night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

4/30(火)吉野

 雨が降りそうな降らなさそうな、微妙な曇り空の朝になった。ホテルを出て天王寺の駅前まで歩き、あべのハルカスに入って建物の中をたどると、近鉄大阪阿部野橋駅がある。ここは近鉄南大阪線という路線の始発駅だが、休日のターミナル駅は閑散としている。吉野までの特急券を買って櫛形に並ぶホームに向かうと、古めかしい近鉄特急が停まっていた。

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 これ、少なくともぼくが生まれるよりも前から走っている車両のはず。しかもたった2両編成。

 ドアは開いているが、誰も乗っていないので、これだよな、と訝りながら乗り込む。発車直前になるとさすがに、いくらか客が乗ってきたが、それでもだいぶ空いていた。──近鉄は乗客の絶対数に比べて特急の本数が異様に多い印象があり、この阿部野橋からも、吉野行きの特急が、30分に1本の調子で出ている。乗客のこの少なさで、たった2両の“特急列車”を走らせるのは、コスト的にどうなのか…と、ここだけ見ると思ってしまうが、おそらく、橿原神宮前での京都からの特急の乗換え需要を考慮しているのではないかと思われる。

 ぼくが乗ったのは9時10分発の吉野行きの特急で、時刻表を見ると、その1本前と1本後の特急は“さくらライナー”という新型車両(と言っても、平成初期の“新型車両”だが)だったはず。まあそこまで列車にこだわりがないので、それに合わせて行動したりはしていなかったのだけれど。

 平地をわりと快調に飛ばして、立派な屋根の橿原神宮前駅に着いたのが、阿部野橋から35分。阿部野橋から橿原神宮前までは以前に一度乗ったことがあり、そのときは急行電車で延々と、かなり田舎まで来たような気がしたが、今度はさらにその先へ、列車はいよいよ飛鳥の山の中に入る。吉野口という駅があって、ここはJRの和歌山線の乗換駅だが、駅に接して豪快な採石場が見えて驚く。──さらに山を越える途中に福神という駅があり、近鉄が開発したニュータウンがあるらしく、広告が出ていた。この日、吉野までの特急券を買ったときに、特急料金が510円で、京都ー奈良と同じ金額だったので、だいぶ安いな、と思ったが、なるほどな、と思った。

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 大和上市を過ぎると、いよいよ吉野川(紀ノ川)を渡った。鉄橋に接して、製材所らしい大きな工場から、さかんに煙が出ている。10時26分、終点の吉野に着いた。山に突き当たるような位置の終着駅である。

 まばらな観光客と一緒に、駅を出てぶらぶら前に歩いていくと、ケーブル乗りますか、10時30分のが出ます、とおばさんが声をかける。ロープウェイの職員の人だった。これまた古めかしい、小さなロープウェイに乗り込んで、山上に上がる。このあたりが下千本と言われるところらしいが、そもそも桜の季節を外して吉野に来てしまっている。

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 参道の坂道を上がっていくと、金峯山寺(きんぷせんじ)に着いた。修復中の仁王門をくぐる。

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 立派な寺院だ。本堂に上がってみると、本尊は蔵王権現であるというが、敢えて言えば青鬼のような、異様な巨像が、3体並んでいた。“本尊”が3体あるというのも不思議だし、そもそも蔵王権現というのが、仏教とも神道ともつかない、なんだかよくわからない存在である。後から知ったが、この本尊は本来は秘仏で、特別開帳の期間だったのだそうだ。

 堂内には役行者の木像もあったが、…おや、頭巾をかぶって杖を持って顎ひげのある好々爺、そして二人のお供を連れて、全国あちこちに現れて…という、時代劇で有名な老人の姿は、役小角に源流があったのか。

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 吉野は、小規模ながらも山上の宗教都市であり、参道に沿って寺院が並んでいる。──少し入ったところに吉水神社というところがあり、ここは“南朝皇居”を標榜している。書院造が重要文化財になっているが、なんとこれも世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道”の構成物件だそうだ。

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 ただ、たしかに部分的には本当に南北朝期の建物だそうだが、後醍醐帝の玉座、という部屋が本当にその当時のものというわけでもないようだ。それはそうだろう。

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 見渡しても見渡しても青い山。

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 竹林院の庭園。人もおらずよいところだった。

 竹林院の近くから路線バスに乗る。ここから奥千本口までマイクロバスが往復している。普段はふもとの吉野神宮から来る路線があるようだが、多客期は山の上のこの区間だけを往復しているようだ。片道400円。

 山を巻いてぐいぐいと登る自動車道路で、15分程度で奥千本口に着いた。少し坂を登ると金峯神社がある。ここはすでに、熊野に通じる大峯奥駈道と呼ばれる参詣の道筋にあたる。藤原道長の金銅の経筒などが出土してしまったのもこのあたりのはずだ。…56億7千万年後に弥勒菩薩が降臨すると信じられた金峯山が、まさにここなのだ。だが、いまはただ、静かな山奥である。

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 義経の隠れ塔だそうだ。

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 さらに山の奥へ足を踏み入れてみた。軽いハイキングになるが、道筋は整備されている。

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 斜面に平地が開け、西行庵があった。ここまで来る人は他にはほとんどいないようだった。

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 西行は吉野の桜を愛し、2年だか3年だか、このあたりの各地に庵を結んでいたそうで、ここもその中の一つなのだろう。…だが、実際に西行がいつからいつまでここにいたのか、は、ガイドブックも地元の役場のウェブサイトも、西行の研究書でさえ、はっきりとは語らない。この小屋が本当に当時のものであるわけもないだろう。

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 だが、そういうことはともかくとして、不思議と落ち着く、よい場所であった。

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 伐採のあとの、荒っぽい風景だ。金峯神社に戻る途中には、少し開けた場所には昔の修験道場の跡、といった案内板が立っていたりする。

 奥千本口のバス停まで戻ってきた。ここから金峯山寺まで歩いて下りるか、さっきと同じバスに乗るか、と少し迷った。歩いても1時間ちょっとだろうとは思われたし、大峯奥駈道の一部であるから歩いてみたいとも思ったが、自動車も入ってくる舗装道路であり、歩いてそれほど面白い道とは思われなかった。おとなしく路線バスで戻ることにした。

 金峯山寺の近くのお店でうどんを食べて、今度は歩いて山を下り、近鉄吉野駅まで戻ってきた。吉野という独特な宗教都市の雰囲気を感じられて、面白かった。それに、この日はある程度歩くことになると思っていて、雨が降るようなら吉野はあきらめようかと考えていたのだけれど、雨には降られずに済んだのもよかった。

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 八重桜の散華が舞っていた、櫻本坊