night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

3/22(金)浜通り、常磐線代行バス

 翌朝、早起きして仙台駅に向かった。風が強く吹く中、通勤客に混じって駅に入る。8時13分発の常磐線普通列車原ノ町行きに乗った。利府から走ってきた列車は6両編成で、たくさんの通勤客を吐き出して、車内はだいぶ空き、ボックスシートに座れたが、急いで出てきたため、仙台土産を何一つ買っていないことに気づいて、車内で後悔することになった。

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 常磐線は、東京から、仙台の手前の岩沼までを、海岸沿いに通る路線で、いわきより北はローカル線のようになっているとは言え、かつては上野から仙台まで直通する特急『スーパーひたち』も走っていた。2011年以来、津波で被災した区間は、新線に付け替えたところを含めてすでに開通しているものの、原発事故のために今でも開通できない区間が存在する。“帰還困難区域”に含まれる不通区間は、いま(2019年3月現在)では、浪江より南、富岡より北、が該当する。──だが、この“帰還困難区域”は、立入りは禁止だが、国道6号線の通過交通は認められており、浪江と富岡の間にはJRの代行バスがあって、1日に5本走っている。

東日本旅客鉄道水戸支社>東日本大震災による列車影響と運転見込みについて
JR常磐線(富岡駅~浪江駅「一部原ノ町駅」間)・列車代行バス時刻表(平成30年4月1日~)【PDF】

 岩沼で東北本線から分かれて、単線の細い線路に進む。亘理でしばらく停車していたので、対向列車が来るのかと思ったら、来ないまま発車した。仙台方面のホームにはたくさんの客が待っている。どうやら、下り列車が遅れているらしい。その先の浜吉田で遅れている対向列車と交換したが、こちらの列車もその先で、強風のため徐行運転を始めた。

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 山下付近は、津波で被災して、内陸に線路を移設して再開したところだ。

 強風で、造成中の海岸沿いは、もうもうと砂塵が舞っている。この列車は定刻では9時36分に原ノ町に着き、9時52分発の浪江行きに接続する。列車が大幅に遅延した場合、原ノ町では接続すると思われるが、浪江で乗ろうとしている10時30分の代行バスは、列車との接続はしないと明言されていることから、乗継ぎに失敗した場合、浪江で6時間待ちになってしまう。もちろん、浪江より北の常磐線と、富岡への代行バス以外の交通機関が、この地域にあるはずもない。──最悪、浪江から仙台に戻ることになる可能性もあるな、と考えながら、原ノ町に着いたのは15分遅れだった。

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 原ノ町はこのあたりの中心地で、自治体でいうと福島県南相馬市だが、昔は原町市という名前だった。間髪入れずに浪江行きの区間列車に乗り込むと、すぐに発車した。仙台から乗ってきた列車は新しめのE721系だったが、こちらは一昔前の719系だった。型落ちしたような感じで、末端区間なんだなあ、と思ってしまうが、それでも4両編成だ。ローカル線で4両は多い。

 10時11分、ほぼ定刻で浪江に着いた。

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 8年間、ここより南には列車が走っていない。

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 ここの避難指示が解除されて常磐線が再開したのは2017年4月のことである。だが、ここまでの車窓にも、駅前にも、人が多く住んでいるような雰囲気は感じられない。乗ってきた乗客は、ほとんどが、手持ちぶさたそうに代行バスを待つ。

 駅前にはレンタカー業者が看板やノボリを立てている。見ると、富岡までの片道利用可、等と書いてある。学生くらいの若い人のグループがレンタカーから降りて、手続きを済ませて駅に入っていくのも見えた。帰還困難区域の通過交通の手段のひとつとして使われているらしい。小さいながらもそういう需要があり、そういう営業が成立する、ということに、なるほど、と思う。このあとも、仙台に遊びに行った帰りなのか、学生のカップルが、楽しそうに仙台のことをおしゃべりしながら代行バスに乗っていた。

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 10時30分の代行バスがやってきた。“浜通り交通株式会社”と書いてある。委託運行なのだろう。JRの乗車券を見せて乗り込んだ。ぼくの切符は、何年かぶりに使う、青春18きっぷである。*1 ──海側の座席に座った。浪江駅の、おそらく助役が、運転士と添乗の女性に挨拶して会話を交わし、代行バスの発車を、直立して見送っていた。

 添乗の女性から、高線量地域を通過するため窓を開けてはならない、と指示がある。浪江の町内は、無人になった店舗と、新しく建った住宅が、まばらに入り混じっている。国道6号線に出ると、交通量は意外に多い。浪江寄りではロードサイドのパチンコ店や葬儀場などに、“前田建設工業”だったり、安藤ハザマ・なんとかJV、などの、建設会社の看板が取り付けられているのが目についた。そういった、大きめの鉄骨の建物で、残っていて使えるものが、建設業者の事務所や詰所として使用されているらしい。これもある意味で“非常時”の様態のひとつなのかも知れない、などと思う。

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 大熊や双葉は、脇道や、国道沿いの建物などは、すべて鉄柵で封鎖されている。荒れ果てたファミリーマートや、草むした駐車場の向こうの廃墟などを見ながら、代行バスは進む。──国道6号線は、福島第一原子力発電所からは少なくとも1km以上離れており、原発が直接見えるわけではない。だが、一か所、遠くの方に、巨大なクレーンが林立している場所があり、息を呑んだ。おそらくそこだったのだと思う。

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 このとき撮った写真は、帰ってからよく見たら、特徴的な3本の排気筒がしっかり写っていた。

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 30分で富岡に着いた。駅舎も、駅前のロータリーも真新しい。

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 ここも、不通区間に向かう線路は、工事中。だが、除染と復旧の工事が、実はすでに8割がた進んでおり、2020年3月末には開通する予定だということだ。本当だろうか、と思うのだけれど…。

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 線路の反対側は、造成中の更地の向こうに、青い水平線が見えた。相変わらず風が強い。

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 ここからは11時28分発のいわき行きの普通列車がある。だが、ここから南も、強風のため列車が止まったりしているらしく、遅れてきた列車が遅れて発車した。

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 富岡発いわき行きの普通列車が、これ。地震のあとまで『スーパーひたち』として走っていた特急用列車が、普通列車として使われているのだ。こんなところでこれに出会うとは思わなかったので驚いた。──木戸からJRの建設部門のような人たちが乗り込んできた。遅れていたので間に合いました、いまJヴィレッジ通過しました、なんて電話で連絡している。そういえばJヴィレッジ駅がもうすぐできるらしい。

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 いわきに着いたのは20分ほど遅れた、12時半頃だった。ここまで来ると大きなデパートなどもあって、だいぶ都会のようだ。──青春18きっぷなので、ここから普通列車を乗り継いで帰京してもよいのだが、なんとなく、疲れたので、特急列車で帰ることにした。駅ビルのドトールコーヒーで休憩したあと、乗車券と特急券を買って、13時23分の『ひたち16号』品川行きに乗った。

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 全車指定席になった常磐線の新しい特急列車に乗るのは初めてだ。座席の上のランプが緑色になっている。指定席が売れている座席は緑、赤のランプは空席を示し、“座席未指定券”の客はそこに座れ、という制度になっている。黄色いランプは、“もうすぐ指定券を持った客が乗ってくる”という意味だそうだが、この“もうすぐ”というのがどの程度の“もうすぐ”なのか、よくわからない。見ていると、いわき発車時点からずっと黄色だった席に、客が乗ってきたのが日立だった、というケースもあった。

 帰還困難区域を通り抜けてきた、とは言っても、公共交通機関に運ばれていただけなのだが、それなりに濃い体験だった。そのせいか、高萩にも気付かず、勝田から寝てしまい、ずっとうとうとしながら東京に帰ってきた。東京駅や品川まで行ってもしかたがないので上野で降りた。──上野に着いたのは15時35分。

*1:以前から、この常磐線の不通区間を通りたいと思っていたが、この区間を含む普通乗車券を窓口で買うのには、要らぬ説明ややり取りを要するのではないかと思い、青春18きっぷのシーズンにしよう、と思っていたのだった。