和歌山に泊まったけれど、翌日は早くも和歌山を後にする。和歌山駅のみどりの窓口で、横浜市内までの乗車券を天王寺・奈良・京都経由で買って、まずは9時40分の“紀州路快速”大阪方面、京橋行きというのに乗った。
阪和線の天王寺ー和歌山間は、1時間に4本の快速電車が走っているが、快速と言いつつ、関空快速と併結して走る日根野までが快速で、日根野から和歌山までは各駅停車である。実質的に区間快速で、和歌山から天王寺まで70分以上かかるようになっている。さすがにちょっと時間がかかりすぎのような気がする。これ、昔からこうだったっけ? 和歌山はもうちょっと大阪から近いイメージがあったのだけど…。しかも、和歌山からの上り列車は、日根野に着く段階ですでに立ち客も出ていて、けっこう混んでいるのだった。
三国ヶ丘で下車。快速が停車するのかどうかも調べていなかったが、何も調べていなくてもスマートフォンさえあれば旅行できる時代になっていて、まあ便利なことだ。
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三国ヶ丘で下りたのは、日本最大の古墳、仁徳天皇陵とされる“大仙古墳”を見てみようと思ったため。日本史の教科書には必ず出てくる、このべらぼうな構造物、自分の目で見たことがなかった。──ドトールで軽食を取ってから、駅の西側に出てしばらく歩くと、住宅街の中に忽然と、堀、そしてその向こうの森が現れる。線路からは見えないんだな。
地図をよく見ると、実はこの向こうは大仙古墳ではなくその倍塚であったようだけど。
歩いて一周してみることにしたが、やはり暑い。路面の照り返しと、金属の柵が明らかに熱を持っているのを感じる。
大仙古墳の南側には、大仙公園がある。堺市平和塔という戦没者追悼施設が建っている。
堺市博物館に入ってみた。
まるっきりコーヒーカップみたいな須恵器。
現在では宮内庁管理の陵墓は発掘も見学もできないが、大仙古墳は明治期に発掘されているそうで、そのときにこういう絵図の、石棺が現れているのだそうだ。
堺市は中世の自由都市としての歴史もあるわけで、そういう遺物の展示もあるのだけど、目を引くのはやはりこれ。
「慶長大火縄銃」だそうだ。銃というか、ちょっとした対戦車ライフルのような代物で、さすがにどうかしている。徳川方が大坂の陣をにらんで試作させたものだそうだが、こういうものを作ってしまう17世紀の日本の軍事力は、ちょっと恐ろしい。
おお、一周してきた。歩いて1時間くらいだったかな。──自分で歩いてみて、この日本最大の古墳の、規模感のようなものがわかったなあ。