night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

9/22(月)外灘、浦東、豫園、そして外灘

 一息ついてから、公園内をぶらぶら歩く。上海当代芸術館(日本語にすれば“現代美術館”だろう)があったので立ち寄ってみた。“海上花 Shanghai Flower”という抽象画展を開催中。入場料は50元だった。



 李磊(Li Lei)という人の個展のようだ。きらいじゃない。

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 人民公園を出て、南京東路を外灘まで歩くことにした。南京路歩行街という歩行者天国を通る。戦前の民族系百貨店の建物がいまでもデパートとして使われている、華やかなショッピングストリートだが、ゴミ箱あさりの人も多い。

 南京東路を歩いていると、「マッサージ、カワイイ!」と何度もオヤジから声をかけられる。一人で歩いている外国人っぽい男、というのは、とりあえず声をかけてみるべきカモなのだろうか。立ち止まって写真を撮ったら、歩道に座っていたオヤジが目ざとく気づいて近寄ってくることがあった。とは言え、何もせず歩いているだけで日本人だとバレているのが、どうも悔しくてならない。なぜだろうか(単に、とりあえず日本語で声をかけてみる、ということかもしれないが)。無視して歩いていてもしつこく追っかけてきて腕をつかんだりするので、イライラ度は上がる。意地でも日本語などしゃべらず、英語や中国語でいなしていたが、「お金ないもんね〜」と中国語でうそぶくと比較的穏便に済んだ。

 外灘(ワイタン:The Bund)にたどり着く。黄浦江沿いに租界時代の建築が建ち並ぶ。これはすごい。東洋のウォール街だ。川沿いの広いテラスは、戦前は荷揚げ場だったところを埋め立ててきれいにしたものだろう。和平飯店、上海海関、浦東発展開発銀行、…建物にはすべて、五星紅旗がひるがえっている。黄浦江の対岸は浦東新区と呼ばれる新都心で、高層ビル群と、奇妙な形の東方明珠塔が見える。

 外灘には夕方にまた来ることにして、観光隧道で浦東に渡ることにした。

 無人運転の水平エレヴェータのようなゴンドラが、対岸との間を結んでいる。走り出すと、トンネルの中は色とりどりの光が明滅する。未来感である。

 浦東にやって来た。とは言え、高いところに興味があるわけでもないので、東方明珠塔には昇らない。上海海洋水族館というのが、東方明珠塔のすぐ近くにある。先ほどの観光隧道は、片道乗車券と海洋水族館のセットで195元というチケットを買って来ていた。

 海洋水族館はなかなかすごいところだった。いきなりちゃぷちゃぷと手が入れられてしまうようなところで大きな魚が泳いでいるので、おいおい大丈夫なのか、と思っていると、その水槽の下に潜っていくようにエスカレータが下っていく。…マジか、と独り言が漏れた。



 頭上にサメやエイが泳ぐ。南極ゾーンではペンギンの群れが所在無げにたたずんでいたり目の前を泳いだりしていた。日本であまり水族館に行ったりしないのでよくわからないが、最近の水族館ってすごいんだなー。

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 陸家嘴駅から、緑のラインの地下鉄2号線、南京東路駅でラベンダー色のラインの10号線に乗換えて、豫園(イューユェン:Yuyuan)へ。黄浦江を挟んでいるとは言え、たいした距離ではないのだが、地下鉄の乗換えが遠く、意外と時間がかかる。




 豫園は明代の役人の邸宅であり、外国人観光客が多い。しかし、この邸宅はいったいなんなんだ。火山性の奇岩がゴツゴツと配された庭。山水画の仙境のような風流…というわけでもない。正直言ってとても趣味がよいとは思われない。感覚の違いであろうか。──金髪の西洋人女性に英語で説明しながら案内している中国人女性がいた。西洋人が、「ここは誰の家だったの? 日本人?」などと問い、聞くともなく聞き耳を立てていると、そこから「ジャパニーズ・インヴェイジョンは1945年に終わり、1949年にニュー・チャイナが建国された、10月1日は我々のインディペンデンス・デイなのです!…」等と話している。なるほどね。



 でも、こういう意匠は好き。


 ステージで、陶器を鳴らして音楽を奏でる合奏団が演奏していた。景徳鎮女子青花瓷楽坊、とかなんとか書いてあった。あの横笛も陶器なのだろう。だが、一番肝心な主旋律を二胡が担当していて、それがオッサンだったのが、イケてない。(笑)

 豫園の近くは、豫園商城という観光ショッピングエリアになっているが、それに隣接して、上海城隍廟があった。城隍廟とは、中国の古くからの民間信仰でその町の神様(城隍神)を祀るお寺で、昔は中国のどの町にもあったが文革時にかなり破壊されたらしい。上海城隍廟も、文革で破壊されたが2000年代になって政府の保護文物に指定され復興された、という意味のことが書いてあった。


 廟の内部には恐ろしげな顔をした道教系の神像がいくつも安置されており、人々が額づいてお祈りしているが、写真を撮ってよいのかわからない。一人、映画の衣装のような漢服を身にまとった、しかしその漢服の背中には大きな虎の顔の刺繍があり、髪を赤く染めた若者が歩いている。これは…ちょっとヤバいやつだぞ、一種のコスプレだよね、と思っていたら、その男の携帯電話の着信音が、「…いっぺん、死んでみる?」というアレだった。すぐそばからいきなり日本語のキメ台詞(?)が聞こえたので、ちょっと焦った。いよいよもってヤバいやつであった(苦笑)。豫園商城にはフィギュアショップなんかもあったなあ。

 強い雨が降ってきていた。豫園商城の近くで、“福建海鮮面”という看板を出している店があったので、食事することにした。なんとかという麺(16元)と青島啤酒1缶(7元)、併せて23元。民族系のファストフード店で、カウンタにメニューもあって注文するのに何の不都合もなく、しかも500円未満の手頃な食事だ。麺はうどんに近く、小魚に衣をつけて煮たのが4尾くらいぶっかけてある。小魚は骨っぽいが、これは無理して食べなくてもよいのだろう。魚系のスープの文化は日本に近いせいか、もちろん日本食とは違う味だけれど、食べてあまり違和感がない。

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 外灘に戻る。外灘では、鐘の音が、『東方紅』のメロディが冒頭だけ中途半端に鳴るので、なんだろう、と思っていたが、しばらく外灘をぶらぶらしていてわかった。海関の時計台の鐘は、『東方紅』のメロディを、毎時15分に冒頭4音を鳴らす → 毎時30分にその倍を鳴らす → 毎時45分にその倍を鳴らす → 毎正時にはフルメロディ、そして時報の鐘が鳴る、…という仕組み(?)なのだった。『東方紅』は人民中国の有名な革命歌であり、ぼくも1番だけなら歌える(笑)。ビルごとに翻る五星紅旗とあいまって、ここが人民中国であることを強調しようとしているかのようだ。



 だんだんと夜のとばりがおりる。蘇州河にかかる外白渡橋という古めかしい鉄橋(租界時代には“ガーデンブリッジ”と呼ばれていたそうだ)の向こうには上海大厦、そして浦江飯店が建つ。浦江飯店は、その昔はチャップリンが泊まったという歴史あるホテルである。しかし時代とともに変わっていったようで、ぼくが学生の頃はバックパッカー向けのドミトリーがあるホテルとして有名だったが、今ではどうなんだろうか。いまでも予約サイトとかで部屋が取れるみたいですけどね。



 しかし、傘をさしていられないくらいの風雨である。これはカメラが壊れちゃうかもな、と思いながら夜景の写真を撮っていたが、きれいではあるけどどうも光が足りないような…? と思っていたら、19時の鐘が鳴って、ふと気づいたら浦東の東方明珠塔が色とりどりに輝いていた。そういうことか、19時からライトアップの時間だったのか! 振り返ると、外灘の建築群も金色にライトアップされている。早く言ってよ!(?)、もうカメラのバッテリーが切れてしまうよ(笑)






 なんだかなあ、と思ったのは、上海で最高の格式を誇るフェアモント・ピース・ホテル(和平飯店)の前でも、「オニイサン、マッサージ!」のオヤジがいたことだった。おい、“文明城市建設”はどうしたんだよ、と思いながら、外灘をあとにする。福州路の全家Family Martに寄って(上海のファミリーマートでもあの“ファミマ入店音”が流れ、店員は「歓迎光臨全家!(ほゎんりんぐゎんりん、ちゅぇんじぁー)」と声をかけてくる)、地下鉄の南京東路駅まで歩く。もう夜なのでよくわからなかったが、福州路も、レンガ造りのアパートなど、地味に古い建築が多いようだ。メトロポール・ホテル(新城飯店)なんかも租界時代のものだが、改装中らしく閉鎖されて瓦礫が積み上がっていた。歴史ある大都市だけに、上海、奥が深いぞ、ちゃんと予習して来たらかなり面白いところだろう、と思う。──地下鉄でホテルに戻って、全家で買ってきたパンとかで軽く食べてから、缶ビールを飲み、休んだ。


 本日のコーヒー。

 これは…まさに、ランチパック!中身は餡だった。

 三得利(サントリー)のビール。