night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

3/25(土)沖縄本島


 金曜日の夜に食べた、那覇の“ジャッキーステーキハウス”のテンダーロインステーキ。うまかった。

*

 土曜日、相変わらず天気はよくなく、雨が降りそう。ホテルから荷物を空港に送ってしまい、那覇バスターミナルの横の道の停留所から、10時06分の路線バスに乗る。沖縄バスの52番、屋慶名バスターミナル行き。──まず国道58号を北上し、大謝名で東に曲がって真栄原を通り、普天間基地の東側をたどって、普天満宮の前でまた東に曲がり、キャンプフォースターの緑なす米軍住宅地を横目に見ながら、北中城村東海岸に出るが、しかしまた内陸に入ってコザ十字路を曲がり、与勝半島に入って行く。…沖縄の路線バスは、市内路線と郊外路線が分離されておらず渾然一体となっていて、このように本島の人口密集地を、それもかなりの距離を行くのも関わらず、高速道路を経由しないので、とにかく時間がかかる。勝連城跡の、砦のような突兀とした姿が見えて、終点近く、”JA与那城前”で下りたのは11時50分頃、那覇からの運賃は1,380円だった。

 ここまで来たのは、海中道路を歩いてみよう、というもくろみのため。しかし、天気が悪い…


 海中道路とは、沖縄本島与勝半島うるま市、旧与那城村)から、平安座島まで続く、海を渡る道路で、橋ではなく浅瀬に築堤を築いて、5kmあまりの道路を渡したもの。米軍統治時代につくられたものだという。

 中ほどに“あやはし館”という道の駅がある。ここまで海の上を歩いてくるだけで、30分くらいかかり、風が強いのでだいぶへこたれた。ここでレンタサイクルを借りる。GIANTのマウンテンバイクで、状態も悪くなかった。これに乗って、平安座島へ、そして浜比嘉島に渡ってみる。

 浜比嘉島は、西側の「浜」という集落と、東側の「比嘉」という集落があるらしい。


 シルミチューという聖地。

 浜比嘉島は、ハワイに多くの移民を送り出したらしく、“参道改修記念碑 一九五五年”といった石碑に、“寄付芳名”として、“在布哇比嘉移民”の何某さんが何弗、等と列記されていた。


 青い鳥。この鳥、今回、何か所かで見かけて、珍しい! と思ったのだが、もしかして沖縄ではありふれた鳥なのだろうか。調べてみたら、イソヒヨドリという鳥のようだ。


 「浜」の集落の方へ。丸吉食品さんというお店で、モズクコロッケを買い食い。


 御嶽。部外者なのであまり踏み込みはしないけど…

 とうとう小雨が降り出した。強い風を衝いて海中道路を戻り、“あやはし館”で自転車を返して、また歩いて本島へ戻った。本島の方向、海の向こうが、ときおり、真っ白に見える。雨が降っているようだ。


 奇妙な形の飛行機が2機編隊で、大きく旋回しながら飛んでいく。とっさにスマートフォンで撮った。オスプレイだ! 初めて見た。

 雨混じりの強風に打たれてぐんにょりしながら、歩いて本島にたどり着いた。15時41分、“JA与那城前”の停留所から、来た時と同じ52番のバスに乗って、那覇へ戻る。やはり車じゃないと自由度がないなあ…。しかもこの日は、移動時間ばかりの、効率の悪い一日になってしまった。

*

 夕方の那覇市内が渋滞するようならどこかで下りておもろまちあたりからゆいレールに乗ろうか、と気を揉んでいたが、大きく遅れることなく、バスは那覇バスターミナルに戻った。路線バスに揺られること、たっぷり2時間だった。──そろそろ潮時なので、ゆいレールに乗り、18時半前に那覇空港に着いた。

 帰京の便は20時00分の日本航空で、余裕を持って空港に来たのだが、なんとなく予想はしていたもののフライトはディレイになっており、チェックインカウンタで500円分の“喫茶券”をもらった。のんびりとお土産を買ったり、お酒を飲んだり、A&Wハンバーガーを食べたりしていた。那覇から羽田への日本航空は、後ろにもう1便あるが、それも遅れているようだ。


 これこれ。(^^ ローソンのからあげをつまみに、空港のベンチで飲んでいたが、もうこうなるとただの酔っ払いである。

 結局、出発は45分遅れになり、羽田に着いたときは23時近くになっていたが、特に焦ることもなく…。旅程を決めるとき、最終便の1本前を選んでいたが、結果的には最終便と同じような時刻になったものの、多少遅延したところで地元まで無理なく帰れる範囲で旅程を組んでおいてよかった。──それにしても、飛んでさえしまえば、1時間50分程度で羽田まで着いてしまう。西から帰ってくる飛行機は速い。■