night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

9/3(土)下北半島めぐり

 この日は朝から鉛色の曇り空。しかし海況は大丈夫そう。ホテルの朝食を取ってすぐに駅前からタクシーに乗り、フェリーターミナルへ向かった。


津軽海峡フェリー函館ターミナル。これ、ぼくが昔来た、「東日本フェリー」時代の函館港のターミナルと、場所は同じだと思うけれど、同じ建物かな? どう見ても新しい気がするが、2002年11月に来たとき、写真を撮ってなかったんだよなあ…

 今回の旅行は、下北半島に行ってみたくて、予定をいろいろと検討していた。下北半島の最北端の大間と、函館の間には、フェリーが1日2便、就航している。だが、下北半島というところ、ふらりと観光するのはとても難しい土地である。──下北半島の中心都市は「むつ市」であり、田名部という市街地と大湊という軍港都市が合併してできた街らしい。JRの大湊線という路線が東北本線の野辺地から延びている。しかし、そこを拠点に、マグロで有名な大間、霊場恐山、最果ての灯台と寒立馬で有名な尻屋崎、などを廻ろうと思うと、路線バスの本数もとても少ないうえにかなり時間がかかる。レンタカーを借りる以外に個人で周遊する手段はほぼ無い土地のようだった。

 このため、南から大湊線で入って北の大間に抜ける/田名部か大湊で一泊する…などをいろいろ考えた結果、先に函館で一泊した後に、朝の船で大間に渡り、観光ルートバス“ぐるりんしもきた号”に大間から乗り込み、夕方に大湊駅から下北半島を抜ける、ということに決めた。公共交通機関が無い土地は、定期観光バスにお世話になれればそれが一番手っ取り早い。だが、このバス、ウェブサイトには、5日前までに申し込み、料金を銀行に振り込むこと、と書いてある。正直、ハードルが高いなあ…と思わざるを得なかったのだけど、前日の夕方、七飯町内から電話をかけて、明日乗れますか、と問い合わせたところ、空きはあるのでどうぞ、ということだった。──ただ、函館のホテルで寝坊して朝の船を逃したら、その瞬間に旅程が全滅することになるので、朝が苦手なぼくは、非常に警戒していた(笑)。

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 ということで、乗船名簿を記入して、大間まで2,260円の乗船券を買う。売店でマルセイバターサンドを3箱買って(かさばる)、乗船した。乗船のときは、乗船券の半券を切られるのではなく、係員がハンディターミナルで紙の乗船券のQRコードを読み取るようになっていて、また車の航送には「スマートチェックイン」が導入されているらしく、こういうところでも電子化が進んでいるようだ。──9時30分に出港。


 大間への船は、“大函丸”。徒歩乗船客は車が乗るまで待たされる。それほど小さな船ではないはずなだが、隣に接岸した青函航路のフェリーに比べると、だいぶ小さく見えるなあ

 スタンダードクラス、昔風に言えば“二等”で、要するにカーペットの桟敷席なのだが、広い桟敷は団体客に占領されており、個人客は狭いところに押し込められて、すでに座る場所はなかった。フリースペースも満員である。こんな状態だとは思っていなかったので面食らったが、出航してしまえば大間まで90分なので、オープンデッキに出て、ものすごい風に吹かれながら、海と陸と空とカモメを眺めていた。


雲に覆われた函館山が遠ざかっていく。


函館はどんより曇っていたが、沖に出ると晴れていた。


カモメがよく船について来るのは、風に乗って遊んでいるのであるらしい、ということに初めて気が付いた。飛ぶ鳥のフォルムはかっこいいねえ

 大間に入港。団体客の傍若無人さは、もう、意識に入れないことにする。


時代はポケモンGOになってしまいました…


 大間では、大間崎までどのくらいなんだろう? と思いながらなんとなく歩き始めたが、1km以上あるらしいので途中で引き返し、寿司屋さんに入って海鮮丼を頼んだ。しかし出てくるまでだいぶかかり、三千円以上する海鮮丼をかっ込むようなことに。うまかったけど、何が乗っていたのかほとんど覚えていないという…。時間を気にして旅行するような土地じゃないんだろうなあ。

 強い陽射しに消耗しながら歩いて、フェリーターミナルに戻り、観光ルートバスを待ち受ける。マイクロバスがやって来た。ガイドの男性にお金を払い、乗り込む。

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 大間から向かうのは、霊場・恐山。途中、下風呂温泉など惹かれるけど、このあたりに泊まるような旅程はなかなか組みづらいのだよね。車窓には、旧国鉄未成線のコンクリート橋梁の遺構が現れ、おおっ、と思うが、ガイドは何も語らない。観光的価値を見出していないようだ。──それはともかく、ガイドの男性は、話す内容に事実誤認が目立ったり、差別的な発言があったりして、観光地として下北半島はダメだな、と思わざるを得ない人物だった。

 眠っているうちに、バスは山道を登っていた。しばらくすると下りになり、硫黄の臭いが車内にも立ち込めるようになる。恐山のカルデラに入ったようだ。宇曽利湖が車窓に広がった。


岩石砂漠に、硫黄の川が流れる、異界であった


静謐な宇曽利湖


門前の小屋にはイタコの口寄せという立て看板が出ており、小屋の中で正座して老婆と向かい合っている人の姿がちらりと見えたが、あまりじろじろ見るものでもないので、通り過ぎる。帰りには立て看板は取り払われていた。恐山菩提寺は場所を貸しているだけで、寺はイタコとはいっさい関係ない、というスタンスだそうだが。

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 観光ルートバス、人数が少ないので集合もスムーズで、予定の時刻よりも若干早く発車。いったん、むつ市のJR下北駅前を経由して客を下ろし、尻屋崎へ向かう。むつ市内から尻屋崎まででも30kmほどあり、下北半島は広い。


風力発電の風車、視界にいきなり現れると、使徒的な気持ち悪さがある

 バスが走るのは、東通村である。原子力発電所を誘致したため、財政が豊かな自治体である。小学校は全部建て替えたが、その建て替えた校舎をろくに使わないうちに1校に統合したので、まだ新しい校舎が使われずに残っている、というようなことをガイドが話す。石灰石が取れるそうで、日鉄鉱業の大規模な鉱業所が車窓に広がった。


 強風の吹き荒れる尻屋崎。白亜の灯台と巨大な支線鉄塔が立っている。バスを降りると、どっしりとした馬が立ちつくしている。灯台への道を守っているかのようだ。

 西洋人の子供連れが散歩していた。見ると、八戸Yナンバーのついた自動車で来ている。三沢基地から休日のドライブなのかも知れない。

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 バスはむつ市内への道を戻る。このバスは、予定だと18時10分には終点「フォルクローロ大湊」に着くことになっている。「フォルクローロ大湊」とはJR大湊線の終着駅、大湊駅の駅前にあるJR系のホテルだ。この日は鉄道で盛岡まで出て泊まることにしていたが、しかし、大湊線大湊駅発18時11分であり、1分しかなく、余裕がない。その次の列車は20時03分の最終列車となる。手前の「プラザホテルむつ」でバスを下りれば、JR下北駅の近くなので、少し余裕を持って列車に乗り換えられるが、せっかく最果てのローカル線に乗るのに1駅乗り残すのは、なんだかなあ、と思ってしまうのは、マニアの性だ。──20時03分の終列車でも盛岡まではその日のうちに行くことができる。大湊の駅前だって飲み屋くらいあるだろう、まあ2時間くらい何か食べてお酒でも飲んでればいいじゃない、と思っていたのだった。

 しかし、前述の通り、観光ルートバスはきびきびと進む。田名部の市街に入り、大湊の駅前に着いたのは、予定よりも早く、17時50分頃だった。18時11分の列車に間に合う。みどりの窓口で東京都区内までの乗車券を買い(最果ての駅にみどりの窓口が合理化されずに残っているのは、ここが軍港都市であることと関係があるだろうと推測する)、国道沿いのサークルKに寄る余裕すらあった。


神社のお祭りらしく、国道に山車が出ていた。


 18時11分発の列車は、快速『しもきた』、八戸行きである。しかしわずかに1両編成だった。大湊と、次の下北で、高校生がだいぶ乗り込んだが、駅ごとに下りて行き、通学圏は陸奥横浜までであるように見受けられた。


 東北本線に合流する野辺地まで58kmを1時間で着いた。非電化のローカル線とは言え、線形がよいこともあって、意外に速い。野辺地も下りてみたい駅だけれど素通りする。ここからは東北本線だが、新幹線が開業してから、“青い森鉄道”という第三セクター鉄道になっている。野辺地から八戸まで、三沢だけに停車し他の駅は通過するため、ボックスシートの座席もあいまって、往年の急行列車の旅はこんな感じだったのかな、などと思う。小川原湖あたりの荒涼とした風景の中を走っているはずだが、夜なので何も見えない。八戸の市街の灯火が行く手に広がってきたときは、大都会だ、なんて思った。

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 八戸駅に着いたのが19時57分。特急券を買い、20時12分発の新幹線『はやぶさ38号』東京行きに乗る。閑散としているが、まだこの時間の八戸からでも、今日中に東京に帰れるのだ。だが盛岡で下りる。


 東北新幹線の盛岡以北は、自由席のない『はやぶさ』『はやて』しか走っていないが、“特定特急券”で「空席にお座りください、指定券を持った人が来たら移ってください」という、なんとなく中途半端な制度になっている。指定席券売機で買ったら、発車時刻が空欄になった少し不思議な特急券が出てきた。


 盛岡に着いたのが20時45分。盛岡はやはり仙台以北随一の都会で、おしゃれなお店なんかが並び会社員らしい人々が歩く大通の様子に、今日これまで歩いてきた土地との違いに瞠目してしまう。開運橋を渡って、大通沿いのホテルに泊まった。少し古びているせいか安めに泊まれたが、チェーンのビジネスホテルとは違う、どうやらちゃんとしたシティホテルであり、部屋も広かった。ここはいいな。

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 翌朝は、まず大通を東へ散歩して…。


中津川を渡ったところにある、岩手銀行中ノ橋支店


不来方城の公園の横を通って、


盛岡バスセンター。昭和35年に開業したという、昔ながらの雰囲気の漂うバス駅だが、耐震性の問題で、今年の9月末で閉鎖されることになったそうだ。

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盛岡からは臨時列車の『ジパング平泉号』で花巻へ。


岩手だなあ、となんとなく安心する車窓

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花巻駅。最近なにかのアニメに出てきた覚えがありますよ


水沢の天文台の隣にある“奥州宇宙遊学館


電波望遠鏡。水沢に国立天文台があるとは知りませんでした

 この日は久しぶりに会う家族に遊んでもらい、帰りは水沢江刺(初めて使う駅だが、駅前に飲食店の一つとしてないので本当に面食らった)から20時11分の『やまびこ58号』で帰京した。東京駅に着いたのが22時56分。今回は、行きにグランクラスに乗ってしまったので、普通車の味気無さが、物足りなく思えてしまったり…。■