night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

3/23(月)モンマルトルの丘、そして帰国

 明けて月曜日は、帰国の日。だが、帰国便はCDG空港23時25分という深夜便なので、この日も夕方まで市内をぶらぶらできる。ホテルをチェックアウトするとき、大きな荷物を預かってもらって、メトロに乗った。


12号線のリュー・デュ・バック駅。

 12号線のアベス(Abbesses)駅で地上に上がり、斜面がちな街並みを少し歩くと、モンマルトルの丘に登るケーブルカーの乗り場があった。──実は、公共交通機関の無料施策は、この月曜日まで延長されており、このケーブルカーもRATP(パリ交通公団)の運営であるからには?…と思ったら、やはり無料だった。ケーブルカーとは言っても、歩いたって簡単に登れるような丘だけどね。


 絵になる教会だなあ。サクレ・クール教会。“聖なる心臓”という意味ですね


 この白い人は大理石像のフリをしている大道芸人。(^^


 ドームの上に登ることができる(ドームと、地下のクリプトに入る共通券が8ユーロとかだったかな)。


 途中の階段は、ハトのすみかのようで、衛生的には、気を付けたほうがいいね…


 螺旋階段を上り詰めると、ドームの上からパリの市街地を一望できた。やっと天気はよくなったけど、やっぱり、ガスってるなあ。

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 モンマルトルを散歩。


 テルトル広場では、絵を描いて売っている人がたくさん。おすましして絵を描いてもらっている女の子と、それを見守るお母さんがいたり。


 この八百屋さんでジュース買った。(^^


 昔からあるムーラン・ド・ラ・ギャレットの風車ではないそうだけど…


 モンマルトル墓地。東京で言えば青山墓地だな。有名人のお墓がいくつもあるようだ。


 ベルリオーズのお墓ですって

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 パンテオンに行ってみた。フランスの偉人を祀る霊廟ですね。


 ルソーやヴォルテールなどが有名だけど、ここに祀られている人でぜひとも挨拶していきたいのは、ヴィクトル・ユーゴーだな…。


 ここに祀る対象者は今でも増えているようで、新しいところでは、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)が2002年になって新たにここに祀られたそうだ。そんな昔の人を改めて選定したりするんだなあ。堂内では、アレクサンドル・デュマをここに祀った式典のようすのVTRが放映されていて、儀仗兵がうやうやしく棺を運び、シラク大統領がスピーチしていたりした。

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 最後に、パリに来たらこれを見ないわけにはいかないだろう…。エッフェル塔を見に行った。


 メトロ6号線のビル・アケム(Bir Hakeim)駅で下車。


 第三軌条のゴムタイヤ式なのか。札幌の地下鉄みたいだな。


 しかし、ここはもう、長蛇の列なので、これに登るつもりはなかった。


 金属の玉を投げる遊びをしている老人たち。ゲートボールみたいな遊びのようだ。


 エッフェル塔の西側あたりのオープンカフェで食べたハムオムレツ(オムレット・なんとか)と、ペルフォース・ビール。うまかったけど、道端で食べるのって、空気も悪いし、微妙だよね…

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 改めて、凱旋門


 シャンゼリゼ大通りは、フランスとスペインの国旗で飾られていた。スペイン国王が国賓として訪問するのでこうなっていたようだ。(その後、ジャーマン・ウィングスの墜落事故が起こって、この訪問は途中で切り上げられたということだったが…)


 アレクサンドル3世橋からのぞむ、セーヌ川の午後。

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 ホテルの近くに戻って、ダメ押しでビールを飲んだ。やたらと甘い、カクテルみたいなビール(Beer with Picon、5.50ユーロ)*1。これでパリの散歩もおしまいだと思うと、なんだか名残惜しいね。

 ホテルで荷物を受け取ってから、再びリュー・デュ・バック駅からメトロに乗った。さて、CDG空港に向かおう。──時刻は18時。帰りは、少し迷ったが、ロワシーバスで空港に行くことにした。


 リュー・デュ・バックから12号線に乗って、マドレーヌ駅まで5分。オペラまでもう1駅、8号線に乗換えてもよいが、たいした距離ではないことはすでにわかっていたので、荷物をぶら下げてゆっくり歩いて行くと、7〜8分で着いた。ここの、オペラ・ガルニエの横に、ロワシーバスの乗り場がある。

 歩道に屋根つきの乗り場があって券売機が置いてあるだけで、案内人のような人はいない。ついさっき1本出て行ったあとで、乗り場には客の乗っていないバスが停まっており、運転士が座っているが、ドアは空いていない。日本的に考えると、これは運行中ではない車両だ、という気がしてしまうが(行先表示も、“Paris Opera”と何かを交互に表示しているだけで、どっちやねん、と思う)、いや、ボタンがあるはずだ。だがボタンがどれだかわからない。──どれだどれだ、とバスのドアを触っていたら、中から運転士がドアを開けてくれた。「きみが開けたんじゃないよ、俺が開けたんだからね! ハッハッハ!」…うるさいわ(^^;

 RATP(パリ交通公団)のマークがついたバスなので、たぶんこれも無料なのだろう、と思ったが、念のため、「チケットはいくらなの?」と訊いたら、「今日はタダだよ!ハッハッハ!」とのことであった。あとから乗ってくる西洋人たちも、タダなの?ハハッ!サンキュー!みたいなやりとりをしている。


 オペラの隣からロワシーバスで発車


 18時33分、定刻で発車した。自動アナウンスは、仏英伊日中の各国語で流れる。連接バスだが、車内はただの路線バスだ。これも渋滞すると時刻が読めないという話であったが、モンマルトルの丘のふもとの細い道を通って、15分程度で高速道路に上がり、19時10分にはCDG空港のターミナル2Eに着いていた。──ホテルを出たのが18時、そこから70分で着いてしまったではないか。なんだかんだ言って、CDG空港、近いな。スムーズに来られたおかげで、空港で4時間つぶすことになった。

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 帰国便は、日本航空の便名でチケットを買っていたが、エールフランス274便とのコードシェア便だった。機械でチェックインすると、荷物のタグも出てきて、そのタグを自分で荷物につけて、無人のバッゲージ・ドロップで荷物を登録する、というしくみになっていて、徹底して機械化されていた。特に、無人のバッゲージ・ドロップ・ポイントというのは初めて経験したもので、ちょうど使っていた日本人のカップルに、「これどうなってるんですか?」と、機械の使い方を訊いてしまった(親切に教えてくださったお二人に感謝)。日本語表示にも切り替えられるけど最初からは切り替えられないという、微妙に謎な機械だった…。


シャルル・ド・ゴール空港

 あとは、ワインやチョコレートなど、お土産を買い込んで…。パリー東京の深夜便は、JALの成田(ナヒタ)行きとエールフランスの羽田(アネダ)行きが、相次いで出るようだ。深夜23時25分のフライトというのは、待っている間に、さすがに眠くなってくる。どうやらほぼオンタイムで搭乗が始まった。

 帰りの機内は、団体と乗り合わせたらしく、満席の模様だった。エールフランス、離陸してしばらくしてからでないとヘッドフォンを配布しなかったり、機内食のメニューの紙をわざわざ配布したりして、サーヴィスに無駄があるなあ、と思っていた(ヘッドフォンなんかは座席に備え付けておけばいいのに)が、乗務員(フランス人)にドリンクを頼んでも無いと断られて、あとから別の乗務員(日本人)がやって来て別のものならありますが…と言われたり、機内食はフィッシュかチキンと大仰にメニューに書いてあるのに、フィッシュな!と最初から押し付けられる(そして、大仰なお品書きとはうらはらに、不味い)など、サーヴィスがいちいち、もやもやとする感じだった。今回は、往路が日本航空、復路がエールフランスだったけれど、これが逆でなくてよかったな、と思ったのであった。

 羽田空港に着いたのは24日(火曜日)の夕方だった。地元行きのバスに乗ってツイッターを開いたとき、フランスの南東部でジャーマン・ウィングスの飛行機が墜落したというニュースが飛び込んできて、ひやっとしたのだった。

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 パリ、どうにも、疲れた。街を歩きながら、「油断がならない」感がどうしても強いのだ。昨年行ったロンドンで歩いていたときには感じなかったもので、どちらかというと中国の都会を歩いているときに近い感覚があった(街の汚さも、中国に近い)。不思議なものだ。もし自分が暮らすとしたら、ここでは暮らせないな、と思ってしまった。

 美術館群のすばらしさは、言葉にしようのないほどのものだったけれど、すばらしいものを見れば見るほど、西洋の文化的な背景に対する教養が自分に無いことがはっきりとしてくるようなところもあった。パリの都心の壮麗な建築のあいだを歩いていると、なんとなく、自分が矮小化されてくるように思えてしまったりもして、無邪気にパリを楽しむことがなかなかできなかったかな。パリ、おみそれしました。

 とは言え、よいものをたくさん見られて、面白い旅行であったことには変わりない。ヨーロッパ、奥が深いぜ。次にヨーロッパに行くならもっと暖かい季節にしよう…、などと考えているところ。■

*1:ちょっと待って、"picon"ってオレンジリキュールのことか!甘かったわけだ。つまみに出てきた揚げ菓子みたいなもののことかと思ってた(笑)