night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

3/17(火)京都へ

 新型コロナウイルスによる肺炎の流行が言われる中、休暇を取って京都へ出かけた。海外からの旅行者がほぼいなくなっているし、国内の移動需要も大きく縮小しているようで、東海道新幹線もがらがらに空いていて、ほぼ窓際にしか客がいないような状態だ。新横浜発12時48分の『のぞみ33号』の窓際E席に座り、D席には客が現れないまま、1時間56分で京都駅に着いた。

 市バスの206番に乗って、博物館三十三間堂前で降りる。「博物館は開いていません」と運転士が告げた。

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 蓮華王院、いわゆる“三十三間堂”。ここに来るのはもしかしたら中学の修学旅行以来ではないだろうか。団体観光客が大挙して押しかけるはずの、この千体の千手観音のパヴィリオンも、ときどき若い人の集団がギャアギャア言いながら通り過ぎていく以外、来観者はわずかだった。後白河上皇平清盛に建てさせた本堂だが、鎌倉時代に焼けて再建されているそうだ。それでも鎌倉時代の建物である。千手観音像も、いくつかは実際に創建時から残されているものだという。

 居並ぶ千体の千手観音について、“自分と似た顔の像が1体は必ずいる”などと言われているのは由来不明で不思議だが、なんというか、…そういう問題ではないのだろうな、と思う。そもそもが極彩色に彩られていたはずの堂内に、中央に光り輝く巨大な本尊と、その前に居並ぶ千体の千手観音像。権力と財力を見せつけるような場所だけれど、それと同時に、どんなにか美しかったのだろうと思うし、これだけの迫力をもって末法の世に救済を願った人々が造ったものである。その思いに出会ったように感じて、打たれるような感覚があった。

 さらに二十八部衆のリアルな造形をじっくり眺めたり、俵屋宗達よりも500年近くさかのぼる風神雷神の像に感心したりして、閉堂の時刻まで蓮華王院にいた。

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 この土塀は秀吉が造らせた、太閤塀というそうだ。

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 河津桜

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 智積院の前を左に曲がって、清水寺のほうへ歩く。清水坂はやはり観光客でごった返している。レンタル着物でどやどやと歩くのが、ここ数年の若い人たちの流行である。個人旅行の人たちは特に減っていないようだ。──陶器のお店を眺めて、きれいな貫入が入った清水焼の湯呑を買おうかどうか迷って、結局買わない。三年坂の美術館も休館中で残念だ。

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 二年坂のほうに下りて行った。

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 高台寺あたりの石畳の道。この、和洋折衷のような異形の尖塔、このあたりに来るたびに変な建物だなあと思っているが、昭和3年に建てられた祇園閣というもので、当時の大倉財閥の別荘なのだそうだ。

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 八坂神社の境内に出た。

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 四条通を夕陽が照らす。

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 この日は、先斗町で、うまい京料理がちょっとずつ出てくるお手軽コースで、お酒も飲んで…

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 先斗町も人が少ない

 四条河原町から阪急電車に乗って、四条大宮に出た。今日は四条大宮のビジネスホテルに泊まる。