night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

3/21(土)コンコルドからエトワール

 この日は、パリの都心に戻ってから…、


メトロのコンコルド駅。壁面のタイルがしゃれている。

 シャンゼリゼ大通りの地下を走るメトロの1号線は、ホームドアのついた最新式の地下鉄であった。車内では、フランス語・日本語・英語・ドイツ語・中国語で、スリに気を付けてください、という意味の自動放送が流れる。いきなり日本語のアナウンスが流れたので驚いてしまった。


再びコンコルド広場。この日はここから、シャンゼリゼ通りの向こうに、凱旋門が肉眼でもはっきり見えた。


グラン・パレと、プティ・パレ。


シャルル・ド・ゴール将軍。帰国してからこの銅像の写真を見た両親が曰く、「若いころのド・ゴールだね、おなかが出てない」とのことであった。なるほど。

*


 シャンゼリゼ大通りを散歩したり、




 …エトワール凱旋門に登ったりした。凱旋門に登るには、地下の通路に入口があるが、ここでもミュージアム・パスを持っていると並ばずに入ることができた。パリの都心は、西のほうにある新都心っぽいエリアと、エッフェル塔と、南東のモンパルナス・タワーを除くと、凱旋門以外に高い建物がないようだ。北東の方向には、ゆるやかな丘の上に大きな教会が見える。モンマルトルの丘というのはあのへんか、などと思う。


 凱旋門では、門の下に入ってレリーフを見上げていたら、急に係員に追い出されて、鉄柵が設置された。なんだろうと思ったら、何かの式典が始まった。礼装用の軍服を着た偉い人と、ドラムとラッパの軍楽隊がやってきて、参列しているのは普段着の一般人たち。偉い人のスピーチがあり、儀礼用のサーベルがうやうやしく持ち出され、制服組に指導されて、参列者が、凱旋門の下で燃える火の横に、そのサーベルの切っ先を添えるしぐさをする。最後に『ラ・マルセイエーズ』が歌われ(あまり盛り上がらない感じではあったけれど)、式典は終わった。──どういう式典なのか詳しくはわからないが、周りに停まっていた青い車には、ジャンダルムリと書いてあったので、おそらく国家憲兵隊の奉職者を記念する式典なのだろう。

 エトワール凱旋門は、そもそもが戦没者の慰霊碑なのであって、門の下には、「第二次世界大戦における軍とレジスタンスの戦没者を記念して」「1918年のアルザス・ロレーヌ回復の」「1870年の共和革命の」「朝鮮戦争の」「インドシナ戦争の」「アルジェリアチュニジア・モロッコ戦争の」…等々、というプレートがいくつもはめ込まれている(ヴィシー政府がこの場合にどういう扱いになっているのかはちょっと気になる)。──偶然出くわした式典のようすもあいまって、日本とはお国柄が違うなあ、と思いつつ、寒風に震えながら凱旋門をあとにした。


 アレクサンドル3世橋を渡って、アンヴァリッド(日本では“廃兵院”という独特の訳語があてられているね)の威容を眺めながら、ホテルまで歩いて帰る。

*


 この日は、ヴェルサイユの町で食べたケバブ・サンドでけっこう満腹していたので、シャンゼリゼ大通りのモノプリ(スーパーマーケット)で適当にパンなどを買ってホテルに戻り、部屋でビールを飲んで寝てしまった。──モノプリでは壁一面に広がるワイン売り場に度肝を抜かれ、よっぽど安めのを1本買おうかと思ったのだが、ワインオープナーを持っていないし売り場にも見当たらなかったので、思い直した(書いてないからわからないけどまさかスクリューキャップのワインは売ってないだろう、と、売り場で大いに悩み、結局、買わなかった)。意外にそういうものを売っていないのだよね。結局、ベルギーのブランドの缶ビールに…。