night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

10/5(木)知床五湖、そして羅臼から標津へ

 翌日は、朝から天気が悪かった。ホテルの朝食バイキングをもりもりと食べていると、レストランの大きな窓の外に、なんと雹が叩きつけ始めた。まあ天気は変わりやすくて、すぐに上がったのだけど、10月上旬の今の季節で雹とは…。

 ホテルの方に車で送ってもらい、ウトロ温泉バスターミナルから、9時10分発の知床五湖行きの路線バスに乗った。このバスは斜里バスターミナル(知床斜里駅)から来たバスで、朝の網走からの一番列車にも接続しているためか、中国人の観光客たちが乗っている。


 海岸の断崖を縫って進む。よくこんなところに道を通したな、と思ってしまう

 知床五湖は、世界自然遺産・知床に広がる原生林の、入口あたりを、比較的お手軽に散策できるようになっているようで、無料で自由に入れる“高架木道”と、長めの“大ループ”(3km)と短めの“小ループ”(1.6km)の二つの遊歩道がある。期間によって違いがあるようだが、この時期、遊歩道に入るには、フィールドハウスで申込み券250円を購入し、申請書に住所氏名を記入した上で、レクチャを受ける必要がある。

 この日は、倒木のため“大ループ”は通行止めで、“小ループ”のみ歩けるということだった。大ループをぜひ歩こうと思っていたのだけれど、しかたがない。──レクチャではビデオを見せられ、ヒグマに出遭ったら完全に安全な対処法はありません、ですからヒグマに出遭わないことが大事です、声を出したりしてこちらの存在をヒグマに伝えるとよい、食べ物のにおいでヒグマをおびき寄せてはいけません、水やお茶以外の飲み物も禁止です、…といった内容を教えられる。レンジャーの女性から、「食べ物を持っている人はいますか」と問われたので、ウトロのセイコーマートで買ったおにぎりを持っていたぼくは、「すいません…」と手を上げる。「それは落としでもしたら大変です、これに入れてください、においが漏れないように」とジップロックの袋を渡された。ハイキングの途中でおにぎりでも食べようか、などというような世界ではないわけだ。自分の認識の甘さを思い知る。


 そこまで言われてしまうと、おっかなびっくりだが、笹原の中の遊歩道を歩き始めた。“大ループ”ならば、5つの湖をめぐることができるが、“小ループ”でめぐれるのは二湖と一湖の2つのみになる。


 木立の向こうに二湖が見える。


 一湖。


 きれいなところだが…、対岸の笹原は人跡未踏の原野ではなく、以前は開拓されて牧草地になっていたとのことだ。人々はこんなところまで土地を拓いて、暮らし、そして、いなくなって、土地は自然に還っていくのか…、と、美しい景色よりもそのことに、粛然とした思いを抱いた。


 強い風に、湖面にはさざ波が立ち、蓮の葉が裏返る。

 散策路は高架木道に上がる。一方通行のゲートがあって、高架木道から地上には下りられないようになっている。


 背後はオホーツク海だ。


 知床連山にかかる雲がすこしずつ晴れてくると、なんと、上の方が冠雪している。もう雪なのか、と驚いた。

*

 大ループを歩けなかったこともあって、知床五湖のフィールドハウスでだいぶ時間を余らせ、“鹿肉バーガー”などを食べてのんびりしていたが、13時05分の路線バスでウトロに戻った。──このあとは、路線バスで知床峠を越えて太平洋側の羅臼に出る予定だ。ウトロから羅臼までのバスは「知床自然センター」までは知床五湖に向かう道と同じ道を通る。ならば知床自然センターでバスを下りて、見物でもしながら羅臼行きのバスを待ち受けてもよいのだけれど、冠雪した知床連山を目にしたこともあり、昨夜からすでに“凍結のため夜間通行止め”になっているらしい知床横断道路の情報などが、気になっていた。なにぶん、自分の足を持たない旅行なので、不測の事態の場合は、町にいたほうがよいだろう。

 ウトロの町も、人の気配が少ない。観光船の店が何軒か並んでいるが、今日はどれも欠航らしい。港には奇岩がゴロゴロしている。


 ゴジラ岩だそうだ。たしかにそう見えなくもない


 オロンコ岩という巨大な岩には、階段がついていて登れるようだ。うわ、これの上まで行くのか…(べつに行かなくてもいいのだけど)


 季節ならば花がきれいなのだそうだが、いまは枯草の秋である。


 ウミウが飛び交い、どことなく恐ろしい。

*


 再び、斜里バス株式会社のウトロ温泉バスターミナル。国道の一本裏の道(おそらく旧道なのだろう)にあり、小さな待合室の両側に2つの乗り場があって、バスが乗り入れるようになっている。その隣に流れている川、町なかのこんな川でも鮭が遡上してくると言うのだが…

 ほんとにこんなところに鮭が上るのかな、と思ったら、観光客が橋の上から川を見下ろしている。


 なるほど


 遡上し力尽きた鮭の死骸が、川底に転がっていた。

*

 知床半島の付け根あたり、オホーツク海側にある町が今いるウトロ、太平洋(千島列島)側の町が羅臼だ。ウトロと羅臼の間の路線バスは、知床峠を通る“知床横断道路”と呼ばれる国道334号線を通るわけだが、この道は冬季閉鎖されるため、路線バスも、時刻表によると『6/10〜10/9運行』となっている。今日は10月5日であるからバスが走っているはずだが…。このバス路線は、斜里バスと阿寒バスの共同運行らしい。ぎりぎりの時間までバスが来る様子がなかったので、若干不安になったが、時刻表をよく見ると、羅臼を出てきたバスがこのウトロ温泉バスターミナルに着くのが14時35分、羅臼行きの発車時刻が同じく14時35分となっており、タッチだけしてとんぼ返りするような、苛酷なダイヤになっている。はたして、阿寒バスの大型車がやって来て、乗り込むと、すぐに発車した。乗客はぼく一人だけだった。


 ゲートを通って、いよいよ、知床横断道路。


 羅臼岳が眼前にぐんぐん近づいてくる。錦繍をまとい雪をかぶった、量感のある山容が、右に左に現れる。


 知床峠を越えると、反対側の海が見えた。そして、あの島影は…? 国後島だ! 国後、というかいわゆる北方領土と呼ばれる島を、自分の目で見るのが初めてだった。こんなふうに見えるのか、すぐ近くじゃないか、と、興奮した。


*


 羅臼に着いたのが15時25分。山から下りてきた国道が町に入ろうとするあたりに、阿寒バスの営業所があり、そこが終点だった。要するに町はずれである。役場や郵便局や病院がある通り(これもおそらく旧道なのだろう)をぶらぶら歩いて、港のあたりまで行ってみた。


 対岸に国後島が見える。こちらから見えるあたりには、町はないようだ。

 次に乗るのは16時50分発の釧路行きの阿寒バス。最終のバスであり、これを逃すと今日はもう羅臼から出ることはできない。──道の駅では名物の羅臼昆布などを売っているが、食堂でもないかな、と思いながら歩いていたところ、喫茶店らしきお店を見つけた。もちろんお客はいないので、こんにちは、やってますか、と声をかけ、出てきたマダムに、コーヒーをいれてもらった。ストーブの入ったお店のカウンターで、マダムから、「今年はイカが全然とれないのよ」といった話をうかがう。そうこうしていると地元の客がやってきて、「ロシア人に、喫茶店があるって教えといたよ」…なんていう話をしている。

 もっといい季節にまた羅臼に来なさい、と言われてお店を辞し、バスに乗った。乗客はぼくを入れて2人、途中、病院帰りらしいおばあさんが一人乗ったが、途中の集落で下りて行った。国後の島影に、まん円い大きな月が、ぬっと上った。

*


 海沿いの集落をたどりながら、標津のバスターミナルに着いたのは17時45分頃だった。標津は、国鉄時代は標津線根室標津駅という終着駅があった町で、バスターミナルはその駅の跡にあるということだが、もう暗くなっており、妙にだだっ広い空間があるが何だろう、という程度しかわからない。国道を少し南に歩いて、郵便局の前にあるホテルにたどり着いた。


 ここは当日の昼間に予約してあった。インターネットでは満室になっていたが、電話をしてみたところ、「バス・トイレのない部屋なら空いていますが。素泊まりで5,600円です」と言われ、それでいいですよ、と言っていた。行ってみると、「キャンセルが出て、バス・トイレつきの部屋があります、6,500円ですがどうですか」とのこと。温泉浴場があるはずなので風呂はともかく、トイレは共同よりも部屋にあったほうが気分がよいので、それでお願いします、ということにした。ホテルとはいうものの、町の旅館という感じで、玄関にはたくさんの靴が並んでいる。最果ての町に泊まる客がこんなにいるのか、繁盛しているな…と思いかかったが、これはどうやら、宿泊客というよりも、地元の集会か何かのようで、夜遅くなると、並んでいた靴はほとんどなくなっていた。


 この日は標津の町の国道沿いにあった“郷土料理”のお店で、豪勢に、ウニ丼を食べて…


 セイコーマートで缶ビールを買って宿に戻り、温泉浴場に入って、就寝。