night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

2/21(火)雪塵の甍、紅牆の道 ─紫禁城(2)

 紫禁城の北東側にある、皇帝や宮妃たちの後宮群を歩く。…と、このころから、白いものがちらつき始めた…と思ったら、雪が降ってきた。


 みるみるうちに地面が白くなっていく。雪の紫禁城とは、風流じゃないか! …しかし日本人のぼくが思う“風流”とは、この大陸の帝都ではどうなのだろう、などと思っていたら、どんどん降り方が激しくなった。──雨から変わって降ってくるような東京のべちゃべちゃした雪とは違って、最初から雪で、オーヴァーコートに降りかかっても溶けずにそのまま凍っていくような、そんな雪だった。


 暢音閣。この向かいにも建物があり、玉座がある。…そう、これは劇場。京劇を演じて、皇帝たちを楽しませたということだ。


 珍妃の井戸。義和団事変のとき、戊戌の政変で幽閉させられていた光緒帝の妃であった珍妃が、投げ込まれたという井戸だ。こんなに小さい井戸なのか…??

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 宝物はまだまだ続く。


 赤珊瑚の盆栽風?


 これはまさか…伝説の、華胥華朶では…??*1


 流麗な満州文字が刻まれた玉帛。


 如意棒っていうのはこういうののことを言うのです、本来は。


 美しい彫漆の器。


 玉を彫り、仙境をあらわす。

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 外朝もすっかり雪に覆われた。これは、ある意味、いい日に来たものだ。


 レストランで食べた餃子。

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 あなたインドの神様(ターラー)ですよね


 室内展示。しかし寒々しいなあ。人の住んでいた時代を想像しにくい。



 ここだけ異様な西洋風廃墟。これは延禧宮と言い、建設途中に革命が起きて放棄されてしまったという。



 城の北側の庭に出てきた。


 神武門から紫禁城の北側に出た。“故宮博物院”という扁額は、文学者の郭沫若の揮毫によるものだそうだ。

 1924年の秋、宣統帝愛新覚羅溥儀が、馮玉祥の軍隊によって紫禁城を追われたとき、この神武門から出たのだそうだ。だが、映画『ラスト・エンペラー』を見返してみると、そのシーンは、どうやら午門で撮影されている。あの映画で、何度も象徴的な場面で出てきた「門」、「ドア」は、午門だから、映画としてはそれでよいと思うけれど。──紫禁城故宮博物院として一般に公開されたのはその翌年のことである。

 時間をかけて、歴史の現場を改めて歩いて、満足だったけれど、それでも、城内の公開されているすべての場所を歩いてはいないと思われる。


 城外の堀は、半ば凍っていた。


 面白かったのは、この、“ライター受取所”。つまり故宮の入場時に取り上げられたライターを、ここで返す、ということのようだが、ただのリサイクル所になっていた。

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 神武門から出ると、向かいに広がっているのは、小高い丘の、景山公園だ。2元払って中に入った。森林公園のようなところで、散歩には気持ちのいい場所だった。


 “明思宗殉国処”という説明看板が。1644年、明朝の最後の皇帝、崇禎帝は、李自成の反乱軍の侵攻を受けて紫禁城から逃げ出し、景山で首を吊って自殺した。それがここだと言う。


 丘を登って行くと、いくつかの楼閣がある。左の方に映っているのは、雪玉を作って遊んでいる警備員。


 紫禁城の甍の海が、眼下に広がった。これだ。この風景を見たかったのだ。

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 この日はこのあと、


 后海(什刹海)沿いを散歩してから、バスで引き返して、鼓楼の交差点で下り、歩いてホテルに戻った。


 途中、南鑼鼓巷という通りを歩く。ここは近年賑やかになった、北京のウラ原宿みたいな、おしゃれスポットらしい。甘いものを買い食いしたりした。



 夕食、ホテル近くの食堂で食べた、水餃(“3両”頼んだら、来たのを数えたら14個あった。十分だ)と、肉と野菜と椎茸を油でどうにかしたやつ、そして雪花ビールで、54元。一人分の食事としては高いけれど、一人で食事をしにくい国だからなあ。炒め物はまあまあの味だが、主食のはずの粉ものが、味がなくて、おいしくない。主食だからこそなのかも知れないけれど。

 食堂で食べていると、若い女性(学生くらいかも)が注文して、無表情でビニール袋のパックを受け取って、出て行った。店の人も自然に送り出している。近所の常連で、つけで払ってるのかな、と思ったら、少ししたらその女性が戻ってきて、没付銭、かなにか言って赤い100元紙幣を差し出した。お店の人も、あはは、みたいに話しながらお釣りを持って来ている。ちょっと不思議な場面だった。

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 午後は少し小降りだった雪は、夜になるとまた激しく降ってきた。好邻居という民族資本のコンビニで缶の青島ビールを買ってホテルに戻り、部屋でテレビを見ながら、スマートフォンでネットしたりしながら、だらだらと。──河北衛視のニュースは、河北全省で明日には雪は止むでしょう、道路の凍結が予想されますので注意してください、と、わりと当たり前のことしか言わない。しかしまさにぼくの心配はそれで、道路が凍結したら明日の朝の市内の交通は大丈夫なのだろうか。

 ちょっと恐ろしいと思ったのは、河北衛視もCCTVも、ニュースでは、「吉隆坡空港で一朝鮮籍男子が死亡した事件で、現地の衛生当局は…」などと言及していた。誰だかわからない人が何故かわからないけれど死んだので調べている、というニュース…なのか? だが、検索してみると、インターネット上では、死者の実名も出ているので、何が起きたかをこの国の人が知らないというわけではないようだ。メディアによって取り上げ方に差がある、また、敢えてそういう統制のしかたをしている、ということだろうか。──ちなみに、いま話題の米国大統領は、この国では“特朗普总统”と書く。

 だらだらとテレビを見ていると、中国のテレビドラマの二大ジャンルが、“武侠”と“抗日戦争”であることを思い知る。しかしさすがに抗日戦争ものは見ていて複雑である。だって、内容がめちゃくちゃなものもあるのだ。“防疫給水部”のマッドサイエンティストみたいな科学者の軍人が“魔毒一号”という毒ガス兵器を作って、おどろおどろしいガスマスクをつけた兵隊がそれを“義勇軍”に向けて使ったりしている。こうやって歴史観が作られているのか…だが“義勇軍”側も、中共と政府を混同している設定があったりして、中国だなあ、などと思う。そもそもその頃の満州国中共の“義勇軍”が…?? 見ているとそれなりに面白いので、ますますだらだらと見てしまうのだった。

*1:小野不由美十二国記』参照(^^;