町田市の北側、多摩市に近い一帯は、小野路町と呼ばれていて、里山風景が残っているところだ。町田市に住んでいても行く機会のないあたりで、ちょっと出かけてみることにした。
鎌倉街道(都道18号線)の別所交差点から入ってすぐのところ。このあたりではまだ集落ごとにどんど焼きをやっているようだ。
町田でもフットパス整備のようなことをやっている市民団体があるらしく、ときどきこういう道標が立っている。が、必ずしもわかりやすいわけではない。
多摩市の恵泉女学園大学のところまで出てしまった。また山道に戻る。
昭文社の山と高原地図「多摩丘陵」というおあつらえ向き(?)の地図を書店で見かけて買ったため、来てみたのだけど、この地図、やはり必ずしもわかりやすくはない。途中、曲がれと言っているのは本当にここか? と訝るようなけもの道に踏み込み、落ち葉が積もった斜面をずるずると滑りながら下りて行った。
下りたところは谷戸田の跡地のようなところ。「布田道」という道標が立っている。道は合っていたらしい。「布田道」ということは調布の布田につながる往還だったということか。
切通し道を越えると、小野路宿に出る。
小野路宿は中世から鎌倉古道が通った交通の要衝だったらしく、江戸時代も脇往還の宿駅となっていたらしい。当地の名主の小島氏が剣術で有名で、新撰組の近藤勇が習いに来ていたという話もあり、今でも「小島資料館」として見学を受け付けているが、限られた日しか開館していないこともあって、訪れたことがない。──ここはかなり最近まで、自動車の離合が困難なくらい狭い道路と、それに沿って板塀が並ぶ風景が見られたが、多摩市から町田市に至る抜け道として自動車の往来がかなり激しいため、町田市民のぼくも「危険な道路」として認識しているくらいだった。段階的に道路が拡幅されているし、街並みも往時をしのぶのは難しくなっている。
つい最近オープンした、「小野路里山交流館」という施設。物産店と観光客の休憩施設と村の寄合所のような機能を持たせた場所のようだ。
小野路里山交流館のすぐ隣にある、小野神社。案内板には、平安時代に小野篁の子孫が武蔵国司として赴任した際にここに小野篁の霊を祀ったのが由来…とある。
神社に宮鐘があるというのは、神仏習合の名残りなんだろうなあ。
天保十四年と彫られている。
小野神社の脇からまた山に入る。山道の追分に、またこんなものが。薄暗い山道に現れるとぎょっとする。
萬松寺。禅寺らしく、砂にきれいに模様が描かれており、踏めない。
雑木林を分け入り、少し小高くなったところに、小野路城跡と言われるところがある。鎌倉時代の小山田氏の支城だったということだ。なぜか小野小町伝説なんかもあって「小町井戸」というのが近くにあるということなのだけど、すでに夕暮れが近くなっていて、見つけられなかった。