night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

4/17(金)会津若松

 4月16日(木曜日)の夜、会津若松駅に着いた。会津若松市に来るのは初めてだし、予習もしていなかったが、掲示されている周辺地図を見ると、どうやらここも、駅は中心部からは少し離れているというタイプの町のようだ。中心街と思われるあたりへ歩いて行ってみた。


 これは…、会津若松市役所。昭和12年竣工だそうだ。


 何かうまそうなものを食べたい、と思い、“さくら鍋”ののぼりを立てたお店に入った。とは言え、一人で鍋を頼むわけにもいかないので、馬肉のいろんな料理が出てくる六品おまかせコース、みたいなのを頼んで、堪能した。


「山ふぐのお刺身です」と言われ、「山ふぐとは?」と問うと、「こんにゃくです」とのこと。

 その料亭から、タクシーを呼んで、東山温泉へ。──今回、若松で泊まってみようと思って、まずはいつもの習性で、市内の安めのビジネスホテルを探してみたが、市街地をちょっと出外れたくらいのところに温泉場があることに気づき、「たまには…」なんて思って、大型ホテル旅館のようなところで朝食つき1万円で泊まることにした。和室だけど改装してあってベッドルーム、という部屋。平日のためか、温泉大浴場もガラガラに空いていてほとんど独り占めのような状態だった。こりゃいいや…。

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 翌朝も、大浴場を使って堪能した。…が、露天風呂に出てみると、強い風が吹いていて、寒くてたまらない。湯船に肩まで入ると、もうぴくりとも動くことができず、強風で湯面にさざ波が立っているほどだった。これはいかん…。どうも天気が悪いようで、いまにも雨が降りそうだ。

 ゆっくり起きて風呂に入っていたのでちょっと遅くなってしまったが、終わりの時間ぎりぎりまで朝食ビュッフェを食べきった。「もう終わりの時間ですか、このコーヒーだけ飲むからちょっと待って…」などと言ったら、ごゆっくりどうぞ、お部屋にお持ちしましょうか? なんて言われて、恐縮しきりであった。就職したての頃は質素な旅行が板についていたけれど、こういう、まともなところに泊まってしまうと、すみませんねえ…という感じがしてしまう。(^^;

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 スタッフの女性に見送られて、チェックアウト。──東山温泉はバス便もあるが、少し歩いて山を下りて行き、会津武家屋敷という観光用の復元施設に入ってみる。


 西郷頼母の家に会津中将さまがいらっしゃったシーンだそうです


 まだ梅が咲いてるのですね。…雨が降ってきた。

 若松には、市内を循環する路線バス「あかべぇ」と「ハイカラさん」というのがあって、それの一日乗車券を買った。──飯盛山に行ってみる。


 寛政8年にできたという、“さざえ堂”という建物。らせん状の通路で中を上って、そのまま反対側を下りてくることができる、というそれだけなのだが、謎の建物である。


 白虎隊の墓。


 この方向に、…お城が見えるのです。

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 飯盛山から見えて、「あれか!」と思ったので、雨の中を衝いて、行ってみました。──あの、田んぼの中にある、桜の大木は…、


 石部桜という木で、数年前の大河ドラマ『八重の桜』のオープニング映像に出てきた桜が、これなんですって。

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 さらにバスに乗って、鶴ヶ城へ。修学旅行なのか、制服の中学生の団体に巻き込まれそうになりながら、城内を一巡する。天守閣は、コンクリートで造られた外観復元天守なのだけど、桜の満開の城内はとてもきれいだった。


 天守から見下ろした城内。

 天守閣の中は、会津藩の歴史を示した博物館になっている。もちろん、展示が最も盛り上がるのは、幕末の、八重さんたちの時代である。ぼくはあの大河ドラマも実は見ていなかったのだけど、…飯盛山で白虎隊が自害したのは、実は若松城包囲戦の初日に過ぎなかった、ということを初めて知った。実際、会津戦争会津藩というのは、かわいそうと言うか、やるべきことをやっていただけなのに勝手に攻め込まれてボコボコにされた、という感じがあって、悲劇以外のなにものでもないよね、とは思う。しまいには、容保公は、ただの城下町の路上で降伏の礼をさせられたとは。。。──ちなみに、ぼくがちょっと感心したのは、ここの展示では「官軍」という言葉はいっさい使われず、「西軍」と「東軍」という表現が使われていたこと。


 えんじ色がかった瓦が特徴。明治に破却された前の記録に残っている“赤瓦”に、最近になって葺き替えられたとのこと。


 こういう古城の感じ、好きだなあ

 茶室でお抹茶をいただいてから、三の丸のほうから城外へ。福島県立博物館を瞥見してから、また路線バスに揺られた。やはり、七日町(なぬかまち)駅あたりが古い市街地のようで、明治大正あたりの雰囲気を残す洋館や、鍵の手に曲がった城下町らしい道割りなどがあって、魅力的だなあ、と思いながら、会津若松駅に戻る。

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会津若松駅

 さて、ここからは、鉄道で東京に戻る。だが、少し変わった経路を取ろうと思う。


 まずは、15時37分発の、会津鉄道会津田島行きに乗る。──会津鉄道は、会津若松からJR只見線を2駅行った先にある西若松というところから、南へ山間に分け入っていく、第三セクター鉄道(旧・国鉄会津線)だ。


 山間に入るにつれて、桜も咲かなくなる

 16時45分に会津田島に到着。


 盆地の町のようだった。ここは会津鉄道の途中駅なのだが、ここから南は電化されていて、東武鉄道と直通運転している。次の列車も、東武鉄道の車両で、東武鉄道の新栃木行きという表示を出している。




 車内に行先表示が出ているのって珍しいよね。そして、往年の国鉄の急行列車のような、レトロな車内。17時04分発。

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 会津高原尾瀬口駅を過ぎると、列車は直通するものの、野岩鉄道という会社の路線になる。これも第三セクター鉄道で、旧国鉄野岩線というのが建設途中で第三セクター転換されたもの。国鉄末期に鉄建公団が建設した路線のためか、切通しの擁壁がコンクリートで固められていたり、直線が多いなど、会津鉄道線よりも設備的に強めであった。

 いつの間にか、川の流れる方向が変わっていて、栃木県に入っていた。新藤原駅で増結し、ここからは東武鉄道鬼怒川線区間になる。谷あいの温泉ホテル街は、線路側はどうしても裏手なのだろう、列車の車窓から見ると、どうもうらぶれている。──18時18分に鬼怒川温泉駅に到着すると、駅舎側のホームに特急スペーシアが停まっていた。


 乗車券は会津若松から東武浅草まで通しで買ってある(JR・会津鉄道野岩鉄道東武鉄道の、4社連絡乗車券が、会津若松駅みどりの窓口で買える)。改札口の駅員に声をかけていったん出場し、スペーシア特急券を買って、特急『きぬ138号』浅草行きに乗り込んだ。東武鉄道の特急に乗るのは初めてだが、売店車両がついているのを見つけて、お弁当と缶ビールを買った。お弁当は半額です、と言われ、そうなんですか♪と喜んだ。見ると、賞味期限が当日の20時と書いてある。浅草に着くまでに売ってしまおう、という状態だったようだ。


 スペーシア、1990年代に登場した特急車両で、だんだん古くなってきてはいるのだろうけれど、それだけにか、車内は重厚感があって、いかにも長距離の特急列車という雰囲気がある。平日の夕方の上り列車だけに、適度に空いていたのもよかった。

 のんびり眠っていたら、いつの間にか埼玉県内の複々線区間を走っていた。北千住で降りたほうが町田に帰るには便利なのだが、終点の浅草まで乗りとおした。ここからも、地下鉄と小田急を乗り継いで町田まで帰った。西若松から町田まで、JRを使わずに277.7kmをたどったことになる。都内と会津若松のあいだを、私鉄を乗り継いでたどる、というのは、一度やってみたかったのだよね。