新型コロナウイルス感染症の流行に伴って、3月以降、美術展はいったん全面休止のような状況になっていた。6月に入って徐々に再開していたけれど、なかなかそういう場所に出かけるような気分にならず…。だが、3月から予定されいていたオラファー・エリアソンの展示には期待を持っていたし、自分としても、そろそろ動きたい、と思った。──半蔵門線の清澄白河で下りて、東京都現代美術館へ。雨が降ったり止んだりのはっきりしない日だった。検温されて、消毒液を手にすり込んで入場。
■東京都現代美術館>オラファー・エリアソン ときに川は橋となる
とはいえ、インスタレーションはわりと過去作品が中心で、これ見たことあるな、というものも多かった。きらきらした光がきれいで、若い人たちが競って写真を撮っている。
ミスト。これ、ちょっと時代に合わないインスタレーションになってしまったかもしれない。2006年の原美術館の展示のときはくぐってみる人がけっこういた記憶があるけど、今回は、積極的にミストに触る人は少ないようだった。
こういうインスタ映え的な受容のされ方をするもの以外にも、北欧の氷河がとけていく様子の写真とか、”サステナブル”、SDGs、といったことを念頭に置いた作品も。面白いのは、今回、ドイツから日本まで、ロシア経由の陸路で作品を送ったのだそうで、その間の振動でペン先が動くことで描かれた軌跡、なんていうものが作品になっていたりする。
新作、『ときに川は橋となる』だそうだ。水面に反射した光がたゆたう。
床に置かれた水盤がときどきギギッと動いて、水面が揺れるしかけ。だが、ほんのかすかな揺らぎが、光によって大きく映し出されるのが、ちょっと意外だ。これ、わりと日本的というか、つくばいとししおどしなんかに通じるものがある。暗い空間に立ってその様子を眺めていると、とても内省的になってくる。──“ときに川は橋となる”と訳されているタイトル、英題は"Sometimes the river is the bridge"だそうで、日本語訳が少し違うのではないか、と思ったりもする。花は花にして花にあらず、隔てるものと繋ぐものの間に、境界などそもそもあったのだろうか。
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この日は、東京都現代美術館のコレクション展も一巡して…、
雨上がりの、びしょびしょでムシムシとした木場公園。今年は7月も末になってもまだ梅雨が明けないまま、湿気のきつい季節になっている。