night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

10/7(土)糠平、タウシュベツ川橋梁を見に行く


 というわけで、10月6日(金曜日)、釧路駅から、札幌行きの特急列車に乗った。16時14分発の特急『スーパーおおぞら10号』、この旅行で初めての鉄道だ。乗客はそれほど多くなく、自由席車も座席が選べる程度だった。列車には車内販売も自動販売機もない、飲み物や食べ物は発車前に売店で買うように、と何度もアナウンスが入る。余裕がなくなってしまったJR北海道の苦境は続いている。

 太平洋を見ながら列車は西へ進むが、うとうととしていた。だが、このまま乗っているわけにはいかない。乗り過ごしたら札幌に行くしかなくなり、明日の予定が御破算になる。はっと目が覚めたらまだ池田だったので安心した。17時46分の帯広で、無事に下車した。

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 帯広駅

 帯広ではまた2時間近くも待ち時間があった。この、行程の間延び感は、ひとえに北海道の各方面のバスや鉄道の便の少なさによるもので、いかんともしがたい。だが、もう暗いし、歩き回るような元気もない。駅の近くは飲み屋ばかりだったが、苦労して喫茶店を見つけ、時間をつぶしてから、この日の最後の行程、ぬかびら温泉行きの十勝バスに乗り込んだ。19時40分、ぬかびらまで行く最終便である。

 ぬかびら(糠平)温泉とは、帯広から北に向かった大雪山系の端あたりにあり、ここも昔は国鉄士幌線というのが通っていたところだ。帯広から音更(おとふけ)にかけての国道沿いは、郊外のロードサイドの風景が続いたが、よつば乳業の大工場と道東自動車道の高架を行き過ぎてからは、次第に、窓外は真っ暗になっていった。車内のアナウンスが告げる停留所名は、「音更n号」「音更n+1号」…とひたすら番号が上がっていく。「音更12号」の次から「中士幌1号」に変わったが、道路標識には“上士幌 23km”と書いてあるので、この先20キロ以上に渡って“士幌”という地名しかないということか? などと思う。おそらく、果てしなく畑が広がる大農業地帯なのだろうが、真っ暗で何も見えない。

 音更の町内から乗った中学生くらいの女の子は、バスの中でコンビニのドリアを食べていたが、真っ暗な中士幌n号でバスを下り、その途端に直前横断をして、運転士が急ブレーキを踏んだ。──停留所の名前は、「中士幌20号」の次が「士幌21号」になった。さらに「士幌35号」の次が、「上士幌36号」に。

 上士幌の集落に入り、「拓殖バス上士幌営業所」で、帯広から乗っていた男子中学生3人が下りて、乗客は自分一人になった。「上士幌郵便局前」で数分間停車して時間調整した。運転士がバスを降り、背伸びして煙草を吸って、戻ってくると、ぼくに「宿はどちらですか」と訊ねる。糠平温泉のホテルの名前を告げると、わかりました、とのこと。

 上士幌から先は平地が途切れ、山にアタックしていく。運転士がクラクションを鳴らしたのは、鹿があらわれたためであった。21時20分頃、糠平の集落に入り、ホテルの前で下ろしてもらった。森閑とした夜の山峡の集落の空気に、肩をすくめて、ホテルに歩み入った。

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 泊まったのは「糠平館観光ホテル」。前日にインターネットで予約した時に、帯広から路線バスの最終便で向かいます、と記入しておいたためか、すでに、自分の名が記された宿泊者カードがフロントに用意されていた。古びているが、大浴場には、白樺林に囲まれた露天風呂があり、木の香りがして、なかなかの雰囲気である。しかしぼくは目が悪く、風呂に入るときは眼鏡を外してぼけっとしているわけだが、その、ものがよく見えない眼前に、暗い夜の森が広がっているというのは、ちょっと落ち着かないものがある。何かが出てきそうである。それに、寒い。部屋に戻り、帯広のセイコーマートで買ったおにぎりを食べ、缶ビールを飲んで、就寝。

 明け方、ガンガンという音が響いて、たたき起こされた。誰かが部屋の扉を叩いているのかと、驚き慌てたが、そうではなく、温水ヒータに湯が通って館内のいたるところで金属のパイプが鳴っているのだった。となると、夜の間は暖房が止まっていたのか。たしかに、部屋での個別の調節ができない、古い装置であった。朝食バイキングの会場では、団体ツアー客が、部屋が寒くて眠れなかった、と不平を言っている。


 朝の冷たい空気に、楓の紅葉がきれい

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 糠平に来たのは、タウシュベツ川橋梁を見たかったため。

 タウシュベツ川橋梁とは、ダム湖に沈んだコンクリート製のアーチ橋である。もともとは戦前に開通した国鉄士幌線の橋梁で、戦後に糠平ダムが建設されて士幌線がルートを付け替えた際に、この橋は取り残されたものだ。ダム湖の水位によって橋が現れたり水没したりするらしく、夏から秋に向けて水位が上がっていくようだが、年によって違いがあり、今年はまだ水没していないということだ。──周囲はヒグマの出る山間部で、個人で行くのは難しい。行くなら、糠平に一泊して現地ツアーを申し込むことになるだろう、とは以前から考えていた。今回、道東からの帰りに立ち寄るという妙な行程を思いつき、実行してしまったのだ。

 ということで、朝9時前に文化ホールというところに行って、現地ツアーに参加した。黄色い長靴を貸してもらい、ランドクルーザーに分乗して、糠平湖というダム湖に沿って北に向かう。林道のゲートを開けて、すれ違いのできない林道を進んだ。


 林道は、以前は自由に入れるようになっていたが、事故が多発したため、営林署が鍵を管理するようになったということだ。落ちたらまっさかさまというような道なので、無理もない。


 車を下りて、ツアー客は森の中の小道を導かれる。流木が転がっていて、ということはここはすでにダム湖の湖底になるところなのだ。


 橋が現れた。


 湖底に長靴で踏み込む。


 なるほど、これは崩れるね。コンクリートの型枠に、砂利を詰め込んである。鉄筋も入ってはいるようだが。


 橋の上にも、以前は自由に入れたそうだが、今は立入禁止。

 ダム湖の中なので、保存策が取られているわけでもないし、冬季は凍結するわけで、劣化が激しい。完全なアーチの姿が見られるのは今年が最後になるのではないか、という話題になっている。それもあって、今年のタウシュベツ川橋梁ツアーは人気らしい。かと言って、べつに来年からなくなってしまうわけでもない。崩れるにまかされた遺跡として、これからもこの湖中に、あり続けるのだろう。

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 糠平湖付近には、こういったアーチ橋の廃線跡が散在している。


 幌加駅の跡。幌加駅は、士幌線糠平から終点の十勝三股に向かう途中にあった駅で、森の中にホームと線路が残っている。だが、この森が、当時は駅前の集落であったとのこと。たしかに、住居の基礎の跡がある。


 これが駅前通りだったということだ。信じられない。白樺という木はどんどん育つのだそうだ。集落が、自然に還ったのだ。

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 糠平の町に戻り、鉄道線路の跡を歩く。


 アーチ橋の上を歩ける遊歩道。


 トンネルの入口。擁壁に「1973」という銘板が入っているので、昭和48年に工事されたということだろう。つい最近(?)のことじゃないか…。士幌線は帯広から十勝三股までの路線であったが、糠平から先は昭和53年には休止扱いとなって列車が走らなくなり(乗客が少なすぎるため、列車をやめて代行バスを走らせたということだ)、昭和62年には全線が廃止された。

 鉄道があった時代から、すでに、終点の十勝三股は、人口が2世帯だったいう話で、そもそもなぜそんなところに鉄道が敷かれたのか? と思っていたわけだが、もともと林業の土地だったところに、洞爺丸台風のときに莫大な風倒木が発生して、それを切り出すために爆発的に人が集まり、三股は、人口二千人の町になったということだ。だが、バブルはすぐに終わって、急激に過疎化していった。──人口二千人の町に暮らしていたと思ったら、15年後には、家が2軒しか残っていなかった、などということが、いったい、考えられるだろうか?

 このあたりの士幌線のトンネルは、日本国内で唯一、永久凍土を貫いた鉄道トンネルだと先ほどのガイドの方から聞いた。「えっ、永久凍土?」と聞き返してしまった。山の中はそうなのだそうだ。


 線路が現れた。糠平駅の跡地に鉄道記念館があり、観光用のトロッコを営業しているらしい。


 鉄道記念館。


 しかしこの車両は…。どう見ても車掌車であり、こんなものに乗客を乗せていたわけがない。


 ここは、“ぬかびら源泉郷(げんせんきょう)”というのが正式な地名なのだそうだ。もともと“糠平”なのだが、“糖平”と書き間違えられることが多く、住民の総意をまとめて地名の変更を申請したということだ。人口80人だから意見を取りまとめやすかった、ということだが、そういう土地だと、反対したくてもできない人もいるのではないかな、などとも思った。

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 さて、糠平からは、来たのと同じ路線バスで帯広に戻ってもよいのだが、それはあまり面白くない。帯広からの都市間バスが、1日1本だけ、この糠平を経由し、十勝三股を通って、三国峠を越えて旭川へ向かう。それをつかまえることにしており、前の日に帯広の拓殖バスに電話をかけて予約していたが、それが15時37分である。午前中にツアーが終わり、森の中の廃線を散歩して、鉄道記念館と自然センターを見物したら、時間を持て余してしまった。しかし温泉に入る気分でもない。レストランでカレーを食べて、カフェでコーヒーを飲んで、だいぶ時間をつぶしてから、バス乗り場へ。待合所の窓口で、旭川まで2,370円の切符を買った。おばさん係員は、切符を売り、路線バスで到着する乗客を迎え、運転士に声をかけて、発車を見送る。鉄道がなくなっても、ここはやはり、“駅”なのだった。

 都市間バス『ノースライナー号』は、5分程度遅れてやって来た。旭川道北バスの車だった。おばさんに見送られて、バスは発車した。


 幌加を過ぎ、さらに山を越えると、平らな白樺林に入る。十勝三股だ。ここはカルデラ地形だそうで、山奥にも関わらず平らな土地が広がっている。なるほど、二千人の町があったわけだ。ログハウスが一軒、車窓をかすめたが、それが“三股山荘”なのだろう。今でもカフェレストランとして営業していると聞く。


 ヘアピンカーヴの道路橋をぐんぐんと上って、三国峠を越える。十勝三股のカルデラが眼下に広がった。一面の森であった。人が暮らし、木を伐り、町ができ、列車が通っていた土地は、わずか数十年で自然に還った。そのことが、まったく信じられないような気持ちだった。

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 バスは層雲峡バスターミナルでトイレ休憩。紅葉真っ盛りだった。

 旭川駅前、と言うか「北彩都病院」の前に下ろされたのは、18時10分頃であった。これでこの旅行も一段落だ。あとは、鉄道路線という太い流れに身を任せるのみである。北辺の地でのバスの乗り継ぎは、それなりに心細く、しんどいものがあった。


 きらびやかな旭川駅までとぼとぼと歩き、18時30分の特急『カムイ42号』で札幌へ向かった。みどりの窓口で買ったのは、『旭川→東京都区内』という、なかなか買わないような乗車券である。札幌で途中下車するには、白石〜札幌間210円を精算する必要がある。


 19時55分に札幌に着き、狸小路近くのビジネスホテルに投宿。予約のないまま動き回っていたこの旅行、行程的に、札幌市に入るのが三連休初日であることに気づき、安いホテルが全然取れずに困っていたが、前日に見てみたところ、適当な価格のビジネスホテルが見つかったので、急いで予約を入れたのだった。夕食はすすきののモスバーガーで軽く済ませた。