ここから浄瑠璃寺まで歩くつもりでいた。岩船寺から浄瑠璃寺までは車道がつながっていて、先ほどの路線バスでも行けるが、山道を歩いても1時間程度のようで、途中には古い石仏が点在しているらしい。そういうのどかなところを歩いてみたい。しかも都合がいいことに、岩船寺から浄瑠璃寺へ向かうには、ゆるやかな下りのコースになるようだ。──というわけで、岩船寺の門前から、右に向かう車道を背に、左の道に分け入った。
薄暗い藪の中の道だが…
このあたりは当尾(とうの)と呼ばれる地域で、「当尾の石仏の道」といったように観光案内に書いてある。だが、「石仏の道」というけれど、ぼくが想像していたのとは少し違っていて、石仏とは、岩肌に彫られた磨崖仏なのだった。
どこに仏さまが彫ってあるって…?
これか。“三体地蔵”だそうだ。
“ミロクの辻”。これも、正直なところ言われなければ気づかなかったと思うけれど、たしかに人の手で何かが描かれている…。
道標は整備されていた。
湿った暗い藪のなかの道よりも、陽が当たったほうが、歩いていていい気分になってくる。──下の谷は、一面が葛で覆われていた。荒れた土地だが、こういう、里の近くの山間で葛がはびこっている荒地は、歴史的に一度人の手が入っている土地なのではないかと、ぼくはなんとなく思っているが、どうかな
“笑い仏”だそうだ。これは保存状態がよいせいもあるけど、すばらしいね。
そしてこれは…。写真に撮るといまいちよくわからないけれど、実際に見たときは少しぎょっとした。
“カラスの壺二尊”だそうだ。これは面白い…。
灯籠の火口の部分に穴が彫られていて、実際に灯明を置くことができるようになっている。
“藪の中三尊”。──これまでに見てきた磨崖仏は、鎌倉時代から南北朝時代あたりのものなのだそうで、この“藪の中三尊”はその中でも最も古い、1262年(弘長2年)のものだというのだが…
歴史の研究ではこういうところに彫られている文字を読み取るのだろうね。
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浄瑠璃寺に足を踏み入れた。山門をくぐった瞬間、ちょっと息をのんだ。
浄土庭園だ…
洲浜の向こうに形のよい朱塗りの三重塔を見る。山の中の寺に来たと思ったら、こんな平安朝の庭園が現れたことに驚いた。
ここは九体寺とも呼ばれ、横に長い本堂に、九体のずっしりとした阿弥陀如来坐像が、並んで安置されている。堂に上がって見ると、仏の前にはほとんど通路ほどの空間しかない。これはあくまでも仏のための建家で、その中に人が上がって何かするような目的の建築ではないのだそうだ。こういった堂を建てるのが、平安時代中期に流行したそうで、今に残るのは非常に珍しいという。九体の阿弥陀如来は順番に修復している最中だそうで、中央にいるはずの阿弥陀如来は不在。代わりに秘仏の大日如来が安置されていた。
そして彼岸へ…
庭園の築山を登って、三重塔の足もとから九体堂を見る。こちら側が浄土なわけだ。
静かでよいお寺だった。
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浄瑠璃寺までは、奈良駅前から奈良交通の急行バスがあったはずなのだが、昨今の禍のため、運転日があるのかないのかよくわからない。反対側に見えるのがコミュニティバスの停留所。
近くでは猫の集会が行われていた。