night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

10/6(金)釧路散歩


 釧路駅の駅舎にも見覚えがあった。ということはぼくが高校時代のことで、もう20年前のことになる。

 今日は午前中から標津を飛び出して、釧路まで出てきたわけだけれど、次の目的地に急げるかと言うとそうではなく、3時間ばかり空いている。とりあえず歩き出した。


 幣舞橋。橋自体は、さほど見映えのする橋でもないけれど、春夏秋冬の四つの擬人像が立っていて、上品だ。


 上から、秋、冬、春、夏。どれかが佐藤忠良でどれかが舟越保武らしい、というようなあいまいな知識しかなく、見ていたが、独特な動きをしている「夏」が佐藤忠良だろうな、と思ったら、当たりだった。


 おお、軍艦。425という艦艇番号を後から調べたところ、補給艦“ましゅう”だそうだ。


 波止場近くに、かわいらしいレンガ造りの建物が。復元された釧路新聞社で、中は、カフェと、石川啄木に関する資料室になっている。


 明治41年、1月に啄木は釧路にやって来た。「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」という有名な歌を残している。この時代、鉄道は釧路が終着駅であり、駅もいまの釧路駅とは別の場所だったようだ。当時の釧路の地図を見ると、どちらかというと幣舞橋の対岸のほうが栄えていたように見えるので、駅のあたりは、貨物の波止場の近くの、荒っぽい町だったのかも知れない。いまの釧路を見ると、繁栄ぶりは完全に逆転している。


 しかし、釧路でも芸者遊びにうつつをぬかし、何人もの女性と仲良くやっていた啄木、なにが「さびしき町」だよ、と思うわけだけれど。釧路新聞社で責任ある仕事を任せられていたのに、俺はこんなところにいる人間じゃない、とばかりに、啄木はその年の4月には釧路を離れている。


 高台の公園から市街地を見下ろす。はるかには阿寒の山並みが。


 和商市場とはどこだろう、と地図を見ると、意外にも現在の釧路駅のすぐ近くだった。“勝手丼”という風習があることで有名だが、そんなことをしている観光客など誰一人いなかったので、ふつうに食堂に入って海鮮丼を食べ、ビールを飲んだ。駅に近いのは列車の時間待ちには便利だ。