3月19日(土曜日)、明治大学平和教育登戸研究所資料館へ。生田にある明治大学のキャンパスには初めて入る。
理系の学部があるせいか、巨大な倉庫みたいな建物や、養殖池のようなものやビニールハウスが並んでいたりするキャンパスで、ぼくの知る文系のチャラチャラした大学とはちょっと雰囲気が違う。
戦時中の陸軍が、風船爆弾や化学兵器・生物兵器を開発したり、中国の紙幣の偽札を製造していたというところ。──風船爆弾というのはただ紙の気球に爆弾をぶら下げただけではなく、高度維持装置を備えたりして、それなりに考えられた機械だったのだな、ということを知る。
驚いたのは、敗戦直前の軍が本土決戦に備えて、松代大本営をはじめとした施設を次々と移転していた長野県に、731部隊が開発した“濾水機”の“濾過筒”を、秘密裏に大量に持ち込んでいた、ということ。細菌戦対策である。本土決戦でそれが必要になる、というのは、とりもなおさず、自分たちが細菌兵器を敵に対して使っていたからこそ、自分たちもやられる、と考えていたからにほかならないだろう。おぞましいと言わず何と言うか。
また、中国侵略時に、中国(国民政府)の経済を攪乱する目的で、中国紙幣(法幣)の偽札を作っていた、という展示も。英米宣戦後に香港を占領したら法幣の原版を鹵獲しちゃってまさに“ホンモノ”になってしまったとか…。国家が他国の偽札を作る、という最大級の恥にも関わらず、製造した新品の偽札に機械で汚しをかけて埃をはらって仕分ける作業に地元の女学生を動員していた、という。狂っている。女子高生がそんな仕事をやらされる社会なんて、地獄と呼ぶしかない。この国はそういう狂ったことを平気でやっていた歴史があるのだね。そこまでしながら、中国ではハイパーインフレで超高額紙幣が発行されていくのに追いつけず、ちまちまと小銭を刷っているだけの結果になっていたということである。
明治大学の生田キャンパスには旧軍時代のものが他にも残っており、
たしかにいかにも古い、川砂利が露出したコンクリートのものがそこここにある。
ここが登戸研究所の正面の車寄せだったとのこと。
生田キャンパス、行きは小田急の生田駅から歩いて行ったが、帰りはなんとなく向ヶ丘遊園駅行きの路線バスに乗ってみたところ、これが相当迂回した経路で、結局のところ生田陸橋を経由していたので、生田駅まで歩いたほうが早いくらいだった。台地の舌が連続しているようなところで、地形が複雑なんだね。
小田急の向ヶ丘遊園駅。昭和2年竣工、開業時からの駅舎。ギャンブレル屋根って言うんだそうです。
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3月20日(日曜日)、町田市立博物館の中国陶磁展へ。
唐の黒釉。微妙に浮かんでいる錆のような青色がきれいなのだけど、この画像ではあんまり、だなあ
東晋の黒釉だって。すごいものが残っているなあ
◆町田市 - 常盤山文庫と町田市立博物館が語る ―中国陶磁うつくし―
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続けて、町田市立国際版画美術館の、小林清親という明治の絵師の展示へ。鮮やかな、だけど独特なパステルっぽさがある色合いが美しく、一見の価値あり。