コミュニティバスで加茂駅前に戻って、駅の反対側からまた奈良交通バスに乗った。木津川を大きな橋で渡って、五分ほどで降りて少し歩いた。
見に来たのはここ。
礎石はたしかに大きい。恭仁京が、都としては放棄されたあと、大極殿などは山城国分寺に転用され、この礎石は山城国分寺の塔とされているようだ。
ごみ置き場はあんまりなので、まともなアングルで写真を撮りなおす。
ここも言ってみれば、“失われた都”のひとつである。聖武天皇が平城京を捨ててあちこちに遷都していた時期のもので、世が世ならここに大仏が造られたかもしれない土地である。──陽当たりのよい、気持ちのよい場所だ。しかしこの土地に、条坊の都があったとはさすがに思われず(背後は山だし、木津川も近い。木津川の氾濫原からは一段高いところかとは思うが…)、離宮と、それを取り巻く小規模なニュータウンのようなところだったのではないか。
豊かな田園に、彼岸花が咲き乱れていた。
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木津川を渡る大きな橋は、「恭仁大橋」という
今度は歩いて加茂駅に戻った。適当に歩いてきたら、1時間に2本だけの列車にちょうど間に合ってしまい、大阪行きの大和路快速に乗り込むとすぐに発車した。これで木津に戻る。
この列車は、天王寺に着いてから、西九条→大阪→京橋→天王寺と環状線をぐるっと一周するので、こういう行先の表現になっているらしい。