night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

10/6(金)野付半島、そして大平原のバスの旅

 昨日からは予約のない旅になっており、旅行しながら先の行程を調べて、決めていく形になっている。それはそれで気苦労もある。

 はるばる標津まで来たのは、野付半島に行きたかったため。北海道の本土から、国後島に向かって、奇妙な形で伸びている、砂嘴の半島である。いったいどんな風景なのか、地図を見るだけで、ぜひ行ってみたいと思う場所なのだけれど、…まずここは、夏の限られた期間しか路線バスがない。別海町の尾岱沼(おだいとう)というところからは観光船が出ており、標津から朝一番の路線バスに乗れば、行けなくはないが、行ったら帰って来られない。ならば、タクシーに乗るしかないが、この北辺の町で、思い通りにタクシーを呼んで乗れるものだろうか。

 さすがに、標津の町にも、タクシー会社が一つある(タクシーではなくハイヤーと呼ぶらしい)。前夜、電話をかけてみたものの、いっこうに出ない。宿のフロントに相談してみると、営業時間は朝8時から18時までだから、もう終わっている、とのことだった。標津にあるのは中標津ハイヤー会社の営業所なので、中標津にかけてみたら、と電話番号を教えてもらって、中標津に電話してみたが、標津のことは明日の朝8時に標津に電話してくれ、と言われてしまった。

 さらに、ぼくはこの日、10時18分の路線バスで標津を離れなければならない。午前中いっぱいくらいは標津にいられるのではないかと思っていたのだけれど、後ろの予定がそれを許さない。それがわかったのも、前夜、標津の宿の部屋で、種々のバスや鉄道の時刻表を吟味した結果であった。…朝8時に電話をかけてハイヤーを呼べれば、野付半島を急いで往復して10時18分のバスに乗ることもできそうだが、さて、どうなることやら。ここまで来て無為に去ることになる可能性すらある。

*

 そんなわけで朝7時半、国道沿いのセブンイレブンでパンを買ってもそもそと食べ、港あたりを散歩した。8時になるやいなや電話をかけると、10分ほどで向かいます、ということだった。よかった。──泊まった宿に来てもらったハイヤーに乗り込む。運転士さんは、朝はまずスクールバスの運転をして、それが終わるとハイヤーの運転をするそうだ。


 というわけで野付半島に向かう道道を走る。


 「會」の旗をしたがえて、“北辺防衛会津藩士顕彰碑”が建っている。碑文によると、幕末の万延元年から慶応三年にかけて、会津藩士二百余名が野付半島に陣屋を造営して守備にあたり、厳しい気候風土で多くが亡くなった、とのこと。


 エゾシカ。家族かな


 ナラワラと呼ばれる、枯死したナラの木の森


 一般道路の終点。先には灯台が見えるが、ここから奥は私有地だとのこと。

 ビジターセンターでハイヤーに待っていてもらい、すすきの原を進んだ。


 はまなすの実がなっている


 だが…

 どこまで行っても終わりがない。この先には、尾岱沼から来る観光船の船着き場があるはずで、“トドワラ”と呼ばれる奇観もそのあたりのはずだ。この道に入るとき、そこまで往復30分と書いてあったのだが、とてもそんな距離ではないかに思われた。朝早い時間であるので、他に観光客などいない。見渡す限り、人間が、自分だけなのだった。


 ここは人間の領域ではない、と感じた

 後ろ髪を引かれつつ、引き返すことにした。

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 標津の町に戻り、バスターミナルの近くでハイヤーを下ろしてもらった。

 バスターミナルは先述の通り、国鉄根室標津駅の跡地あたりで、近くには機関車の転車台が残っているという。別の場所で保存されていた蒸気機関車をそこに持って来て、転車台でSLを回そう、という有志の運動が行われていたということだ。


 行ってみると、C11型機関車に、クレーンで何かの作業をしている。何をしているのですか、と訊ねると、機関車を動かすためにバッテリーを積み込む作業をしている、とのこと。ちょうど明日、お披露目イヴェントが開かれるということだった。

 そもそもどの方向から線路が来ていたのですか、と訊ねると、あっちに林が切れてるところがあるでしょう、そこを線路が通っていたのです、とのこと。


 あれか


 ここに駅があったのだそうだ。いまは道路が横切っているが、花壇と芝生がきれいに整備されていた。

*


 阿寒バスの標津バスターミナルから、10時18分の路線バスに乗る。羅臼からやって来たバスで、ここから中標津を通って釧路まで、2時間半あまりの長旅だ。


 営業所の窓口で乗車券を手売りしている阿寒バス。昨日の羅臼でも、標津までの乗車券を買った。カーボン紙にスタンプを押して料金を手書きするあたり、時代がかっているが、営業所に係員がいて切符を売っているという安心感もある。


 中標津の町内。ここだけまるっきり都市郊外のロードサイドの風景になったので、驚いた。ここは酪農業で栄えているのと、空港がある町で、釧路・根室管内で唯一人口が増加している自治体だと、標津の運転士さんに教わった。広大な駐車場を備えた病院もある。中標津のバスターミナルも国鉄の駅の跡地で、頭端式の乗車番線が10本ほども並んでおり、乗客も若い人を含めて10人以上乗ってきたし、運転士も交代した。──不思議なのは、羅臼も標津も中標津も、行政的には根室支庁(北海道根室振興局)の管内なのだけれど、交通路は根室ではなく釧路を向いており、どうやら人の流れもそうであるらしい。


 大平原の一本道が続く。バスは市街地を出ると、時速70km程度を保って走って行く。


 走っているのは中標津から釧路へ直行する、国道272号線だ。途中にある集落は中茶安別くらいで、標茶町とかを経由したほうがよさそうなものだが、とも思うけれど、乗客の流動がそうではないのだろう。釧路から標茶ならばJR釧網本線があるし、中標津から標茶へは別のバス路線が通っているようだ。


 共春(きょうしゅん)という停留所。地図上では国道272号国道243号の交差点で、立体交差になっており、その名も“大平原跨道橋”と書いてある(こんな野中の一本道どうしの交差点が立体交差になっているというのもすごいけれど)。ここで時間調整(トイレ休憩もできる)するとともに、対向のバスと行き違う。要所要所で互いに連絡するようにダイヤを組んでいるのだろう。──阿寒バスは無線を積んでいて、運転士は市街地に近づくと「こちら○○便、××を通過しました、どうぞ」「了解しました、お気をつけて、どうぞ」のように通信していた。冬の運行は厳しいのだろうな。


 中国のようだ、と思った。大陸的だという意味です

 釧路に近づくと丘陵地をアップダウンしながら進むようになる。陸上自衛隊の演習地のゲートが車窓に見えたりもする。鮮やかな紅葉に目を細めながら乗っていると、道路わきから大きなタンチョウヅルがバッサバッサと飛び立ち、バスをかすめた。運転士がブレーキを踏む。

 釧路市街の東側、“別保原野”という交差点で、国道44号線に入った。釧路の市街地に入り、イオン釧路や、労災病院・日赤病院といった大病院を経由して、バスは、釧路駅前バスターミナルに入った。時刻はすでに13時だった。