night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

「フェルディナント・ホドラー展」@国立西洋美術館、「ボストン美術館 ミレー展」@三菱一号館美術館 1/11

 共に会期が翌日までのため、1月11日(日)の午後、駆け込みで出かけた。千代田線の湯島から不忍池沿いを歩き、まず上野の西洋美術館へ。


冬枯れの不忍池

 チケット売り場に行列ができていて10分くらい並んだかな。ホドラーというスイスの画家、時代的には19世紀末から20世紀初頭にかけて活動していた人。──展示の最初は、こぎれいな風景画が並ぶが、これといって特徴がない。だが、次のコーナーから劇的にようすが変わり(展示室の壁の色が紫色っぽい暗色になってがらりと雰囲気が変わる)、まず、死んだ農夫の絵がひっそりとかけられている。頭から血を流して横たわっている若者の絵(いったん描き込んだ「善きサマリアびと」を塗りつぶしたという)は、さらに木の枝を描き込もうとしたような跡が見えるようで、未完成の絵のようだが、印象の強い絵だ。白衣の老人が5人歩いている大きな絵が目立つが、それ以外にも、老人という画題に、なにか底知れない禍々しさを感じていたのではないか? と感じた。圧巻なのは、3人の裸の女性の絵、体つきも表情も不自然で、身体や顔の造作や体勢は、なんとなく東洋的というかバリ島的ですらある。ゴーギャンタヒチで描いた超自然の力に似たようなものを感じた。このへんの人物像は、皮膚に落ちる影が緑色で描かれていて、緑青やカビを連想してしまったが、とにかく人物に生気がない。

 階を降りると、こんどは急に白い背景の部屋になり、アルプスの風景を描いた作品が並ぶ。でもこれも抽象化された風景で、まるで現実とは思われないお餅みたいな雲や、画面の端にもさもさとわざとらしく散らされた雲など、とにかく変だ。だが、山の稜線の曙光をあらわした黄色い絵の具がきれいだった。最後、奥さん(愛人?)の死ぬ姿と、白鳥のいる湖の向こうに夕暮れの稜線が連なる絵は、厳粛であった。──展示の構成に緩急がついていて、よい展示だな、と思った。

フェルディナント・ホドラー展

 西洋美術館、常設展示も一回りしたが、…あれ! マリー・ガブリエル・カペさんがいない!!(いまは展示されてないようです) ──ダンテ・ガブリエル・ロセッティの『愛の杯』ってそういえばここの所蔵だったんですね。そういえば見たことのない黒い服の女の子の絵があって気になったけど、あれは誰のなんという絵だったのだろう。メモしてくればよかった。

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 山手線で有楽町に移動して、三菱一号館美術館へ。こちらも大混雑で、しかもチケットを持っている人の入場列とチケットを買う人の列をいっしょくたに並ばせているという不可解な整理のしかたをしていた。…これ、「ミレー展」といいつつ、ミレーの作品は半分以下では? 「種まくひととバルビゾン派のなかまたち展」かなんかにすればよかったのに(?)。コローの女の子の絵なんかははかなげで好きなんだけど、いかにもな感じの風景画がたくさんあってもなんだか茫洋としててつまらないよね。『種をまく人』は、おそらく暗さから来る凄みが。意外と大きな絵なのね。ミレーって農民の姿を多く描きながら、農民や羊飼いの顔を描くのは苦手だったのだろうか。人の顔はどれもぼんやりしていたり、描かなきゃいけない角度でも能面のようにつるんとしているものばかり。夫婦でジャガイモを植えてる絵は好きだったけど。。。ミレーの展示としては、昨年に府中市美術館でやっていたミレー展で、ポーリーヌというかわいい奥さんの死ぬ間際の姿を描いた作品に衝撃を受けたのだけど、あの府中のほうが、ミレーの生涯を追った構成で、こちらよりよほど優れていたと思う。──三菱一号館は、館内が非常に狭苦しくて移動しづらく、さらに、場所柄なのか、来場者やスタッフの雰囲気がスノッブな感じで鼻につき、ぼくは好きじゃないな。

三菱一号館美術館 > ボストン美術館 ミレー展

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 帰る前に、有楽町の高架下のビアホールで一杯。レーベンブロイとフィッシュアンドチップスを頼んだら、ドイツなのか英国なのかという感じになってしまったが、いいお店だ。手軽に飲んでから帰宅。