展望台で休憩、食事してから、再び歩いた。
また石切り場が現れた。もはや全容を写真に収めるのが難しい、反響板つきのコンサートステージのようになっている。
蔦のからみ具合…夏場なら緑に覆われているのかな?
字を彫っていた途中で放棄されたのだろうか。
房総半島、山は高くはないのかもしれないが、深いのだなあ、と実感する。
この階段がかなり厳しい!
あの岩はすぱんと割れて倒れたりしないのか。
富津市の金谷から登ってきたが、尾根の南側は鋸南町で、“日本寺”という寺院の境内になる。600円の拝観料が必要だ。料金所の老人はイラスト地図を渡して、複数組の観光客をまとめて相手に、説明の口上を始め、5分くらいじっとその話を聞くことになった。手元の地図を見させたいのか、背後に立っている看板を見させたいのか、自分が手を指す方向を見させたいのか、なかなか困った。
「百尺観音」だそうだ。
「地獄覗き」というスポットで、行列ができていた。並ばなかったけど。
大仏だ。江戸時代に作られたものだという。岩肌に彫り出されているものなので、これも磨崖仏と呼んでいいのだろう。薬壺を持っている、薬師如来だが、薬師如来の大仏って珍しいかも?
ちょうど航空路に当たっているらしく、大仏の頭上を飛行機がしばしば通る。羽田に降りるときにこのへんを通るのかな。
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ここからは山の反対側、保田の方に、歩いて下りることにした。日本寺もそちらが“表参道”なのだそうだ。
さざんかと、つわぶき。そうか、つわぶきは冬に咲く花だったか。
山門を出る。──森の中の参道を下りていくが、木々の間に、小さな鹿のような、それにしてはずんぐりとした、不思議な生き物を一頭見かけて、驚いた。すぐに見えなくなってしまったが…、あれはきっと、房総半島に増えていると聞く、キョンだったのではないか。
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人里に下りてきた。千葉らしい風景になってきた。
ああ、房総の海岸だなあ、と思う路地を抜けて…、
保田駅に着いた。この時点で13時50分頃だった。
保田は、内房線で浜金谷の隣の駅である。ここまで歩いてきたが、結局は列車で浜金谷に戻って、フェリーで帰ることになる。列車の本数は1時間に1本程度だが、14時12分という列車があった。
待ち時間に、歩いて5分くらいの砂浜で、海を見てきた。
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浜金谷駅も、港からそれほど遠くはなく、列車を下りて駅から速歩きすれば5分くらいでフェリー乗り場に着けそうなのだが、さすがに14時20分というフェリーには間に合わない。次のフェリーは1時間後だ。──フェリー乗り場の隣には大きな物産店舗ができていて、適当に海産物の買い物などをしていた。国道沿いにはファミリーレストランもあるし、久里浜港に比べると金谷港は時間をつぶしやすい。
そういえば、今回、海岸沿いの金谷や保田の町で、ほんの少し歩いただけでも、屋根をやられてビニールシートをかけている家が、何軒も目についた。今年の台風では房総半島はすさまじい被害を受けたわけだが、こんなにあちこちの家が壊れてるとは…と、改めて驚いた。吹っ飛んだのがもしも自分の家の屋根の瓦だったら、と考えると、何が起きるのか、どこの誰に相談すればいいのか、直すとしてもいくらかかるのか、まずわからない。その苦労は想像もつかない。──日本の民家の屋根も、だんだんと未来の時代には、沖縄のようなコンクリづくりになっていくのだろうか、…などと考えた。
15時20分のフェリーで久里浜へ戻った。帰りの船中でビールで乾杯したのは予定通りだったが、ぼくは金谷港ですでに一本空けてしまっていたという体たらくであった。
この日使った切符。京浜急行の久里浜までの往復と、久里浜港までのバスと、東京湾フェリーの往復がセットになった割引切符だ。
浦賀水道は船の交通量の多いところで、フェリーの前をNYKの大きなコンテナ船が横切っていくのを感心しながら眺めていたら、遠くにはさらに大きなエバーグリーンのコンテナ船が見えて驚いたりした。