night and sundial

じゃわじゃわ日記 -the 5th defection-

読書&査収音源リスト(2022年7月~9月)

▼臨3311に乗れ(集英社文庫)/城山三郎

▼金閣寺(新潮文庫)/三島由紀夫

 このあまりにも有名な作品をこれまで読んだことがなかったのだけど、それが本当に不覚であったことを思い知らされた。

『金閣を焼かなければならぬ』

▽ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔/小泉 悠

 新進気鋭の軍事学者であると同時にアルファツイッタラーとして有名な先生の、力の抜けた本なのだけど、最新の情勢を踏まえて書かれた歴史の証言的な一冊でもある。隣国の生活の一端でも知るのは大事だし、この人はTwitterとかnoteとか見ててもわかるとおり書く文章が現代的な意味でものすごくウマいと同時ににじみ出る誠実さがある。それに異文化の話を読むのは単純に面白い。──「戦略おばあちゃん(ストラテギーチェスカヤ・バーブシュカ)」で笑ってしまった。"стратегическая бабушка"

▽ただいま収蔵品整理中! 学芸員さんの細かすぎる日常/鷹取ゆう

▼遠い太鼓(講談社文庫)/村上春樹

村上春樹『遠い太鼓』を再読しているのだけど(二十年以上前から持っている文庫本が古くなって染みだらけ)、このミコノスなりローマなりに滞在している村上春樹氏は、当時36か37歳なんだよな。
2022-09-07 21:24:58

▼花、瞬く光/蜷川実花

▼国鉄 「日本最大の企業」の栄光と崩壊(中公新書)/石井幸孝

▼モダン語の世界へ 流行語で探る近現代(岩波新書)/山室信一

▼韓国併合 大韓帝国の成立から崩壊まで(中公新書)/森万佑子

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▼DELIGHTED REVIVER(初回限定盤)/水樹奈々

8月~9月の園芸部

オクラ

 今年はプランターに種をまいてオクラを育てた。自分で植えてみるまで、オクラがいったいどういう植物なのか、考えたこともなかった。


 こんな花が咲くのね。薄黄色でうつむき加減の、きれいな花です。でも、花はわりとすぐに終わってしまい…


 何かが出てくる


 実がなったところ

 オクラってこうなるんですね! 縦になるとは思わなかった。そうか、花が咲いたあとの、種の入った実だったのか、あれは…。(8月6日、14日、15日)

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 ジニアはきれいに咲いたけど、日陰気味になってしまい、ちょっと弱々しい。


 ナスは相変わらず、旺盛に生り続けている。(9月19日)

9/12(月)鎌倉

 鎌倉に散歩に行った。まず小田急で藤沢に出て江ノ電に乗り、極楽寺で下りた。線路がトンネルに入る手前にある停留所で、駅の裏手に回ると、その名のもとになった極楽寺がある。

極楽寺


 茅葺きの山門を入ると、木漏れ日がきれいな参道になっている


 萩が咲き始めた季節


 芙蓉の花がきれい

成就院極楽寺切通

 少し歩くと、鎌倉七口のひとつ、極楽寺坂の切通しがある。車の通れる広さの坂道が通じているが、その脇を登って行く歩道があり、その上に成就院という寺院がある。


 不動明王

 極楽寺坂は、1333年の鎌倉攻防戦の際に主戦場の一つになった場所である。鎌倉の府内の入口にあたるこの道を固く守る北条方に対して、新田義貞は、ここをどうしても攻め抜くことができなかったため、夜陰の引潮に乗じて稲村ヶ崎の波打ち際をすり抜けて、府内に攻め込んだわけだ。現在の道路が当時の道筋と同じというわけではないようだが、地形が大きく変わっているわけではないだろうし、そのときの戦争で成就院は焼け落ちたという。


 成就院の門前から見える、鎌倉市内。

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 切通しの道のふもとには、成就院が管理する境外仏の、虚空蔵堂がある


 海が見える住宅地。なんだかすごいサボテンが生えてるぞ

長谷寺


 長谷寺に来てみた。ここは天平年間の開創だというからすごい。本当なのだろうか


 豊かな水を使った庭園が広がっている


 ちょっと圧倒される


 こういうの、どこが起源なのだろうか


 押し出しの強い構えの、本堂。ここの本尊は大きな十一面観音菩薩像で、相対して見ると、威容に圧倒される。奈良の長谷寺の観音さまと一緒につくられたうちの片方がこれであるという伝説があるそうだ


 見晴らしがいい。鎌倉の有名なお寺でも海がこれほどよく見えるところはあまりないと思う。平日に来たのでそれほど人も多くなくて、気持ちのよい日だった


 ちょうどおなかがすいたので、レストランで豆のカレーをいただいた


 経蔵には本当に書物が収納されているのが見えた


 弁天窟にも入ってみた


 裏山に見晴らしのいい散策路があったり、暗い洞窟めぐりがあったり、わりとテーマパークっぽい場所ではある。だが、「ミュージアム」では、嘉暦元年とか元徳二年とかの銘文のある懸仏が並んでいるのにも感心したし、江戸時代の十一面観音と、その周りを囲む『観音三十三応現神立像』──観音菩薩がさまざまな姿に変化して現れたという神像──の展示は迫力があった。

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 長谷駅から江ノ電鎌倉駅に出て、鎌倉歴史文化交流館へ。ここ、開館したのは2017年だが、これまで来たことがなかった。


 出土物に宋の青磁があるのは、(すごいけれども)ある意味では納得なのだけど、これほど色鮮やかな漆器が出てきているということには驚いた。地下水位が高いため朽ちずに出土したものということだ。

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 このあと、鎌倉駅の近くにある妙本寺などを散歩してから、江ノ電で片瀬へ、そして小田急で帰った。


 江ノ電の車両、LEDの芸が細かい。

9/10(土)黒羽


 東京駅9時16分の東北新幹線『なすの255号』に乗った。休日なのでさすがに新幹線のホームは混んでいる。自由席もさらっと埋まってしまった。


 おにぎりを食べたりしているうちに1時間あまりで那須塩原に着いた。初めて下りる駅だ


 東口は小さなロータリーの向こうに住宅地があるだけの土地だった。ここは那須塩原市、合併前の黒磯町だと思うが、そこに「大田原市営バス」というのが入ってきた。10時40分に出る雲巌寺行きのバスに乗った。乗客は2名。

 この日は黒羽という町に行ってみる。栃木県の北部、那珂川沿いの城下町で、今は大田原市に合併されているが、何が有名かというと、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で二週間ばかり逗留していたことで知られているし、雲巌寺という古刹がある。逆に言うとそれ以外で何で知られている町なのかはよくわからないのだけど、雲巌寺は山中の素敵なたたずまいの写真を見たことがあって、何かの機会に行ってみようと、以前から考えていたところだった。──バスは那須野の台地をすいすいと走って行く。水田のほか、キャベツや、背の高いとうもろこしの畑が目につく。背の低い、青々とした植物は、なんだろう、ピーマンかな? 野菜の産地のようだ。

 黒羽の町に入る。バスの系統図や時刻表などを頼りに旅行するときに困るのは、町の中心部がどのあたりなのかがわかりにくいことなのだけど、郵便局や大きなスーパーがあるあたりがどうやら結節点になっているようで、各地への停留所が集まっているようだ。東野交通の鉄道路線が昭和40年代まであったそうだが、このあたりに駅があったのではないかと思われるような土地もあった。


 郵便局の看板を黒くしてあるのは珍しい。(帰りにバスの車内から撮ったもの)

 バスで走って行くだけなのが惜しいけれど、旧街道らしい道沿いに重々しい旧家が並んでいる。


 これが銀行だそうだ

 バスは雲巌寺への道のりを外れて、「くらしの館」という茅葺きの観光施設に立ち寄る。でもバスの利用者はおらず、一周して出てくる。那珂川を古めかしい鉄橋で渡ると、「田町ロータリー」という停留所がある。ここにも誰もおらず、バスは転回場をぐるっと回って出ていくだけだったが、デマンドタクシーのワゴン車が2台停まっているのが見えた。「黒羽支所」も立ち寄るだけだったが、とにかくこまめに道を外れて立ち寄るような経路をとっている。──この「市営バス」、もともとは東野交通のバス路線だったものと思うが、地域の足をとにかく確保する、乗り換え拠点を設ける、という施策には感心する。

雲巌寺

 バスに那須塩原駅から乗っていた人は黒羽の町内で下り、町内で乗ってきた人も黒羽高校前で下りて、一人になった。町を外れて山の中に入り、終点の雲巌寺に着いたのは11時30分だった。地方の路線バスに50分も乗ったのに、運賃はたった200円であった。

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 道路はさらに八溝山地に分け入って行く。この奥にもまだ集落があるようなのだけど。


 朱塗りの橋で渓流を渡る。


 重々しい山門


 雲巌寺臨済宗の古刹で、北条時宗の勧請によりひらかれたという由緒ある寺院だが、観光寺院ではないため、拝観料も取らない代わりに、参拝者への便宜は何もない。松尾芭蕉は、禅の師匠の修行の跡をしのぶためにここに来て、『おくのほそ道』には、──後の山によぢ登れば石上の小庵に云々、という記述があるが、今は裏山に登れはしないようだ。今の山門や伽藍は江戸時代に再建されたものらしい。


 この裏山に「よぢ登る」のは大変だったでしょうね


 塀の向こうに、庭園とお堂が隠されている


 観光地としてはそっけない場所だけど、でも、山の空気の中にたたずむひっそりとしたお寺の雰囲気は、すばらしいところだった。


 雲巌寺の折り返し場。木立の中を山中に向かう県道の途中にぽっかりとある。土産物屋の一軒もない。どうやら奥の建物も雲巌寺に関係のあるもののようで、古びた石の標柱には、「雲巌寺兵成會館」と書いてあった。

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 12時20分のバスで戻った。同じ路線だが、この便はまた道をそれて、黒羽高校に立ち寄った。学校の敷地の中までバスが入り、高校生たちが待っている。二組乗ってきたが、静かな高校生たちだった。

大雄寺

 「大雄寺入口」でバスを下りた。


 参道の入口には「国指定重要文化財」と真新しい石碑が立っていた。


 茅葺きの回廊をめぐらした本堂というのは初めて見た。黒羽藩主大関家累代墓所、とも書いてある


 回廊に囲まれた、明るい庭園


 徳川吉宗の勧請によるという経蔵の、彩色


 門前のドライブインのような店で鮎そばを食べた

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 「黒羽芭蕉の館」に寄った。町立の資料館である。芭蕉の木が植えてある。展示内容は、芭蕉の他には、黒羽城主の大関氏についてのもので、黒羽城というのは谷と谷の間の尾根に殿様の御殿と家臣の屋敷が建ち並んでいたようだ。大関氏は戊辰戦争ではさっさと新政府側について東北を転戦したらしい。


 芭蕉さんと曾良さん


 城址公園。誰もいないけれど、維持費をかけてちゃんと整備しているのは、大したものだと思う。向こうに見える建物には、能舞台がしつらえられていた。

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 浄法寺邸跡。芭蕉は黒羽で城代家老の浄法寺桃雪という人の屋敷に逗留している。もちろん、当時の建物が残っているわけではないが、ここに武家屋敷とお庭があったということなのだろう

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 しばらく県道を歩いた。


 いつの時代からある広告なんだろうか…


 大汗をかきながら30分あまり歩いて、温泉に入ってのんびりした。町の公共の施設で、それほど人も多くない。温泉とは言いつつ、どうやらあまり観光客が来るようでもないらしく、地元の常連の人しか来ないようなところのようで、「タオルは売ってますか」と訊いたときの受付の人がちょっと慌てていた(売店コーナーで買えた)。──空いている広いお風呂というのは気持ちのいいものである。ただ、露天風呂は、こういうところはどうしても露天風呂に人が集まりがちなのに対して露天風呂自体は狭いので、ちょっと敬遠した。少しぬるっとしたナトリウム泉で、1時間以上も風呂に入っていたが、上がってからレストランで何か食べようと思ったら、閉店時間が早すぎて、食事をしそびれてしまった。

大田原市>五峰の湯


 地方の町にもこういう立派な公共施設があるのだよね。この温泉施設は、広々とした運動公園の一角にあって、プール施設や競技場、テニスコートなどが点在している。──景気のよかった時代にこういうものを整備しておいた自治体の、今は、勝ちなのかもしれない。それにしても、「ウルグアイ・ラウンド」って、懐かしい言葉だなあ


 ここからは16時10分の路線バスで戻る。ここから行けるのは東北本線の西那須野駅で、約1時間で着くようだ。黒羽高校をまた通ったが、こんどは生徒はいなかった。大田原の市街地と、「国際医療福祉大学」のキャンパスを通って行く路線だった。これは市営ではなく民営(関東自動車)のバスなのだがやはり運賃はどこまで乗っても200円で、運賃表には「200」の数字がずらりと並んだ。公共交通を守るという政策的な強い意志を感じる。ここまでやれる自治体は多くないだろう。


 西那須野駅に着いた


 このあたりの東北本線の列車は、1時間に2本のようだ。次の上り宇都宮行きは17時26分発なのだが、これが結局、10分以上遅れてきた。無人駅なので、次の発車時刻を知らせる自動音声が繰り返し流れるが、その時刻が過ぎても同じ音声が延々と流れるだけで、黙って遅れている。列車は車両こそ新型だが、ロングシートの3両編成でワンマン運転である。混んでいて座れない。ワンマンなので遅延の原因などはアナウンスしない。ディストピア感というか、この国の社会の衰退を見せつけられるような場面だった。

 定刻なら18時07分に着くはずの宇都宮に、10分以上遅れて着いた。宇都宮からは新幹線で帰るつもりで、次の新幹線は18時21分の『なすの280号』である。間に合わなければその次の新幹線でもいいけど…と思いつつ、急いで乗換え改札口に向かって券売機で特急券を買い、ホームに上がって、すでに停車している新幹線に乗ることができた。夕方の上りの新幹線の自由席も、けっこう混んでいたが、車内をどんどん歩いて前の方の車両まで行ったらなんとか座れた。日常的な行楽需要が、確実に戻ってきている、と実感した。──新幹線は大宮で下りて、湘南新宿ライングリーン車で新宿まで移動してから、特急ロマンスカーで帰宅。

9/4(日)城ヶ島

 油壷の折り返し場から三崎口駅に戻るバスに乗ったが、途中で下りて、城ヶ島行きのバスに乗り換えた。城ヶ島に行ってみたい。バスは三崎の市街地と港のあたりを通って、高々とそびえるような城ヶ島大橋を渡って行く。

 島に入ったあたりの駐車場の一角にある「白秋碑前」というバス停で下りた。北原白秋の詩碑があるらしいのだが、よくわからない。──城ヶ島には25年ぶりに来たのだけど、何がどこやらさっぱりわからない。道を探してしばらくうろうろしてから、駐車場の反対側に城ヶ島公園に続く道があるのを見つけて、歩いて行った。


 なんかたしかに松は生えてたような気がするけど…


 こんな広場、あったかなあ


 灯台はたしかにあったと思うけど、こんな灯台だったっけ? それに、もっと海に近い、岩場みたいな場所にあったような気がするけど…

 …といった調子で、何を見ても、何ひとつ覚えていないのだった。(安房灯台は2020年に建て替わり、場所も変わっているそうだ)


 ここがおそらく、城ヶ島ユースホステルの跡地。ユースホステルは2003年に廃業したそうです

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 馬の背洞門。

 城ヶ島公園には、あちこちでウェディングフォトを撮っているグループがいて、藪の中の道とかで急に何かやってるのに出くわして驚いたりした。自然の中で雰囲気のある写真を作り込んで撮るのに良いところなのだろうか。そういう文化って外国のものだと思っていたけど今では日本でもそういうのがあるのか、と思ったし、こんな蒸し暑い季節に、よくやるなあと思う。


 とはいえ、世界の果てみたいな場所ではある

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 城ヶ島灯台まで行ってみようと思って遊歩道を歩いて行ったらどうやら道を間違えて藪の中の小道を突き進んだあげく、島の西側の集落に下りてしまった。それならそれでもういいか、と土産物屋で缶ビールを買って一杯飲み、路線バスに乗って帰った。17時台でも城ヶ島から15分おきに三崎口駅行きのバスがあるのは便利なのだけど、肝心の観光地であるはずの城ヶ島は、この時間ではもう食事もできず、寥々としていた。

9/4(日)小網代の森

 ちょっとだけ遠出して散歩してみたい。──日曜日、少し遅めに出かけて、13時20分頃に京浜急行三崎口駅に着いた。


 三崎口の駅前。たぶん25年ぶりくらいに来たんだけど、こんなところだったかなあ。

 この日も暑い。まずは路線バスに乗って、5分くらいの引橋というところで下りた。三浦半島って意外と台地みたいになっていて、中のほうは起伏の緩やかな畑作地帯だったりするのだけれど、そこから道をそれると急な下り坂になって、「小網代の森」の入口があった。


 遊歩道の入口。


 「小網代の森」とは、相模湾に面した谷間にあって、川の源流から海に流れ込むまでの自然環境がまるごと保全されている、貴重な森だというところだ。一度歩いてみたいなと前から思っていた。

神奈川県>横須賀三浦地域県政総合センター>小網代の森について


 植生について専門的な知識もないし、ただ歩いて眺めているだけでは植物の種類もわからない。しかし、わりと普通な関東地方の里山だなあ、という風景から、沢の流れと一緒に、ヨシが茂る湿地帯に下りていくのは、たしかに、なるほどね、こんな場所はなかなかないだろうな、とは思った。


 これ、何の花だろう、と思ってとりあえず写真を撮っておいたのだけど、どうやら「クサギ」という木の花のようだ。青い実がついてるのがちょっと異様な感じがする


 これはシオカラトンボだよね


 なんかちょっと深山のハイキングコースに来たような感じですが、横浜から1時間ちょっとのところなのです

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 地形が開けたところに休憩ポイントがある。もう海が見える


 そして、黄色い百合の花が咲き乱れている。ハマカンゾウといって、海岸に咲く花なのだそうだ。


 少し行くと、入江の岩場が。なるほど、これは浅くて、潮が引くと干潟みたいになるのだろうね。


 静かな入江。シーカヤックをしているグループもいた。

 森の遊歩道は小網代湾に出て、マリーナや漁港があるあたりでおしまいだった。──この森にはアカテガニという蟹がいるのだそうだが、遊歩道を歩いている限りではそんなものには出会えなかった。そりゃそうだ、こんな真昼間に、乾いた道に出てくるわけないよね…と思ったのだけど、森を出てマリーナのあたりを歩いているときに、水が流れている道ばたで、がさがさっと物陰に隠れるヤツを見かけた。やっぱりいるんだねえ。それっきり出てこなかったけど。


 でもいいところだね。三浦半島ってまだこういうところがあるんだねえ。

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 「シーボニア」というリゾートマンション群の近くから、急な坂をひいこら言いながら登ると、路線バスも通っている県道に出た。──ここから少し行ったところに、「油壷温泉」というバスの終点がある。ちょうど来たバスに乗って、行ってみた。昔は油壷マリンパークというのがあったところじゃないかなあ。

 観光地ではあるにせよ、こういうところに路線バスで来る人ってあんまりいないので、駐車場は広いけれどバスの折り返し場は寂れていた。油壷には今でも京浜急行が経営するホテルがあって、日帰り入浴にも心をひかれたけれど、どうせこの後も汗をかくしなあ。。。


 ここもまた、台地から急な坂で下りていくと海岸になっていて、遊んでいる人たちが見えてきた。胴網海岸というところだそうだ。


 少し沖にクルーザーをとめて遊んでいるのはお金持ちの方々なんでしょうか。波が静かなので、ちゃぷちゃぷと遊べて楽しそうだ。いいなあ

ルートヴィヒ美術館展/李禹煥展 @国立新美術館 9/2

 雨模様の金曜日、国立新美術館で、美術展を二つ見てきた。


国立新美術館ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡 市民が創った珠玉のコレクション

 ルートヴィヒ美術館とは、ケルンにある、20世紀から現代のアートに特化した美術館なのだそうだ。──ドイツ表現主義、ロシアン・アヴァンギャルド、といった時代で展示は始まり、あまり親しみのない作品が多い。ただ、こんな作品があるのか、と惹かれる絵がいくつもあった。

 印象に残った絵をいくつか。
ピカソの『アーティチョークを持つ女』…アーティチョークってなんだっけ、と思って調べてみたらアザミのような花のようなのだが、しかしこの絵ではもはや棍棒だよね、これ。強い怒りが充満しているような、凄味がある。1941年に描かれた作品なのだそうだ。戦争の時代である。
シャガールの『妹の肖像』…シャガールには珍しい絵じゃないだろうか。小さな分厚い本を開いた女性…これはおそらく聖書だよね、信仰心の深さの表現みたいなことなのかな。
・ゲオルク・バゼリッツ『鞭を持つ女』…甲虫の怪物のような体とどんぐりまなこ、背後の土饅頭も相まってとても怖い。
・ペーター・ヘルマン『ロト(燃えるドレスデン)』…黒いマスクをつけた人、うつろな目の人、振り返ると、何かが降ってきて街が燃えている、黙示録的な光景。ドレスデンは戦争で無差別爆撃で都市が壊滅しているはずだが、そのことなのかな。

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国立新美術館>開館15周年記念 李禹煥

 現代アーティストの李禹煥(リ・ウファン)の展示。円筒埴輪みたいなペインティングは、たしか2020年に東京で見たなあ。──床に大きな石がドンと置かれていたり、…次の部屋から割れ鐘のような音が響いてくるので何だろうと思ったら、スレート状の平板な石が敷き詰められていて来場者がその上を歩くとガラガラと音が鳴ったりする。屋外には、花崗岩とステンレス板で造られたアーチがあって、何かの遺跡のようでもある。──最初のうち、これは…困ったな、という感じでそんな空間作品を見ていたけれど…、見て回っているうちに、だんだんと、異質なものが組み合わされたりそこにあったりする不穏な緊張感、でもそれが不思議な調和を生み出している、と感じられてきて、面白かった。

ゲルハルト・リヒター展 @東京国立近代美術館 9/1

 ドイツの現代アーティスト、ゲルハルト・リヒターの個展。名前は聞いたことがあるけれど、どんな作品があるのかまったく知らずに行ってきた。


東京国立近代美術館ゲルハルト・リヒター展


 大きなサイズのドローイングが並んでいて、所せまし、という感じ。──というか、ここ東京国立近代美術館は、古い施設だからか、天井が低いのだ。もっと大きな空間だったら違う印象だったかもしれない。


 あえて実写のイメージを使いながらそれを揺るがせるような、不安を感じさせるドローイング


 これは、見つめていたら目がちかちかしてきた


 大作、『ビルケナウ』の部屋。


 普段から、抽象的な現代アートに対して、無意識のうちに「何が描かれているのか」を読み取ろうとしてしまう自分がいて、でもそれって違うんだろうなあ、と思っているのだけれど、この人の作品は、そういうつまらない解釈をしようとする意識のベクトルを、ものすごい勢いで拒絶してくるので、見て回っていると、だんだん浮遊感が出てきた。


 さまざまなテクスチャに夢中になっていた。とても面白い。

「蜷川実花 瞬く光の庭」@東京都庭園美術館 8/28

 蜷川実花の個展。昨年に上野の某美術館でやっていた展示は、なんだかんだで行けなかった(行こうと思ったときにはもはや日時指定チケットが取れなかった)のだよね。──今度の展示は、一味違ったと言うか…、たしかに蜷川実花は昔から「花」を撮っているけれど、昔のような、極彩色の、毒々しい色合いというよりも、やわらかい光、その先にあるものを求めているような、そんな写真ばかりだった。

東京都庭園美術館>蜷川実花「瞬く光の庭」

 インタヴュー映像で、「シャッターを切ることとは、見つけた光(=希望)を封じ込めたいという祈りだ」というようなことを言っていましたね。2017年の『うつくしい日々』も見ましたが、この人が見た美しい光、見て写真に閉じ込めたいと願った光、その視線が、やはり魅力的なのだった。

 また、同じくインタヴュー映像で、「人の手が入った花に興味があるということに、自分でも初めて気づいた。誰かが誰かのためを思って作った花にひかれる」と話していたことには、ちょっと感心してしまった。…これ、なんというか、人の世を愛するようになってしまった庵野秀明監督(?)みたいな話で、同時代のアーティストが歳月とともに変わっていくのを、目の当たりにしたような気がした。

 写真展に行ってパネルに引き伸ばされて展示されている写真を写真に撮るということがどれだけ意味のないことか、と思うのだけど、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)という館での展示風景。


 背景に負けてるような…これは展示方法があんまりでは…


 ただ、サンルームのこの空間はいいと思った

 別館では映像が投影されていて、空間いっぱいに広がる色の洪水が。


 これはよかった。これ、観覧者がその空間に入ることで完成する作品なんだと思った。

もう15年以上前の個展の印象がいまだに強いのだけど、あのときの、すぐにでも死にそうな写真ばかり撮っていた写真家と、やわらかい光に祈りを求めている今の写真家が、同じ人物であるということが、すごく自然に受け入れることができて、
2022-08-28 16:36:44
それはぼく自身も一緒に15年あまり歳を取ったからかもしれないし、おそらくだからこそ、美しいと同時にぼくにとってはとても重たい展示だった
2022-08-28 16:37:48

 会場で流れていたインタヴュー映像は、YouTubeでも視聴可能。

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 この日は雨模様だったけれど、庭園の緑は美しかった。それにしてもこんなにきれいに芝生を維持するのって大変だと思うんだけど。

長谷川潔展 @町田市立国際版画美術館 8/21

町田市立国際版画美術館>長谷川潔 1891-1980展 ― 日常にひそむ神秘 ―

 長谷川潔とは、1918年に渡仏してから、二度と日本に帰ることなく、フランスで活動し続けた版画家だそうだ。戦時中には敵国人として収容所に入れられたこともあったという(昭和20年のことだそうなので、パリ解放後ということなのだろう)。──ぼくは作品を目にしたことはこれまでにもあったと思うが、まとめて見るのは初めてだ。


 初期の作品。


 藤田嗣治の絵にもちょっと似てるよね


 精緻なレースの描き方に驚く


 斜めに交差した下地が、独特の視界を作っている。不穏に暗い空。


 柵越しの世界。


 枯れているのに不思議な生気を感じる、不思議な絵だ。細い線なのだけど、不思議と、硬さは感じない。

 また面白いところでは、フランス語訳『竹取物語』(La légende de la demoiselle de lumière)が多数展示されていた。平安王朝風の挿絵を、長谷川潔が手掛けたものだそうで、こちらはわりと硬質な線で描かれている。

 戦後の、黒い背景の世界──「マニエール・ノワール」の作品たちが、すばらしい。

 ガラスに光が映り込んでしまって、なんだかぼんやりと撮れてしまうのだけど。──闇の中に浮かび上がっているのは、いったい何なのか、考えていた。

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 窓ガラスに透明のシールで、この展覧会のポスターヴィジュアルのデザインが浮かんでいるのだけど、ちょっと見えにくいですね


 美術館の背後、こんな散策路があるのか。でもここ(芹が谷公園)は、地形的に谷間なので、どうしても薄暗くじめじめしてしまうんだよなあ。