夜の間に雨が降ったが、翌朝は良い天気に戻っていた。この旅行、特に何の予定もないどころか日程にも余裕があり、もともと一泊しか予約していなかったが、奈良にもう一日滞在することにして、同じホテルに出ていた空き室をもう一泊取った。このためこの日は一日中散歩するだけの日となった。──ホテルの朝食はスルーしてゆっくり過ごし、10時過ぎから歩き始めて、ロードサイドの吉野家で朝定食なんか食べてしまった。
「ファストフード店の朝メニューを食べる」っていうの、休暇でなければできないことだったりするので、ちょっと好き
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さて、JR線の高架を過ぎて、油阪のあたりから路線バスに乗った。外国人観光客でごった返している奈良公園や東大寺の参道を横目に、市街地の東側の山裾の住宅街に入って行く。「破石町」というバス停で下りた。どこだろう、と見回すと、道路の反対側、工事中の敷地の向こうに、異様な遺跡がある。
見えた!
これは、「頭塔(ずとう)」といって、奈良時代の末期につくられたものだそうだ。もともとは周辺の新薬師寺や興福寺の境内地と連続した施設だったようだが、後世にはすでに由来がよくわからなくなっていたらしく、玄昉の首が埋められたという伝承から「頭塔」と呼ばれているとのこと(玄昉が亡くなったのは大宰府のはずで、玄昉の墓と言われているものを以前に福岡の太宰府市で見たことがあるが…)。ありていに言うと「なんだかよくわからない史跡」らしい。昔のこの国って、その前の時代のことがわからなくなって言い伝えが残ったり生まれたりすることがわりとあるようだ。
仏塔の一種ではあろうが(それを言い出せばお寺の五重塔だって仏塔の一種なわけだが)、階段ピラミッドのような形の石積みに、瓦がふかれている、日本ではあまり見たことのない形をしている。一辺は32メートル、高さは10メートルにも及ぶそうだ。
遠目によく見ると、仏の姿が刻まれている。公開されていた時期もあったようだが、いまは閉鎖されており、敷地の中に入ることができない。周囲は住宅地に囲まれており、近づくことができないのが残念だ。公開の準備をしているような様子もあるので、そのうちにまた見られることを期待しよう。
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歩いて、新薬師寺へ。
ここは以前にも来たことがあるが、奈良時代の建物がそのまま残っていて、同じく奈良時代の薬師如来と十二神将を間近に見ることができる、地味だが実はものすごいお寺だ。十二神将像にかすかに残る彩色が、そのまま奈良時代の色彩なのだから、感心してしまう。
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山裾の入り組んだ住宅街をさらに歩く。この、奈良の市街地の東側の山は、高円山というそうで、斜面を登った先に、白毫寺がある。
いかにも景色のよい高台で、このお寺も、皇子の離宮であったとかいう伝承があるそうだ
五色椿という椿の古木が見事だった。