12時03分の普通列車、酒田行きに乗る。羽越本線は電化区間なのだが、古いタイプの気動車が走っている。電車よりもコストがかからないためこういうことになっているらしいが、4両編成と、地方のローカル列車にしては比較的たっぷりしているので、一両ほぼ独り占めのようになった。
古い気動車の、座席の足元にある、この、謎のでっぱり。足を乗せるか乗せないか、いつも迷う。
庄内平野の車窓。庄内平野の、南にあるのが城下町の鶴岡、北にあるのが河口の商港の酒田だ。
鳥海山が見えてきたが、雲に隠れている。
切り欠き式の頭端ホームに入って、12時39分に酒田に到着。
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酒田は、東北の日本海側では素通りできない街だ。駆け足で観光しよう。まず駅前からタクシーに乗って、山居倉庫に向かう。ものの5分ほどで着いたが、酒田のタクシーでもSuicaが使えたのには驚いた。時代はどんどん変わっている。
“山居倉庫”とは、河口近くに作られた、庄内米の倉庫で、米の積み出しで大いに繁栄した商港酒田の歴史を物語る建物だ。JR東日本の観光ポスターの印象も強い。観光バスツアーが集まる駐車場でタクシーを降りた。物産店やレストランなどの施設になっており、にぎわっている。
おっと、反対側に出てしまった。いや、川に面したほうが正面なのか。
裏側はけやき並木に守られている。静かなところだ。
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川を渡って住宅街を少し歩くと、漆喰の白壁が見えた。“本間家旧本邸”である。
なんて立派な門かぶりの松だ
本間家とは幕政時代の酒田の豪商・大地主だが、ただの商人ではなく、藩政とも深いつながりを持っていたようだ。この邸宅は幕府の巡見使を迎えるために明和5年に建てられたものだという。正門は藩主と県知事を迎えるためだけに開かれたというし、地域の首領のような立場の家だったのだろう。部屋数の多さにも感心するが、真ん中に仏間があるのが少し意外だった。
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その本間家の所蔵品を展示しているのが、酒田駅にほど近いところにある、本間美術館だ。
本館と、庭園の中にある別邸“清遠閣”から成る。ここの所蔵品は目を見張るものだった。南宋の虹天目茶碗や、ぐるぐるとした紋様が珍しい元代の堆黒の盆、皇室が下賜した銀器など…。法隆寺から贈られたという百万塔(百万塔附自心印陀羅尼)には驚いた。法隆寺に援助してそんなものを譲られているというのも驚きだし、そもそもこれ、奈良時代のものだ。国宝級のものじゃないか?
藩政と強いつながりがあった本間家だけに、戊辰戦争とその敗戦は危機だったのではないかと思うが、庄内藩は寛大な処分を受けたということで、藩主の酒井家を始めとして西郷隆盛にすっかり心酔してしまったそうだ。──ここも、大久保利通と西郷隆盛の漢詩の書*1などをもらっていたそうで、展示されている。適当にしっかり押韻しながら漢詩を詠めたのだね、この時代の人は…。
お庭も、すごくいい。
“清遠閣”は梅の花枝を模して彫られた欄間が雅であった。ここでは庭園を見下ろして、主に陶磁器の展示。伊万里、古九谷などに交じって、龍泉窯の青磁の大盤などが並んでいる。海鼠釉という、深い青色に斑点が浮かんでいる清代(宜興窯)の磁器がとても美しかった。──ほかにも、藤原定家の『明月記』の断稿が無造作に(?)展示されていたりして、奥が深すぎる。