金曜日は少しゆっくりホテルを出た。今日は弘前の市内を散歩する日。とりあえずお城の方向に歩くけれど…
教会だ
日本基督教団弘前教会だ。明治39年に建てられたもので、東北最古のプロテスタント教会だそうだ。明治以後の弘前は、東奥義塾に学んだ人々を中核として、キリスト教布教の中心地になっていたらしい。案内のちらしには、双塔式ゴシック風木造建築、とある。
教会なのに襖と扁額があるのが独特。
聖餐台に置かれている、この柄杓のような籠(喜捨を集めるのに使うもの)は、伝統工芸のあけび細工でできているのだそうだ。
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少し離れたところに、カトリック弘前教会がある。こちらも明治43年に竣工したものだという。
ステンドグラスなどは新しいものだと思うけれど、祭壇の重厚さに、息をのむ。
本気のゴシックだ
でも祈祷台の下は畳敷き。地域に根差している感じがいい。
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近くには仲町という通りがある。武家屋敷の街並みで、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)だというのだけれど…
見た感じ、古い建物自体は、あまり残っているようには見えなかった。
“旧岩田家住宅”を見学。
北門から弘前城に入る。
お城は中国人観光客でいっぱいだった。なぜこんな東北地方の町に?と驚いた。アイスクリームの屋台にはもはや“冰淇淋”と書いてあるくらいだ。だが、日本っぽいインスタ映えを求めているだけらしく、天守のある有料区画に入る人はほぼいないようだった。
ぼくは弘前城に来るのは実は3回目である。最初は真夏、2度目は豪雪の冬、そして今回が紅葉の前の中途半端な秋なので、どれも印象が違うのは仕方ない…にしても、天守はこんな感じだったっけ? ──と不思議に思ったが、それもそのはず、なんと弘前城では、天守を支える石垣が崩落しそうになり、修復するために、天守を曳家して場所を動かしたところなのだそうだ。…天守を曳家した? と驚いたが、実は明治時代にも一回曳家しているという話なので、二度驚く。
改修中の石垣。
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城内の弘前市立博物館。レンガタイルが、どことなく東京都美術館に似ている。それもそのはず(?)、これは前川國男建築で、東京都美術館の数年後に建設されたものだそうだ。
『光ミュージアム 近現代日本画の軌跡』を開催中。光ミュージアムとは、飛騨高山にある新興宗教団体系の美術館であり、そこの所蔵品が来ているようだ。日本画はそれほど好きでもないので、少し迷ったけれど、見物していくことにした。
しかしこれが、よかったのだ。菱田春草の『帰牧』、夕暮れの空の淡い色、薄墨で描かれた徐々に暗くなっていく遠景の木々や茂み、しみじみいいな、これ…と思った。美人画のコーナーでは、どうも媚びたような表情の上村松園の女性に対して、すっきりした鏑木清方の女性が好みである(似たような感想を最近ほかのところでも抱いていた気がする)。──戦後絵画のコーナーでは、加山又造の『夜桜』という大作の屏風絵が圧倒的であった。黒い闇に桜と炎が浮かび上がる。これは左右の隻を入れ替えても絵がつながるようになっているそうだ。夕闇の奥山に咲く一本桜をズームのようにして大きく描いた、佐藤太清の『旅愁』も、印象的な作品だった。