night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

「クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime」@国立新美術館 6/21

国立新美術館クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime

 フランスの現代アーティスト、ボルタンスキーの大規模な個展が始まった。東京では、2016年に庭園美術館で開催されて以来だ。開幕早々に、金曜日の夜間開館を目がけて行ってきた。来場者はほとんどいない。作品にキャプションはついておらず、入場のときに、会場のマップと、タブロイド判の作品解説が渡される。だが、それを会場内でバサバサと開いて読むには、場内は薄暗すぎる。

 入ってすぐに、吐き続ける人の映像が流れ、げえげえという嘔吐の音が会場に響き渡っている。これは強烈…、地獄だ。そして、たくさんの見知らぬ人や家族の、コントラストの強いモノクロームの写真たち。──イコンのように壁に掲げられ電球で照らされた、誰か知らない人の顔たちは、しばらく立ち尽くしてしまった。“死後”のイメージだと思った。にもかかわらず、乱雑に結び付けられている電気コードは、本来はただ単に電球をつなぐだけのためのものだろうけれど、「つながっている」と思い、なぜかしらそのことに胸を打たれた。

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 クリスチャン・ボルタンスキー、ぼくは瀬戸内の豊島で『心臓音のアーカイブ』を体験したのが最初だったが、その心臓音に合わせて電球が明滅する部屋もあった。ただここでは音量はだいぶ控えめにされていたと思う。そして、投影される見知らぬ人の顔をかき分けて進むと、影の劇場の廊下の向こうに、黒い“ぼた山”が現れる。ここから撮影可。

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 積み上げられているのは、黒い服。そして周りには、同じように黒いコートをまとった、人形…いやこれはどう見ても人ではない。だが、それが、不意に語りかけてくる。

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「聞かせて、光が見えた? (Tell me, did you see the light?)」

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「教えて。お母さんを残していったの? (Tell me, did you leave your mother behind?)」

 小さなスピーカーと、おそらく、近くに人が来たことを検知するセンサが仕込んであるのだと思うが、…これ、泣いちゃう人いるんじゃないかな。ぼくも不意を突かれて、ちょっと泣きそうになったもの…

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 『アニミタス』のヴィデオ展示。2016年の東京都庭園美術館では青空の荒地だったが、今度は真っ白な雪原で、ひたすら暴風に煽られ続ける鈴の群れ。その場にいたらものすごく寒いはずなのだけど、その温度も風も、何の感触もなく、ただ、たくさんの鈴の音だけが響く。

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 海岸の風を受けて、異様な怪物のような唸り声を上げる装置の、ヴィデオ・インスタレーション

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 来世…(ここでこう漢字を使われちゃうと、ちょっと可笑しくなってしまう) これ、青と赤の電球が使い分けられているのだが、カメラの性能のためこんなぼんやりした色の光に写ってしまった。

 たくさんの電球が置かれている『黄昏』は、毎日少しずつ消えていくのだそうだ。──さながら地獄めぐりであった。だが、一巡し終わって、思ったのは、ボルタンスキーという人は、エキセントリックなアーティストでもなんでもなく、実はわりとふつうの人なのではないか、ということだった。人が不可逆的に離れ、消えていくということを、大事にしなければならないと思っている、…ごくふつうの人なのではないか、と。

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 2016年に東京都庭園美術館で開かれたボルタンスキーの展示に行った時の記事。
jawa-jawa.hatenadiary.jp


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 国立新美術館の前には、吉岡徳仁氏の、ガラスの茶室が作られていた。これ、前に京都の将軍塚で見た。でも、ここに置くと…。国立新美術館自体が、どうかしちゃった規模の、巨大なガラスの茶室みたいなものだから…。