night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

8/18(土)大阪から和歌山へ

 淀屋橋からまた地下鉄に乗って、天王寺へ。──大阪は、市営地下鉄が今年の4月に民営化して、“大阪市高速電気軌道株式会社”、もとい、“Osaka Metro”になったばかりだ。


 大阪メトロのマーク

 でも、すべての標識を貼りかえるには至っていないようで、


 大阪の地下鉄と言ったら、やはり、この「○にコの字」のマークだよね。別にこれでもいいんじゃないかと思うけど。

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 天王寺では、この先の阪和線の列車の時間を考えながら、あべのキューズモールの下の方にある定食屋さんみたいなところで、適当にお昼ごはんを…。天王寺に来るのも久しぶりだ。あべのハルカスって上ったことがないな、そういえば美術館があるらしい、と調べてみたら、チームラボの展示をやっている。面白そう、見られるかな、と思い、大混雑のエレヴェータで16階まで上がってみたが、80分待ちですが、と言われて、すごすごと退散した。

 そう、今日はこのあと、和歌山に行かなければならない。JR天王寺駅の地平ホームに立ち、紀勢線方面の特急の自由席を待ち構えた。──新大阪から天王寺まで地下鉄で来てしまったが、JRの乗車券は横浜市内から和歌山市駅まで買ってあり、さらに特急券も、新大阪から和歌山まで買ってある。新幹線乗継ぎで特急料金が半額になるので新大阪から買ってあるが、天王寺から乗ってもべつにかまわない。


 大阪環状線もすっかり新型車両に入れ替わったようだ。

 天王寺12時32分発の特急『くろしお11号』新宮行きの自由席で、和歌山へ向かった。通路側の席にかろうじて座ったので、ほとんど寝ていたけれど、泉州紀州の国境の山を越えて、紀の川沿いの明るい平野に下りはじめるあたりの田園風景に、これは昔から豊かな土地だったのだろうなあ、と感心した。──和歌山に着いたのは13時15分。

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 今日は、敢えて和歌山駅ではなく、和歌山市駅というところまで、乗車券を買ってある。JRの紀勢本線は、天王寺からの阪和線とつながって、白浜や新宮に向けて伸びている路線だが、路線図を見ると、和歌山駅から2駅だけ西に飛び出している路線があり、これも紀勢本線という名前になっている。終点の和歌山市駅は、大阪の難波からの南海電鉄のターミナルにもなっている。和歌山という街はどうやら、南海和歌山市駅側とJR和歌山駅側に繁華街が分かれているらしい。だが、和歌山駅和歌山市駅の間は、1時間に1本程度しか電車が走っていないようだ。

 ぼくがJR和歌山駅に下りるのは2008年以来で、そのときはすぐに駅前からフェリー乗り場までタクシーに乗った。お城のお堀端に沿って走った覚えがあるが、どういう街なのかはまったく知らない。──和歌山駅ドトールで時間をつぶして、13時41分の電車で2駅、和歌山市駅まで行ってみた。


 この車両、まだいたのか…。国鉄105系電車というやつだ。2両編成。隣のホームには同じエメラルドグリーンの105系、五条の方に向かう和歌山線の電車がいた。

 寂れた住宅街のような、しかし単線の線路が高架化されていたりしてアンバランスな風景の中、和歌山市駅という小さなターミナルに着いた。難波方面の南海電車が頻発しているはずだが、JR側は無人駅のようで(南海電鉄の管理駅なのかな?)、自動改札機だけが置かれており、青春18きっぷの乗客がインターフォン式の精算機に列を成していた(回線の向こうの駅員と会話して、カメラで切符を見せて、改札を通ることになる)。


 南海の駅ビルがあったらしいが、取り壊されたようで、工事中。寂しい駅前だ

 20分ばかり歩くと、和歌山城のお堀端に着いた。お城に登ってみる。


 西の丸庭園をそぞろ歩いて、さて登城


 天守は戦災で焼失して、戦後の外観復元天守だそうだけれど。だが、さすが御三家の城で、大奥まであったと言う。

 城跡には水樹奈々さんのライヴTシャツを着た人がだいぶいる。西洋人の女の子二人組がライヴ装備で来ていたのには感心した。──今日の会場、和歌山県民文化会館は、ここからほど近い。

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 暴れん坊将軍こと(?)、徳川吉宗公の騎馬像。

 時間があったので、和歌山県立近代美術館にも立ち寄った。


 柴川敏之“2000年後に発掘された絵画の化石:モネ”。ちょっと笑ってしまった


 和歌山県庁。ちょっと驚いて、思わず写真に撮った。あとで調べたところ昭和13年竣工だそうで、地方に来ると戦前の政府庁舎がよく残っているのに感心することがある(鹿児島県庁や愛媛県庁、静岡市庁、会津若松市庁など)が、和歌山もそうだったのね。

 県庁の向かいにあるのが、和歌山県民文化会館。──さて行きましょう、水樹奈々さんのライヴ。開演は16時です。