night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

舞台「ねじまき鳥クロニクル」@東京芸術劇場プレイハウス 2/15

 新型コロナウイルスによる肺炎の流行が言われる中、2月15日(土曜日)、『ねじまき鳥クロニクル』の舞台化の公演を見に行った。これを見に行くにあたって村上春樹の原作を自室から引っ張り出したが、これはもう“25年前の小説”なのか…と改めて驚いた。チケットを取ってから少し慌てて原作を読み返していたが、2巻の途中までしか読みきれないままで、観劇当日になった。しかしこの話をどうやって演劇にするのだ? と思いながら、池袋の東京芸術劇場へ。ここの「プレイハウス」というホールは、千人入らないくらいの、中規模のホールである。ソワレで18時から観劇。

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ホリプロステージ>ねじまき鳥クロニクル

 3名の生バンドが上手で演奏する。黒服の男が、「照明を暗く…もう少し暗く…」と言いながら現れて、演劇が始まった。舞台はゆるく傾斜がついて、奥が高いらしい。──驚いたのは、主人公(岡田トオル)の俳優が二人クレジットされているのは交代制のダブルキャストなのではなく、本当に舞台上に二人現れる(ときがある)、ということ。よくわからない。そして、人物がベンチソファに座っていると思ったら次々とそのソファの中から(!)ヒトが現れたり、消えていったり、人間とは思われないような体の使い方でくねくねと出たり消えたりする。本当によくわからない。白眉だったのは、間宮中尉が岡田トオルの家を訪問してノモンハン戦争の話をするシーン。間宮中尉吹越満氏、ものすごい体勢で朗々と長い台詞を言い続ける。異常なほどの体幹の強さである。

 しかしそんなわけのわからない俳優の動きは、見ごたえはあって、コンテンポラリーの演劇って面白いなあ、と感心した。ダンサー陣は女性で揃えられなかったらしくスカートを履いた男性が混じっていたりしたが、そのへんは、近くで見るから目についてしまっていけないのだろうな。暗闇に息づくモノたちの群像として見ていればとくに違和感はなかったのだろう。しかし、ときどき俳優が歌うのはちょっと違和感。正直なところ歌唱力が高いと思える人がいなかった、というのもある。

 笠原メイが井戸のふたをドンと閉めてしまうところで1幕が終わり、2幕は赤坂ナツメグとシナモンが登場。赤坂ナツメグが新京の動物園の話をするのだが、その場面で謎の動物が出てくる演出は、さすがにちょっとこれは…と思った。あれはなくてもよかったのでは(赤坂ナツメグ役の俳優さんの演技がねちっこくてどうしても受け入れられなかった、というのもある)。イメージ違うと言えば一番はやはり綿谷ノボルのヴィジュアルだろう…髭なんか生やして、なんというか「悪役」として凡庸な造形だった気がする。この小説の綿谷ノボルってそうじゃないだろう、と。

 笠原メイ役は門脇麦さん。かわいい(^^ …のだけど、お手紙の演出なんかは演劇としてはどんどんまとまりを欠いて破綻していって、でもその混濁がこの小説だとも言える。ぼくは観劇が終わってから購入したプログラムに目を通したのだけど、そのプログラムで、門脇麦さんが「笠原メイ・謎の女の声」としてクレジットされているのを見たときが、この日いちばん驚いた瞬間だった。あの声、門脇麦だったんだ…! 全然違う演技だったじゃないか…女の人って怖いなあ(?)。もしかしてあの脚も? そして、そういう解釈なのか…と考え込んでしまう。

 ぼくはこの小説の最後の、主人公と笠原メイの場面がとても好きなのだけど、その場面の「君がなにかにしっかりと守られることを祈っている…」というト書きが、ちゃんと演劇に採用されていたことに感動した。この小説は、さまざまなプロットが多声的に存在する難解な物語だし、ぼくはべつに主人公が「クミコを取り戻すために戦っている」とも実はあまり思っていないのだけれど、イノセントな存在をからめとって不可逆的に損なおうとするものが世界には紛れもなく存在すること、それに対して反対し続けること──これは村上春樹の小説に繰り返して描かれる構図だと思うが──、その表明のひとつが、あの場面だとぼくは思うのだ。

[追記]この舞台はこの後、2/28以降の公演が中止になった。