night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

5/22(日)京都(宇治ふたたび、智積院、将軍塚)

 翌朝、大宮五条から京阪京都交通の路線バスで京都駅に行き、再びJR奈良線で宇治に行った。前日、平等院鳳凰堂を拝観できなかったのが心残りだったのだ。

 11時過ぎにやって来たところ、12時30分からの整理券を買えた。鳳凰堂拝観の整理券は、平等院の敷地に入ってから中で別料金で購入することになっている。再入場できるか、と問うたところ、整理券があれば問題ない、ということだったので、いったん出て宇治の商店街の古びた喫茶店で休憩していた。

 そして時間になり、池にかかる反り橋をぞろぞろと渡って、鳳凰堂に入る。外観はきらびやかに修復された鳳凰堂だが、内部は、へたに手を付けられないのだろう、当時のままになっており、古さびた立派な阿弥陀如来を中心に、扉絵や天井の模様もくすんでいる。だが、雲中供養菩薩たちが壁の一面に舞う様子、こうなっていたのか…と感動するものがあった。鮮やかな色があふれた、極楽浄土だったのだろう。ぼくは思うのだが、…妙なる楽の音が響く、色鮮やかな楽園を、千年前の人々が願ったということを思うと、なんとも言えない哀しさを感じる。

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 宇治上神社などを改めて散歩してから、京阪電車で宇治を離れた。

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 七条京阪から歩いて、東山七条の智積院へ。長谷川等伯の襖絵を見に来た。

 等伯一門の手がけた金碧障壁画が、収蔵庫の部屋の四方に展示されている。『楓図』がすばらしい。どっしりとした楓の大木に添って、草木が繁っているところ…、ちょっとごちゃごちゃとしており、これまでのぼくならなんとなく通り過ぎてしまうような感じだったが、このときは、なぜだかわからないが惹きつけられた。自然の草木の栄えるさま、それは一瞬の姿に過ぎず、すぐに枯れ果ててしまうものであり、だが同時に、永遠に輪廻するもの、神のなせる業でもある。そういうものが描いてあるのではないか、そういうものを等伯は描きたかったのではないか、と感じられた。

 講堂へ。


 講堂では、中は、さきほど収蔵庫で見た襖絵が、鮮やかに再現されている。そして緑豊かな庭園。


 初夏の風が吹き渡る。

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 智積院を一巡して、車寄せで一息ついたところ、入ってきて客を下ろしていたタクシーに声をかけて乗り込んだ。──東山の上に将軍塚というところがあり、そこに青龍殿という、青蓮院の飛び地境内がつくられ、京都の市街を見晴るかす木造の大舞台ができたのだそうだ。京都の新名所である。五条通から東山ドライブウェイに入り、山頂近くの駐車場でタクシーを下りた。


 青龍殿で本尊の青い不動明王の絵にお詣りしてから、カンカン照りの大舞台から、もやった京都の街を見下ろす。大文字を横から眺め、右の方の山岳は比叡山である。なるほど、これは大パノラマだ。


 「ガラスの茶室」だそうだ。暑そう

 ここに来るには、三条京阪四条河原町あたりからシャトルバスが1時間に1本あるようで、京阪バスが停まっていたが、ほぼ車しかない。しかし、ここから山を下りれば知恩院のはずで、せいぜい20分程度と思われた。自然歩道のコースにもなっており、道標が立っている。


 山道を下りて行くと、知恩院の境内の裏手に下りた。

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 天下一品知恩院前店でラーメンを食べてから、ぶらぶら歩き、祇園から市バスで京都駅に着いた。京都を旅行して、京都駅から新幹線で「もう帰らなくちゃ」という瞬間、毎度ながら身体が重くなる。

 この日の京都駅は大混雑していて、烏丸口側のJR西日本みどりの窓口もごった返していた。これまで何度もここで切符を買ったが、指定席券売機に行列ができている場面など初めて見るもので、なんだこりゃ、と思いながら八条口側に廻り、JR東海の切符売り場にある券売機で指定席を買った。おみやげなどを買い集めてから、17時26分の『のぞみ246号』で帰浜。■