天気很好、非常美麗、次は第一関だね、と運転手に話しながら、山海関の市内に戻り、石畳の古い街並み(おそらく街並み保存地区なのだろう)を進んで、巨大な城門の前に至った。車を降りると、民芸品を売りつけるオバサンがすかさず近寄ってくる。不要不要、と言いながら追い払う。オバサンは運転手に、こいつは韓国人か? などと言っている。
門の前には観光用のラクダやアルパカ(?)がいたりする。無断で写真を撮ると怒られる。
ここの入場料は15元。城門と町を囲む城壁は明代に築かれたもの、そしてここは国境の軍事駐屯地であったようだ。
明の将軍呉三桂がこの城門を開き、清の摂政王ドルゴンの軍勢が華北になだれ込むさまを、思い浮かべる。──また、張作霖も、ここを通って華北に進軍していった。昭和8年には日本の関東軍がここを通った。…不思議なことに、その誰もが、最後には中国を追い出され、帰って行ったのだ。そんな歴史を持つ、境界の城壁である。*1
左側が山海関の街、右側が満州。
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タクシーは老龍頭景区の入口に至った。広い駐車場と大きなヴィジターセンターがある。ヴィジターセンターで入場券(20元)を買い、とぼとぼと入場門に向かった。
袁崇煥。明の時代、清軍に山海関を抜かせなかった名将。
海岸沿いには澄海楼という楼閣が建っており、その先で、いよいよ長城が海に没する。
こここそが、万里の長城の東端*2、長城が海に没するところ…。
海水浴場になっているようだ。それにしても、冬の華北で、こんなに青い空と青い海が見られるとは。来てよかった。
「求めよ、さらば与えられん」としか読めないが、合っているのだろうか
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15時半頃、山海関駅に戻ってきた。「二百?」と言いながら紙幣を出し、「再見。」と言って運転手と別れた。約5時間のタクシー観光、なんのトラブルもなく終わって、一安心だった。
駅前の雑居ビルの1階の食堂で、食事した。“全国連鎖 中式快餐 快天下”という中華バイキングファストフード店で、いくらだったか忘れたが、ここの食事はうまかった。だが、マントウはやはり味がない。主食に味がないのは、そういう文化なのだろうけど、なんだかもさもさと物足りない。
まだ少し時間があるので、街をもう一度歩いてみる。
街を囲む城壁と、古い街並み。城壁沿いでは市民が散歩していたり、露店の理髪店が店開きしていたりした。
このスローガン、北京市内ではあまり見なかったのだけど、山海関(河北省秦皇島市)では、街なかで走っているタクシーの車上の電光掲示に突然現れたりするので驚いた。調べてみると、2012年の第十八回全国代表大会で提唱されたスローガンだそうです。
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城壁と街並みを眺めてからぶらぶらと山海関駅に戻り、駅の構内に入る。X線検査機に荷物を通し、旅券と乗車券を見せる。ぼくの日本国旅券を見て、係官のオッサンが「リーベンレン(日本人)!」と言う。やめてよ大声で言わないでよ、と思う。
走り抜けて行く高速列車、これはアルストムの車両。
ホームで写真を撮っていると、若い駅員が「写真撮ったか?!」と言いながら近づいてきた。この国では鉄道施設の写真撮影は本来禁止、というか駅構内の風景のスナップとかでも実はグレーゾーンで、禁止と言われたら禁止なわけで従うしかない。面倒を避けるため、英語で「8号車はこのあたりか?」と話を逸らした。「もっとあっちだ。足元に書いてある。緑色の印だ。」と言われて、退散した。
D16列車は、瀋陽を14時32分に出て北京に向かっている列車である。やって来たのは、さきほど見たアルストムの車両だった。指定された一等座車に向かうと、ぼくの座席にはすでに人が座っている。私の席だ、と言うと、その人たちも他の人と席を交換しているので、周りの人たちがよってたかって、俺はそこなんだが、私はどこだ、…「そこが空いてるから座ればいいよ。」と言う話の流れになった。面倒な国だな、と思いながら、言われたところに座る。窓際だからまあいいか。
華北の大地に沈む夕日
この列車は、往路に乗ったG列車(高鉄)ではなく、D列車(動車)という種類で、電光掲示を見ていると、最高でも時速155km/h程度のようだ。超特急とも言うべき高鉄に対して、在来線特急という感じだろうか。速度だけではなく料金にもだいぶ差があって、今回は、往路の高鉄の一等座が305.5元だったのに対し、この動車は一等座でも110.5元であった。──だが線路は強化されているらしく、安定して走るし、そもそも日本の在来線特急よりも速い。そして、動車でも瀋陽から北京まで5時間で着くのか、と感心する。中国の鉄道の高速化は確実にこの国の発展に役立っているのだろう。日本だってそうだったわけだから。
秦皇島からは、往路に乗ったG列車とは別の路線を走り、唐山北を通って、天津を通らずに、通州の方から東からまっすぐ北京市内に向かう経路だった。しかし暗くなってきて、車窓はもうわからない。北京が近づいた頃、トイレに行ったついでに、6号車の“餐車”を見に行った。一両の半分のスナックコーナーであった。服務員がスマホをいじったり乗客の子供と遊んだりしていて、カウンターでは電卓を叩いて売り上げを締めていた。なんとなく、想像した通りだった。──北京の東六環を越えたら、俄然、車窓にアパートが林立し始めた。昔、北京に来たときは、空港から車に乗って、三環路を過ぎたらガイドさんが「市内に入りました」と言った記憶があるけれど、いまは六環まで市街地が拡大しているんだなあ。
ほぼ定刻に、終点の北京駅に着いた。下車すると、ホームが真っ暗なので驚いた。
この、覆いかぶさるような暗さと、赤い電光掲示と、雑踏。中国の駅ってこうだった。変わっていなかった。無口な人の波に押し流されて、門を通り、駅前広場に出た。
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北京駅の北側のビルのKFCで食事して、104路電車(トロリーバス)でホテルに戻ることにした。
トロリーバスの運転士が、紐を手繰って、トロリーポールを架線にうまくはめるところ。
寛街路口の停留所でトロリーバスを下りて、売店で缶ビールを買い、ホテルに戻ったが、この日はさすがに疲れたので飲まずに寝てしまった。だが、無事に遠足から帰ってこられてよかった。明日は帰国の日。