皆生温泉のホテルで目が覚めた朝6時、あいかわらず軒先に落ちる雨音が…。天候が回復しない。ホテルを出るときには雨は上がっていて、路線バスで米子駅へ向かったが、その間にもざーっと降ったり、また止んだりしている。10時頃の米子駅に入ると、寝台特急『サンライズ出雲』がやって来た。どうも1時間ほど遅れているようだ。写真を撮っていると、バラバラと雹が降りはじめたので驚いた。
10時16分の特急『やくも3号』の自由席で、出雲市へ向かう。松江を出ると宍道湖が車窓に広がった。出雲平野に入ると、車窓に見える農家は母屋だけでなくガレージにまで赤瓦を乗せた立派なものばかりで、伝統的に豊かな国なのだな、と思う。──11時04分に出雲市駅に到着。
そもそも山陰に来たのは、出雲大社で茅原実里さんの野外ライヴがあるためだ。この日は出雲市の駅前のビジネスホテルを予約してあり、荷物を預けて身軽になって大社に向かうつもりだったが、相変わらず風が強くて寒いので、コートを脱げず、しかし雨対策のために持って来ていたコンビニのビニールのレインコートは荷物に入れたまま預けてしまったのを後から思い出した、という調子で、中途半端な状態で、一畑電車に乗って出雲大社へ向かった。車窓は、平野に広がる農地の向こうに量感のある山並みが見え、どことなく高雅な感じである。
一畑電車の出雲大社前駅。大社の参道の途中に突っ込んできたような位置にある。
しかし神社というのは、本殿には入れないので、なんとなく物足りない。黒服の大集団が行列して本殿に案内されていたが、あれは出雲の宗教団体の人たちなのだろう。
大社の隣には、“出雲国造館”として千家家の邸宅がある。──出雲大社とは興味深い場所で、古代には日本で最も高い神殿があったということになっているし、千家家も出雲国造の家系ということはかなり高い確率で大国主命の子孫なのだろうし、神話の“国譲り”というのもかなり高い可能性で大和朝廷の日本統一戦争のエピソードなのだろうから…、古代の地方の領主が政治的な実権を失ってからも、少なく見積もっても千数百年にわたって祭祀を所掌する家として存続し、社会体制は変われども名族として権威を保ち続け、維新後は華族になり、戦後も皇族からお嫁さんを迎えている、…と考えると、なかなかすごいことである。
神苑に設営されたステージからはリハーサルの音が聞こえ、茅原さんの歌声も聞こえるし、なんならステージの裏からは本人の姿も見えたが、それをニヤニヤ見ているわけにもいかない(寒いし、スタッフが見張っている)ので、大社の敷地の隣にある、島根県立古代出雲歴史博物館へ。
荒神谷遺跡の銅剣が!
えっ、出雲って三角縁神獣鏡が出てるの?!
特別展示は、隠岐の黒曜石を特集したもの。黒曜石というのは産地によって赤い縞が嵌入していたり、ガラスのように透き通っていたりするものだということを知る。
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時間があるので、大社を出て、民家の間を抜けて、海岸の方向へ。海に向かっているのに上り坂になるところ、なるほど、海岸砂丘の地形なのね。
稲佐の浜。だが風が強くて、寒くて…
旧大社駅の駅舎。国鉄時代は出雲市駅からここまで、大社線という路線が分岐していた。大正時代の豪壮な駅舎が残されている。
東京駅から直通列車があったり、昭和時代末期まで急行列車が入っていたそうだ。団体客用の改札口が、当時の賑わいを物語る。この駅前広場にバスがずらりと待機していたのだそうだ。大社からは歩いて20分ほど離れているとは言え、出雲大社という一大観光地があるのだから、大社線、残しておけばよかったのにね。