新型コロナウイルスの感染者数は増え続けていて、三連休でも、遠出をする気分にはならない。だが酷暑の中、自室に引きこもっているのは耐えがたい。こういう場合はせめて、近くで行ったことのないところを歩いてみよう、と思い立って、東横線の大倉山で下りて、駅のホームを見下ろす急な坂道を登って行った。
汗をかきながら高台まで上がると、公園の木立の向こうに、あやしげな館が見えてくる。
大倉山記念館。数々の映画やドラマのロケ地として使われている、クラシックな建築だ。存在はかなり前から知っていたし、この近辺はそれこそ高校時代から行動範囲だったはずなのに、これまで一度も実際に見たことがなかった。
大倉山記念館とは、大倉邦彦という戦前の実業家がつくった「大倉精神文化研究所」という組織の建物で、昭和7年(1932年)の竣工。そもそも、もとは太尾という地名だったところに、東横線(五島慶太の東京横浜電鉄)の駅名が「大倉山」になったのも、先にこれがあったからなのだそうだ。──パンフレットを見ると、「各分野の一流の研究者を集めて、学術研究を進めるとともに、精神文化に関する国内外の図書を収集して附属図書館も開設しました。」ということで、何を考えて何を研究していた人なのか、まったく判然としない。穏健でお金持ちな北一輝、といったところなのだろうか?
内装も、直線が多用されている。パンフレットによると「プレ・ヘレニック様式」だというが、なんだその様式、という気がする。実際、これを設計した長野宇平治という建築家がそう呼んでいたというだけの様式の名前らしく、つまり世界に唯一の建築様式ということだ。広く言えば新古典主義建築だろうが、戦間期風の厳めしさがあり、とっつきにくい感じを受ける。
この日はちょうど映画『1999年の夏休み』の上映会の看板が出ていて、まったく知らずに訪れたのでたいそう驚いた。まさにこの映画の舞台であるこの建物で上映するなんてうらやましい!と思ったが、さすがに飛び入りでは見られないようだった。──地下にも会議室がいくつかあって市民に貸し出されているようで、弦楽のカルテットの演奏が聞こえてきた。
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裏手の斜面には、大倉山公園の梅林が広がっている。こんなところがあったんだ。
坂を下りると、龍松院という寺がある。
小机城主笠原某の開基になる寺院だそうで、江戸開府よりも古い歴史があることになる。
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小机城というのは、横浜線の小机の駅の近くで線路がトンネルをくぐるところ、その上の山にあった、戦国時代の山城だ。小田原の北条氏の支城で、鶴見川沿いの低地に突き出して見晴るかすような位置にある。毎日その下を電車でくぐっていながら、登ってみたことはない。大倉山から小机駅まで戻って、歩いてみた。
雲松院。ここも、小机城主笠原越前守信為が開基した曹洞宗の寺院だそうだ。
城山に上ってみる。竹林が鬱蒼としているが、たしかに不自然に掘り下げられているのがありありとわかる、人為的に作られた空堀だ。
本丸跡。平らにはなっているけれど、大して広い土地ではない。戦国時代の「城」というものがいまいちよくわからないのだが、やはりこれは、そこに殿様が住んだり籠城したりするようなものではなく、駐屯地というか、警備派出所というか、戦になったとしても一時的に拠る砦のようなものなのだろう。
小机駅の南側の、横浜上麻生道路。この、県道沿いの古びたアーケードの風情、個人的には「いかにも横浜」を感じる光景なのだが、これはあまり一般には理解されない感覚かもしれない。