night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

9/10(土)黒羽


 東京駅9時16分の東北新幹線『なすの255号』に乗った。休日なのでさすがに新幹線のホームは混んでいる。自由席もさらっと埋まってしまった。


 おにぎりを食べたりしているうちに1時間あまりで那須塩原に着いた。初めて下りる駅だ


 東口は小さなロータリーの向こうに住宅地があるだけの土地だった。ここは那須塩原市、合併前の黒磯町だと思うが、そこに「大田原市営バス」というのが入ってきた。10時40分に出る雲巌寺行きのバスに乗った。乗客は2名。

 この日は黒羽という町に行ってみる。栃木県の北部、那珂川沿いの城下町で、今は大田原市に合併されているが、何が有名かというと、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で二週間ばかり逗留していたことで知られているし、雲巌寺という古刹がある。逆に言うとそれ以外で何で知られている町なのかはよくわからないのだけど、雲巌寺は山中の素敵なたたずまいの写真を見たことがあって、何かの機会に行ってみようと、以前から考えていたところだった。──バスは那須野の台地をすいすいと走って行く。水田のほか、キャベツや、背の高いとうもろこしの畑が目につく。背の低い、青々とした植物は、なんだろう、ピーマンかな? 野菜の産地のようだ。

 黒羽の町に入る。バスの系統図や時刻表などを頼りに旅行するときに困るのは、町の中心部がどのあたりなのかがわかりにくいことなのだけど、郵便局や大きなスーパーがあるあたりがどうやら結節点になっているようで、各地への停留所が集まっているようだ。東野交通の鉄道路線が昭和40年代まであったそうだが、このあたりに駅があったのではないかと思われるような土地もあった。


 郵便局の看板を黒くしてあるのは珍しい。(帰りにバスの車内から撮ったもの)

 バスで走って行くだけなのが惜しいけれど、旧街道らしい道沿いに重々しい旧家が並んでいる。


 これが銀行だそうだ

 バスは雲巌寺への道のりを外れて、「くらしの館」という茅葺きの観光施設に立ち寄る。でもバスの利用者はおらず、一周して出てくる。那珂川を古めかしい鉄橋で渡ると、「田町ロータリー」という停留所がある。ここにも誰もおらず、バスは転回場をぐるっと回って出ていくだけだったが、デマンドタクシーのワゴン車が2台停まっているのが見えた。「黒羽支所」も立ち寄るだけだったが、とにかくこまめに道を外れて立ち寄るような経路をとっている。──この「市営バス」、もともとは東野交通のバス路線だったものと思うが、地域の足をとにかく確保する、乗り換え拠点を設ける、という施策には感心する。

雲巌寺

 バスに那須塩原駅から乗っていた人は黒羽の町内で下り、町内で乗ってきた人も黒羽高校前で下りて、一人になった。町を外れて山の中に入り、終点の雲巌寺に着いたのは11時30分だった。地方の路線バスに50分も乗ったのに、運賃はたった200円であった。

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 道路はさらに八溝山地に分け入って行く。この奥にもまだ集落があるようなのだけど。


 朱塗りの橋で渓流を渡る。


 重々しい山門


 雲巌寺臨済宗の古刹で、北条時宗の勧請によりひらかれたという由緒ある寺院だが、観光寺院ではないため、拝観料も取らない代わりに、参拝者への便宜は何もない。松尾芭蕉は、禅の師匠の修行の跡をしのぶためにここに来て、『おくのほそ道』には、──後の山によぢ登れば石上の小庵に云々、という記述があるが、今は裏山に登れはしないようだ。今の山門や伽藍は江戸時代に再建されたものらしい。


 この裏山に「よぢ登る」のは大変だったでしょうね


 塀の向こうに、庭園とお堂が隠されている


 観光地としてはそっけない場所だけど、でも、山の空気の中にたたずむひっそりとしたお寺の雰囲気は、すばらしいところだった。


 雲巌寺の折り返し場。木立の中を山中に向かう県道の途中にぽっかりとある。土産物屋の一軒もない。どうやら奥の建物も雲巌寺に関係のあるもののようで、古びた石の標柱には、「雲巌寺兵成會館」と書いてあった。

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 12時20分のバスで戻った。同じ路線だが、この便はまた道をそれて、黒羽高校に立ち寄った。学校の敷地の中までバスが入り、高校生たちが待っている。二組乗ってきたが、静かな高校生たちだった。

大雄寺

 「大雄寺入口」でバスを下りた。


 参道の入口には「国指定重要文化財」と真新しい石碑が立っていた。


 茅葺きの回廊をめぐらした本堂というのは初めて見た。黒羽藩主大関家累代墓所、とも書いてある


 回廊に囲まれた、明るい庭園


 徳川吉宗の勧請によるという経蔵の、彩色


 門前のドライブインのような店で鮎そばを食べた

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 「黒羽芭蕉の館」に寄った。町立の資料館である。芭蕉の木が植えてある。展示内容は、芭蕉の他には、黒羽城主の大関氏についてのもので、黒羽城というのは谷と谷の間の尾根に殿様の御殿と家臣の屋敷が建ち並んでいたようだ。大関氏は戊辰戦争ではさっさと新政府側について東北を転戦したらしい。


 芭蕉さんと曾良さん


 城址公園。誰もいないけれど、維持費をかけてちゃんと整備しているのは、大したものだと思う。向こうに見える建物には、能舞台がしつらえられていた。

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 浄法寺邸跡。芭蕉は黒羽で城代家老の浄法寺桃雪という人の屋敷に逗留している。もちろん、当時の建物が残っているわけではないが、ここに武家屋敷とお庭があったということなのだろう

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 しばらく県道を歩いた。


 いつの時代からある広告なんだろうか…


 大汗をかきながら30分あまり歩いて、温泉に入ってのんびりした。町の公共の施設で、それほど人も多くない。温泉とは言いつつ、どうやらあまり観光客が来るようでもないらしく、地元の常連の人しか来ないようなところのようで、「タオルは売ってますか」と訊いたときの受付の人がちょっと慌てていた(売店コーナーで買えた)。──空いている広いお風呂というのは気持ちのいいものである。ただ、露天風呂は、こういうところはどうしても露天風呂に人が集まりがちなのに対して露天風呂自体は狭いので、ちょっと敬遠した。少しぬるっとしたナトリウム泉で、1時間以上も風呂に入っていたが、上がってからレストランで何か食べようと思ったら、閉店時間が早すぎて、食事をしそびれてしまった。

大田原市>五峰の湯


 地方の町にもこういう立派な公共施設があるのだよね。この温泉施設は、広々とした運動公園の一角にあって、プール施設や競技場、テニスコートなどが点在している。──景気のよかった時代にこういうものを整備しておいた自治体の、今は、勝ちなのかもしれない。それにしても、「ウルグアイ・ラウンド」って、懐かしい言葉だなあ


 ここからは16時10分の路線バスで戻る。ここから行けるのは東北本線の西那須野駅で、約1時間で着くようだ。黒羽高校をまた通ったが、こんどは生徒はいなかった。大田原の市街地と、「国際医療福祉大学」のキャンパスを通って行く路線だった。これは市営ではなく民営(関東自動車)のバスなのだがやはり運賃はどこまで乗っても200円で、運賃表には「200」の数字がずらりと並んだ。公共交通を守るという政策的な強い意志を感じる。ここまでやれる自治体は多くないだろう。


 西那須野駅に着いた


 このあたりの東北本線の列車は、1時間に2本のようだ。次の上り宇都宮行きは17時26分発なのだが、これが結局、10分以上遅れてきた。無人駅なので、次の発車時刻を知らせる自動音声が繰り返し流れるが、その時刻が過ぎても同じ音声が延々と流れるだけで、黙って遅れている。列車は車両こそ新型だが、ロングシートの3両編成でワンマン運転である。混んでいて座れない。ワンマンなので遅延の原因などはアナウンスしない。ディストピア感というか、この国の社会の衰退を見せつけられるような場面だった。

 定刻なら18時07分に着くはずの宇都宮に、10分以上遅れて着いた。宇都宮からは新幹線で帰るつもりで、次の新幹線は18時21分の『なすの280号』である。間に合わなければその次の新幹線でもいいけど…と思いつつ、急いで乗換え改札口に向かって券売機で特急券を買い、ホームに上がって、すでに停車している新幹線に乗ることができた。夕方の上りの新幹線の自由席も、けっこう混んでいたが、車内をどんどん歩いて前の方の車両まで行ったらなんとか座れた。日常的な行楽需要が、確実に戻ってきている、と実感した。──新幹線は大宮で下りて、湘南新宿ライングリーン車で新宿まで移動してから、特急ロマンスカーで帰宅。