となってしまう。「ちょっとずついろいろにしますか(^^」「お願いします(^^」──融通をきかせてくれるのはありがたい。スタッフの人も接客の手間が増えていて、頭が下がる。
この日は四条大宮から阪急電車で四条河原町へ、そして鴨川を渡って京阪電車に乗った。目指すは石清水八幡宮である。特急は停まらないので丹波橋で準急に乗り換える。
その名もずばり「石清水八幡宮駅」という駅で降りたが、これ、京阪にそんな名前の駅があったかな? と思った。あとでわかったが、「八幡市駅」がつい最近改名したのだそうだ。
石清水八幡宮とは、宇治川と木津川と桂川が合流するあたりの男山という山上にあり、武家の信仰を集めた古社である。古くは王政復古の成った後醍醐天皇が鳴り物入りで行幸し、後に天皇と戦うことになった足利尊氏が挙兵の戦勝を祈願したという場所だ。──ケーブルカーで一気に山を登り、さらに急な石段を上がると、展望台があった。
裏参道と言われる道を登っていくと本社があった。
国宝の本殿(徳川家光の時代のものだという)は、いかにも立派だが、こちらは南北朝の戦跡だと思って来ているものの、特にそういったものはない。楠木正成が植えたクスノキ、というのがある程度だ。──気づくのが遅かったが、考えてもみれば、明治以降に官幣大社として残ったこのような大神社に、足利尊氏の事績などが仰々しく残されているわけがないのであった。
石庭が隠されていた。
表参道を歩いて下りる。
摂社の石清水社。中腹にあり、ここで水が湧いていたのだという。
往時は神仏習合で、こういうところにも僧房が建ち並んでいたのだそうだ。
ふもとまで下りてくると、頓宮というのがある。山全体が神社で、ここがその入口なのだ。大きな鳥居も立っている。
隣に高良神社というのがあり、“仁和寺にある法師…”というあれで有名なところだ。疲れたし、この日も晴れて気温が上がり、コートを着て歩いていると汗をかいた。