今回泊まったのは、ぼくが常用している、ビジネスホテルの全国チェーン店であったが、朝食は、「ビュッフェ形式の提供を再開しました」ということで、客にビニール手袋をつけさせて何かを取らせるような方式になっていた。しかし、品数や、朝食としてのクオリティは、著しく下がったと言わざるを得ないもので、もはや、幕の内弁当なりサンドイッチセットなりのようなものを配るようにしたほうがまだましなのではないかと思われる。──ビジネスホテルチェーン各位には、ご一考いただきたい(?)。
翌朝、龍谷ミュージアムに行った。ここはその名の通り、龍谷大学の施設で、堀川通沿い、西本願寺の向いにある新しい建物だ。ここ、前から来たかったのだ。一応、インターネットで当日券予約して行ったが、それほど混雑しているわけでもなく(平日の朝一番なら、それはそうか)、飛び入りでも入れるようだった。
「アジアの女神たち」という展示を開催中。鳥頭のような奇妙な顔をした中近東の古代の土偶から、古代中国の「西王母」の、豹の尾に乱れ髪の恐ろし気な絵姿など…。インドの女神「訶梨帝母」(ハーリーティー)が日本では「鬼子母神」になったわけだが、子を抱いて歯を剥き出した姿の像。──女性、母親、といったイメージの神は、世界中あちこちの文化にあるモチーフなのだろうが、その原初の姿は、畏怖を感じさせるもの、異形のものであることが多いのかもしれない。でも、なんか邪鬼みたいのを踏みつぶして踊りながらダブルピースしてるみたいなインドの女神は、面白かったな(笑)。
サラスヴァティーというインドの女神は、細長いヴィーナという弦楽器を持っているのだが、それが日本に伝わって琵琶を持った弁才天になっているというのは、ちょっと面白い。しかし弁才天というのは日本ではもういろいろ習合しちゃって、竹生島の宝厳寺というところの弁才天の座像が来ていたが、これは千手観音のように何本もの腕があって、弓や剣を持つし法輪も持ってるし、頭の上には宇賀神の鳥居を乗せているという具合である。──「神仏習合」と一口に言うけれど、いったい何が習合してどうなっているのか、ぼくはよくわかっておらず、ちゃんと勉強してみたほうがよさそうだなあ。
最後のセクションでは、もともとは男性だったはずの「観音」が、徐々に女性化していく様子をひもといていた。言われてみればたしかに、なぜか観音菩薩は女性の姿で描かれることが多い。もともと、観音は女性に対しては女性の姿に化身して教えを説いた、といった説話があったことと、中国の宋代以降に媽祖と習合していった(! これは知らなかった)ことで、女性の姿で描かれることが多くなったのだという。──そして展示の最後に現れたのが、隠れキリシタンの「マリア観音像」だった。浦上三番崩れのときのものだという。異なる信仰が歴史的に習合した姿という意味では、たしかに…。アジアの歴史をぐぐっと飛び越えるような、エキサイティングな展示だったと思う。
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この博物館には、新疆のトルファンの近くにあるという「ベゼクリク石窟」の壁画の復元展示がある。ベゼクリク石窟の壁画は、19世紀から20世紀初頭の間に、それこそ大谷光瑞の「大谷探検隊」が持ち帰ったものもあれば、ドイツ隊が持ち帰ってベルリンの博物館で戦火に消えたものもあるという。そんな世界中に散逸した壁画の断片を解析して、回廊を実寸大で復元した展示だということだ。
鮮やかだ…。これ、本当はもっと暗くて、灯火を持って入るのだろう。壁面に描かれているのは「誓願図」というモチーフだそうだ。
異民族の王かな?
「仏の足が汚れないように、自分の髪の毛を敷き詰める」という説話なんだそうだ。
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堀川通の反対側にある、西本願寺にもお参りしていく。──ぼくは、烏丸通沿いの真宗本廟(東本願寺)には何度も足を踏み入れているが、西本願寺には、実は初めて入った。
御影堂。
菊の品評会みたいなのをやっているようで、秋だなあ。──菊っていうとこういう花を思い浮かべるけど…
こういう種類の菊もあるのね。
そしてこうなるともはやジオラマみたいだ。いろんな仕立て方があるものだ
唐門と書院がある。さすがに本願寺で、歴史的にもやはり別格な寺院なのだよね。──飛雲閣という楼閣があることでも有名だが、通常非公開。何か、見学できる機会はないのかな。
阿弥陀堂の回廊には、変な形の埋め木が…。ナス? ひょうたん? さつまいも?
大谷派の真宗本廟に対して、西本願寺は、本願寺派の総本部である。信徒向けの施設や、売店、書店、レストランまであったので、ここで昼食を取って行った。静かでよい。
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堀川通の東側には、レンガ造りのレトロな建物があって、おや、と思ったら、実はこれも「本願寺伝道院」という、西本願寺関連の建物である。明治45年の建築で、伊東忠太の設計だそうだ。中には入れないけれど。
さすが伊東忠太の建築で、幻獣のような、変な生き物がいるぞ…。