night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

『やがて君になる』テレビアニメーション全話完走。

 昨年の10月からは、『やがて君になる』を見ていた。よい物語だったし、テレビアニメにならなかったら自分はまず触れることのなかったコンテンツでありジャンルだったと思うので、制作陣には感謝したい。──ぼくは毎クール、アニメの放映情報などはちょいちょい気にして、ぴんと来る作品は1話を録画して見たりはするのだけれど、結果的に継続して見ることになる作品はほとんどなく、あっても一期に1本か2本程度だし、1本も見ないクールもある。だが、『やがて君になる』は、1話のAパート、舞い上がる緑の風の中の燈子先輩の立ち絵で、もう心は継続視聴決定、だった。

 キャラクタの絵柄はまるで少年誌風だけど、高校生の女の子同士の恋愛のストーリー、という、不思議な作品である。作者は見慣れない鳥の名前のペンネームだけど、この人たぶん女性だよね、男が書くプロットじゃないな、と随所で思っていた(年明けに、ウェブラジオに出ておられましたね)。──アニメ5話まで見たタイミングで、11月の初旬に、これはもう原作を読まなきゃいけないぞ、などと思い、とりあえず今出ている6巻まで、コミックスを一気に買ってきて読んだ。コミックスを読んだり買ったりする習慣が子供の頃からないぼくにとっては、これは異例のことである。

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 それはさておき、この作品、1話で、侑は、人を“特別”に思うという気持ちがわからない、と言う。侑は、人間関係だけではなく、中学の頃のソフトボール部でも、誘われたら熱心に打ち込むけれど決して心から入れ込むことはなかった、…「おまえは一度も泣かなかった」と友人から評されている。誰しも、与えられた環境や人間関係の中で生きていて、高校で出会った燈子先輩との関係──なぜか与えられる無償の好意を受け入れること──も、最初はその延長だったわけだけれど、それによって徐々に変わっていく侑が、燈子を離したくないと感じてしまい、そのことを初めて自分で選びとった瞬間が、アニメ6話Bパートの川のシーンだった。(あのシーンの侑の瞬発力はすごいよね。ちょっとあり得ないと思ってしまうほど。誰にでもできることじゃないよ、と感心してしまう。) ──なんとなく生きていたキャラクタが、“特別”を持っている人物に触れて、変わっていく、という仕掛けは、既視感がなくもないのだけど、それでも、“人を好きになることが所与のことではない”という、このラブストーリーの奇妙な前提、それ自体に、まずぐっときてしまうのだ。

 燈子は幼い頃に亡くした姉の影を追い、姉に成り代わり、姉のような優等生になろうとして、そのように振る舞い、努力してきた。だがそうして周囲から向けられるようになった好意を、“本当の自分”に対するそれだと思うことができない。そして、自分が目指していた姉の姿が、姉という人間のほんの一部分でしかなかったことを知り、人によって見るものが全く違うことに気付かされると、生きる意味を見失ってしまう。──彼女が着る高校の制服が、姉のお下がりであることを示唆する絵があった(アニメ6話)けれど、あれは衝撃的だった(そこまで見てから、改めて3話の生徒会長選挙の場面を振り返ると、あれが燈子にとって、人生をかけたイヴェントであったことがわかる──この高校に進学して、生徒会に入って一年間過ごし、二年生で選挙に出て、生徒会長に当選できなければ、そして生徒会長として、姉が成せなかった「生徒会劇」をやることができなければ、彼女のこれまでの人生のすべてが無駄になるところだったのだから。そんな人生の賭け方をするか…? だが彼女はそうしてしまったのだ)。

 沙弥香は、高校の入学式で新入生総代だった燈子を見て一目惚れしてからずっと、生徒会でもクラスでもナンバーツーとして、燈子の一番近くにいて、燈子を支えている。燈子の、ある意味で弱く、歪んだ内面も理解しているけれど、そんな彼女を変えようとは思わない。燈子に踏み込んで拒絶されるのを恐れ、今の関係を維持したいと思っているからだ。ちょっと受け入れがたいくらい、つらいよね、その考え方…(沙弥香については、私立の女子中時代に身勝手な先輩に手ひどい目に遭わされた、という過去があって、そのサイドストーリーすらもメディアミックスで丁寧に展開されている(『佐伯沙弥香について』)のが、角川、ニクいよね…。そして、その先輩に駅で出くわしたとき(アニメ8話アバン)、燈子の腕を取って「さようなら」と言ったときの表情、あれは、もう、見てて、一人でテレビの前で「よしっ!」とガッツポーズしてしまった(笑))。だが侑が現れたことで、侑に対して、嫉妬のような焦燥や、優越感を抱いたりと、心を乱されることもあったが──アニメ6話の「私が無邪気に信じていると思った?」のシーンは、茅野愛衣さんの演技と、急に横倒しの変なアングルで描かれた二人の絵もあいまって、凄みのある場面になっていた──、やがて、燈子を囲んだ不思議な共犯関係が成立していく。アニメ9話の体育祭のリレーで、侑のバトンを待つ沙弥香の表情は、まさにベストショットの一つだったし、「燈子…、もう、いつもいつもそうやって…!」というモノローグ(そしてギアをさらに一段上げて走る沙弥香!)には、見返したらちょっと泣けてしまった。沙弥香の本気のぶつけ方がこれなんだ、と…。この作品で最も魅力的なキャラクタは、沙弥香かも知れない。

 侑、燈子、そして沙弥香、その三人ともに、少しずつ、自分にもある感情が見つかる。そんな作品である。燈子は侑に対して無邪気に好意をぶつけ続けるが、同時に、自分に踏み込まれることを拒絶し続ける──アニメーションで最も印象的だったのは、6話Cパートの最後、燈子のモノローグがサブタイトルに落ちた瞬間だった。そしてさらに原作6巻の最後まで読んでしまい、月刊誌連載なので次巻が出るのは来春以降ってことで…、うわこれどーなるんですか。この気持ちのまま待てというのですか。…「レイニー止め」とかいう言葉をこの歳になって新たに知ったりしている私であった。(結局、連載の月刊コミック電撃大王Kindleで追っかけて、最新話まで読み、さらに、うむむ、とか思っている今日この頃である。)

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 最初のうちは、燈子から向けられる好意をおざなりにしているような侑に、あまり好感が持てなかった。2話の、生徒会長選挙の写真撮影のときに、侑がこっそり後ろから手を握って燈子の反応を見る、という場面があったが、人の気持ちを試すなんて、なんて子なの、と…(?)。なので、最初のうちはぼくの中で侑の株は暴落していたのだけれど、6話で燈子をつなぎとめようとしたところで、彼女を見直さざるを得なかったし、そのあとになお見せる素っ気なさにも、彼女自身の戸惑いや、徐々に傾倒していく心の動きが見える。主人公としての侑は、「自分が嫌い」という燈子が変われるように、そしてそうなれば自分も満を持して燈子に自分の気持ちを伝えられる…とそこまで最初から考えてはいなかったにしても、だんだんとそう動いていくようになる。侑は、燈子が自己を投影してしまっている「生徒会劇」の脚本を変更しようとする。12話終盤で、侑が走り出すシーンは、原作にはない(原作ではこよみの家に行ったのがいつなのかは必ずしも明確になっていないと思っている)けれど、アニメ的にはこれ以外の盛り上げかたはないと思える演出だった。

 「生徒会劇」については、燈子というキャラクタを劇中劇に被らせるだけにとどまらず、その劇中劇の脚本の構造的な欠陥を指摘することで燈子の抱えるトラウマの本質を言い当て、ストーリーを大きく動かす、という、論理的すぎる構成に、感心するしかない(原作者、絶対、頭のいい人だと思う(笑)。原作も、比較的、コマ間を読ませるタイプの漫画だし)。放映中に、原作のコミックスを先取りして読んでしまったため、1クール13話でどこまでやるんだろう、生徒会劇まで終わらせるのは無理なんじゃないか、と思ってやきもきしていたところ、原作5巻前半の水族館デートを最後に持ってきて、きれいに終わってしまった。えーそこで終わっちゃうの、とは思ったものの、すぐに、これはこれでいいんだ、と思い直した。燈子先輩と侑の、二人の“特別”をめぐる物語として、“乗換駅”まで到着させた、という最終話だったんだな、と。(…っていうことを、年始に、つらつらと文章に書いていたら、年明けのウェブラジオで、1クールでの着地のさせ方について監督がほぼ同じことを話していたので、なんだか価値のない文章になってしまったけれど。)──原作も、明確な着地に向けて進められているらしいので、アニメの1クールでやるのはここまで、と最初から決めていたのだろうな。そして、この先は、燈子と侑と沙弥香の、三人の思いがさらに交錯する展開になるのだと思うし、ある意味で三人それぞれにとってのビルドゥングスロマンになるのだと思うのだけれど、おそらく、燈子は沙弥香の気持ちには前から気づいているし、それをはっきり向けられたときの対処も、決めていたのだろうと思っている。…そう考えると、佐伯先輩が不憫でならない(笑)

 アニメーションは、とにかく、夕暮れの光が美しい。踏切のシーンも、6話の川のシーンも…。あんなターナーの絵みたいな黄色い光は、この国では実際にはほとんど見られないもので、現実感はむしろないのだけれど…。とくに12話Bパートの、真夏の合宿の後に行った侑の部屋(部屋にはクーラーがないという設定、かつ、カレンダーの曜日の並びは2018年の8月と同じ。あの酷暑だった夏…)のシーンは、絶対無理だ、「アイス溶けちゃいますよ」どころじゃない、蒸し風呂だったはずだよ…、と思ってしまったけれど…。でも、あのシーンの、侑が「うん、」と息だけで相づちを打つところの演技は、ちょっとぞくっとくるくらいよかった。──また、出色の美しさだったのが、オープニング映像。現れる数々の花について、花言葉が何かという考察が、ウェブ上では盛んに行われていたけれど、そもそも真っ先にタイトルバックとともに出てくるのが、写真立てを持つ燈子と、コーヒーカップを持つ沙弥香…コーヒーは、この作品の中で沙弥香が大切にしている感情の象徴、だと思っているのだけれど、それを抱えているうちに燈子は立ち去って、沙弥香が伸ばす手は届かない、という場面、胸を締め付けられるじゃないですか…。あと、オープニングの最後で、手を取り合う侑と燈子の位置、そして二人が花に置き換わるところ、あの多少グロテスクな耽美は、ちょっとショッキングで、『少女革命ウテナ』を思い出したのだけど。

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 原作も先に続いているし、二期を制作してくれなければまことに困るアニメなのだけれど、アニメ不況の昨今、関連商品の売上によって支持を表明しないと、どうにもならないよね…。だがぼくは、よんどころない理由で(?)、アニメのいわゆる“円盤”は買わないことにしているので、せめてと思い、サウンドトラックアルバムを買った(音楽も、いいんだよね…)。連載のほうも追っかけますからー。ぜひともアニメ二期の制作をお願いします。あるとしたら2020年くらいなのかな…。

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