night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

5/26(金)奈良

 名古屋に遠征するのにかこつけて、ふらっと遠出することにした。金曜日の10時07分、品川駅から、東海道新幹線『のぞみ221号』新大阪行きに乗った。車内は意外にも満席模様で、直前に指定席券売機を叩いたところ、B席しか取れなかった。平日なのに、この時間の下りの新幹線って混んでるんだなあ。

 なぜこんな時間に、しかも品川から旅行に出るのかと言うと、それは仕事明けだからである。眠いのは確かだが、さっそくビールを飲み始める。。。東京は雨模様だったが、今日は西に行けば天気が良くなるはず…。丹那トンネルを抜けたら雨が上がった。名古屋に着くとまた強い雨で、ありゃりゃ、と思ったが、山科のトンネルを抜けて車窓に広がった京都の街は、気持ちのいい初夏の青空だった。

 新幹線で京都に着いたのは12時19分。間髪入れずに八条口側の近鉄の窓口に行き、12時30分発の特急、近鉄奈良行きに乗った。「おたばこは」と訊かれたので、ためしに「はい」と答えてみたら、近鉄特急は種類によってはまだ座席で喫煙できる車両があるらしく、少し古めの車両の喫煙車を割り当てられた。とはいえ、京都から奈良までわずか34分である。


近鉄京都駅。

 京都からの近鉄線は、奈良行きや橿原行きの特急が頻繁に出ているけれど、乗った列車はがらがらに空いていた。──緑の濃い風景の中を走り、西大寺駅を出て、平城宮の復元大極殿と巨大イトーヨーカドー(旧そごう)を過ぎると、奈良の市街である。13時04分に地下の近鉄奈良駅に到着。

*

 さてさて、夜勤明けなのにほいほいと奈良まで来てしまった。地上に上がると、県庁の前の大通りは、修学旅行の中学生の団体でごった返している。まずは、奈良国立博物館へ。

奈良国立博物館>特別展「快慶」 日本人を魅了した仏のかたち

 これを見に来たのだ。快慶、と言うと、運慶とともに東大寺の仁王像を作ったということで歴史の教科書に出てくる名前であり、そういうものばかり作っていた人なのかしら、と思うと、さにあらず。たしかに展示の入口こそ、恐ろしげな阿形と吽形に迎えられるのだけど、…釈迦如来阿弥陀如来(詳しい違いは、不勉強にしてよくわからないのだけど)、均整のとれた、というか、不自然さのない、完璧なプロポーションと涼しい表情の、仏たちが並んでいた。

 展示の冒頭に置かれている醍醐寺弥勒菩薩坐像は、静謐なたたずまいで、ほほう、と息が漏れたし、ボストン美術館からやって来た金泥の弥勒菩薩立像は、なんというか、おしゃれですらあった(よくこれだけ金泥が剥落せずに残っているものだ)。展示の後半には、三尺阿弥陀と呼ばれる1メートルに満たない阿弥陀如来の立像がいくつも並び、快慶はこういった仏像を多く作ったのだそうだ。需要があったのだろう。

 奈良国立博物館は、もとの帝室博物館であった旧館が、“なら仏像館”という名前になっており、一巡したが、そこの上階に、“坂本コレクション”という中国の古代の青銅器が並ぶ部屋があり、ここもとても興味深いところだった。古代中国の青銅器はぼくもいろいろなところで見ているけれど、見たこともないような形の青銅器がいくつも。──背が高く上部がふくらんでいる、跎于(じゅんう)というのは、漢の時代の楽器。丸っこい器は、オルドス鍑(ふく)という後漢から北魏の時代のもの。蒜頭壺(きんとうこ)という細首の花瓶のようなものもある。非常にきれいな状態の扁壺もあった。青銅器の扁壺は初めて見たと思う。更始元年という後漢の年号が刻まれているそうだ。

*

 レストランの屋外のテーブルで、初夏の風を受けながらカレーライスとビールを飲んで、気持ちよく、博物館をあとにした。──鹿とたわむれる中学生団体の間を縫って、興福寺へ歩く。


 興福寺は、有名な阿修羅像がいた国宝館が工事休館中だが、仮講堂というところで、阿弥陀如来像を中心にいくつもの仏を群像風に配置した展示を行っているとのこと。かつての寺院空間を再現しようというものらしく、有名な阿修羅像もその中の一体であったということだ。

法相宗大本山 興福寺

 東金堂では有名な白鳳の仏頭(あれもここの持ち物だったか)が安置されており、それと仮講堂の共通券が、900円であった。仮講堂の仏像群は、もう少し近くで見られれば…というところでもあるけれど、やはり、阿修羅像は、群を抜いて良い顔をしてるんだよなあ。有名になるだけのことはある。

*


 興福寺五重塔は有名だけど、それとは別に三重塔があるのは知らなかった。


 猿沢池のほとりで少し休憩。夕方が近づき、いい風が吹いている。


 街並みをちょっと散歩。このお手玉みたいなのは何ですかね

 アーケード商店街をぶらぶら歩き、バーでビールを飲んだり、三条通り沿いで軽く食事をしたりしてから、JR奈良駅へ。

*


 左の奥にあるのがいまのJR奈良駅だが、右側に保存されているのが、旧奈良駅舎。ぼくが学生の頃まではこれだったような気がするが、もうよく覚えていないなあ。

 奈良駅から19時25分発の桜井線(万葉まほろば線)、王寺行きに乗った。一時間に二本程度のローカル線で、青緑色の国鉄105系電車がごとごとと走っていた。このころになるとさすがに眠く、車内ではうとうととしてはハッと気が付いたりする状態で、乗り換える桜井で無事に下りられたのは幸いであった。

 桜井では近鉄電車に乗り換えて、榛原(はいばら)という駅で下車。近鉄快速急行、夜のラッシュ時に大阪上本町から下ってきたはずの電車だが、このへんまで来るとがらがらに空いているようだ。時刻はまだ20時台である。

 ここは奈良県の中でも山あいの、宇陀市というところで、もちろん初めて来る土地である。駅の北側にはマンションが林立しており、ここも大阪のベッドタウンなのか、と驚いたが、反対側はどうやら、旧街道沿いの地方都市といった風情の土地であった。だが、駅前にタクシーが常駐しているような土地ではないようで、バス路線があるわけでもなく、急行停車駅でも関西の郊外ってこんな状態なのか! 車がないと暮らしていけない土地だな、と大変戸惑ったものの、すったもんだの末にタクシーに乗れて、駅から10分ほど、山の斜面をぐいぐいと登り、温泉宿泊施設に泊まった。

 古びた公共の宿のような施設で、特に設備がよいわけでもなかったが、大浴場で、少しぬるっとしたナトリウム泉につかり、他に誰もいないのでたいそうのんびりした。12畳もある部屋に戻り、テレビを見ながらまたビールを飲む。窓の外には、遠くの谷底に近鉄の線路が通っているらしく、ときおり列車の音が聞こえたが、ほどなく、ぐっすりと眠ってしまった。