night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

11/24(金)細見美術館『末法』展、そして京都国立博物館『国宝』展

 平安神宮の近くに、細見美術館という私設の美術館がある。そこで、『末法』展という謎の展覧会が開かれていた。…なんか、インターネット上で話題だったのだよね。

細見美術館『末法 / Apocalypse ─失われた夢石庵コレクションを求めて─』

 なんですか、“夢石庵コレクション”って。なんですか、テーマが“末法”って。──入ってみると、薄暗い展示室に仏教美術が並ぶ。興福寺伝来という弥勒菩薩立像の、繊細な造形を間近に見られるが、照明のせいか、とても妖美であった。金地に大胆な柳が揺れるのは、長谷川等伯の『四季柳図屏風』。円山応挙の『驟雨江村図』は、墨のにじみで、雲の薄い重なりや微妙な明暗が絶妙に描かれていて、円山応挙ってこんな絵も描く人だったんだ、と驚く。

 “56億7千万年後に弥勒菩薩が下生する場所”としての金峯山の経塚に埋められていた遺宝であったり、色鮮やかな金字の法華経であったり…。一つ一つが妖気を発しているのだけど、いったいこのラインナップは何なのだろう。「ものを見ていないと寂しくて仕方がない、新しいものが見たい。…その尽きることのない渇望は、ある種の地獄だ」という言葉を残した“夢石庵”という謎のコレクターは、いったい何者なのか? ──順路の最後には、杉本博司氏の映像作品が。これも二回見てしまい、酔ったようになって、ふらふらと明るい地上に出た。

#最後に渡された“種明かし”というパンフレットには、一本取られた、という爽快感があった。なんというか、現代のアート興行シーンに対する、アンチテーゼだったのですね。

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 外に出ると相変わらずの寒風。丸太町通りの近くのラーメン屋に入って腹を満たし、というか寒いので外に出たくなくなって、生ビールも飲んでしまい、すでに若干面倒に感じられてきた。だがしかし、そうは言っていられないのである。

 そもそも今回は、京都国立博物館で開催中の『国宝』展を見ようと思って京都に来たのだった。2か月に満たない会期の間を、4期にも分けて次々と展示替えされながら、日本の国宝である古美術品、仏教美術、考古資料の数々が並ぶというもの。かなりの混雑になっているという話だし、旅行会社がツアーを組んでいたり、休館日である月曜日の夜間に団体ツアー向けの特別開館参観を行っているとか、調べるとちょっと普通じゃない状況になっている。これを仕掛けた人はだいぶやり手だな…などと思いつつ、曜変天目茶碗と天寿国繍帳は見たかったなあ、と思いながら、平日に休みを取って京都に来られるタイミングを狙っていたのだった。──会期末が近づき、飛び石連休のはざまではあるけれど平日に、しかも夜間開館のある金曜日に、京都に現れることができた。

 ということで、改めて京阪電車に乗って七条へ、京都国立博物館に向かった。七条通のバス停には京都駅方面に戻る人の長蛇の列、国立博物館の南門あたりにも人混みができていたが、時刻は17時過ぎ、ちょうど入場列が捌けたくらいのタイミングであったようだ。もちろん入館券は事前に用意して来ており、まっすぐ入場口へ。展示は“平成知新館”と呼ばれる新館で開催されている。いったん地下に下りて、仮設のクロークにバッグを預け、身軽になって、混雑した館内へ。

特別展覧会『国宝』

 1階の展示室に入ると、まず、目のつり上がった東寺の毘沙門天立像、そして中央に坐す巨大な大日如来像に迎えられる。すでに圧倒的な迫力だ。平等院の雲中供養菩薩も3体来ている。陶磁の部屋では、曜変天目は終わっていたが、油滴天目という南宋時代の茶碗が、大阪の東洋陶磁美術館から来ている。ちょっと「滴」が多すぎる気もするが、きれいなのはたしかだ。宋の青磁は均整のとれたきれいなものが出ていたなあ。

 2階に上がると、目玉は、“伝平重盛・伝源頼朝・伝藤原光能像”の3つの肖像画。左から、頼朝、重盛、光能の順で、どれも黒の装束をまとった座像なのだけど、やはり伝頼朝像が一番きれいに残っているし、表情もきりりとしている。教科書でおなじみの肖像だけど(歴史学的にはこれは頼朝ではないという説が強くなって久しいが)、衣装はただの黒地ではなく紋様が精密に描き込まれているということを初めて知った。

 近世絵画の部屋では、正面には尾形光琳の“燕子花図屏風”、これは東京の根津美術館のもので、毎年春に根津で見られるもんね、と素通りしようとしたが、その右手にあった円山応挙の“雪松図屏風”に目を奪われた。きらびやかな金地に、墨で描かれた松の枝ぶり、そして、白く描き残されている雪。本当にそこに雪が降ったように立体的に見えて、なんてすごい絵だ、と驚いた。しかも保存状態が良すぎる。これも東京の、三井記念美術館の所蔵品だそうだ。──さらに左側には、与謝蕪村の“夜色楼台図”が。これがぼくはちょっと好きだった。宵に包まれる街の家並を、少し高いところから見下ろす、都人を気取った構図なんじゃないかな、なんて思った。

 考古の部屋では、まず縄文の火焔型土器。本物を見るのは初めてかな。“火焔”と言われる縁取りの造形は、よく見ると規則性があり、明確な意図のあるデザインなのだね。その程度のことも知らなかった。──“縄文のビーナス”や、“仮面の女神”(三角形の板で顔を隠している、妖怪のような土偶。なるほど、明らかに顔に紐でくくりつけている造形になっている)と呼ばれる奇妙な土偶もしげしげと眺めることができた。

 20時の閉館時刻まで館内にいた。混雑していたのはたしかで、苦労もしたけれど、これは、やはり、来てよかったと思う。図録を購入して、退館した。

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 すごいものをたくさん見て、多少、興奮状態だったので、少し歩いて、高台寺あたりの石畳の道へ。


 高台寺圓徳院の夜間拝観。ここは紅葉はちょっと終わり気味だったかな。でもきれい。


 ここ、狭いのにタクシーとかが容赦なく入ってくるから、危ないんだよね…

 知恩院の山門の前を通り過ぎて、21時半頃、三条通まで出てきた。もう夜も遅いし、そもそも今日は朝からよく歩いた。だが、今回は京都市内には泊まれない。観光シーズンの金曜日とあって、京都市内には適度なホテルはまったく取れず、予約できていたのは大津のビジネスホテルであった。──東山駅から地下鉄東西線に乗り、京阪京津線に直通して、浜大津駅へ。駅前の居酒屋で夕食を取って、ホテルに入ったのは23時半頃だった。4両編成の電車がガラガラと路上を走る、大津は独特な街である。